内輪でごちょごちょとやるのって周囲からみてると、あまり気分のいいものではない。
自分たちの居心地のいい場所で、話しやすい人間とだけごちょごちょ。
仲間内だけでいるのなら問題もないのだろうが・・・・
ちょっと拡大解釈すると、自分たちだけで評価し合うのっていうのもいかがなものかなんて感じる。
くどいようだが、その世界だけで話をしているのなら問題ない。でも教育では?
例えば学力テスト。あれって誰が評価してるんだろうかと思う。躍起になって判断しているがそのあとは?
全国一位とか最下位だからとか、でもそのあとの進学はほとんど影響していない。
指導者の努力の結果?・・・・・それが結果。
あと謝罪するのに泣く男。別に女性蔑視ではない。(そもそも、そんな立場にある女性は泣いて謝罪しているのなど見たことが無い)ただ、責任ある立場のものが泣いて謝罪しているのは自分たちの世界で、聞いてくれている相手に何を求めているのか。どんな気持ちで話を聞けというのか。
泣いて勝とうと思うな。子供の頃に言われなかっただろうか。
泣いて解決しようとしているのでなければ、なぜ?
責任ある立場の者は泣かずに毅然として欲しい。
人前で泣くほど厚かましい人間が責任者なんていうのは・・・・
自分たちが公の人間であるということを思い出してほしい。そして何をしなければならないかを。
そういえば今年、泣いて謝罪して話題になった人間がいた。あさましい。
言葉はいい。行動で示してほしい。
今日はある謝罪する責任者の態度に怒りを感じてしまった。
高校一、二年のこの時期に
レジに立つ方々が本人の意思とは裏腹にサンタの帽子などをかぶっている姿に、少なからず胸を痛めるこの季節、高校一、二年のみなさんはいかがお過ごしでしょうか。
高校一、二年のみなさんとはいっても、ここでは勉強しようという気のある方々に向けてのことなのであしからず。
さて、冬休を間近にして復習を考えている人は、一見偉そうに感じるけど、それは違う。おそい。
期末、もしくは第三回定期テスト?などが終わってからだいぶたった。冬休みまでもまだ一週間以上もある。
さあ、怠けてしまった人は早く復習にはいればいい。そうじゃない人、つまり宿題とかテストなんてどうにかなってるなんて人は、レベルアップを目指せばいい。
英語はどれだけ文章を読むかなんてことに大きな価値がある、けれど、数学は同じ問題を何度も解くなんてことに何の意味があるのか。
もう少し正確に言うならば、同じレベル(教科書程度)の問題をずっとやり続けなければならない人の話しではない。レベルアップを目指す人への話だ。
問題集の選択は大事にしてください。ここでも、情報収集は大事です。
模擬テストのための練習・・・・・
参考書の例題を宿題・・・・・
ふふっ・・・・・
受験生の健康管理
不思議なことに(そうでもないかもしれないが)受験生はひどい風邪(インフルエンザ等)にかかる子たちが少ない。あくまでも比較論だが、毎年感じている。
いいことはいいこととして信用しようと思う。理由なんてどうでもいい。受験生に支障が無ければそれに越したことはない。
笑い話にしてはいけないが、ワンシーズンに二度インフルエンザにかかった子がいた。そんなことあるかと思うかもしれないが、医者によると別の種だということだった。幸いその年は彼にとって受験で無かったから幸いだったが。
学校の医務室とかに冬行ったことがあるだろうか。もうずいぶんと古い記憶だが、常に蒸気を出して湿度を高めていた。思えば、あれは風邪予防だったのだろうと思う。
受験生のみなさんには
これからますます寒くなる→乾燥する→お肌が荒れるじゃなくて、喉を傷める。→菌も飛び散る。
つまり、ろくなことはないので、とにかく予防に気をつけてほしい。部屋の湿度をあげろ
万全に近い状態でセンター、二次、私立、あるいは高校受験の望めるようにしてください。
根拠はよくわからないけど、ビタミンCはとって、おしゃれよりも暖かさ。
そして、この数カ月だけは自分のことだけ考えてください。ひどい表現かもしれないけど。周りは皆それを望んでいます。
信用するモノ
何を信用するのかっていうのは、とても難しい。
信用したいものを信用する。これが実は一番多いのではないか。
それで、社会がうまく運営されているのならいいのだと思う。
正解が正しいわけでもないし、嘘も方便なんてこともあるわけだからなおさら判断は混乱してしまう。
幽霊は存在するのだと言う人はそれを信用しているのだから否定されることはないはずだし。
そんなものは存在しないなんていう人にはなぜか信用する人間を攻撃したくてたまらない習性がある。そして、彼らは存在しないということを信用しているわけだ。
でも、その真実は誰にもわからない。科学的に証明が、証拠は、俺は見た、祖母が見た、なんてことを言いあってもこの結論はおそらく永遠にでない。・・・・ことを願っている人間がたさんいる。
まあ、このような例は別として、社会生活を渡っていく中ではもう少し深刻なことがたくさんある。
信用すべきことは何かという判断をするためには、情報はたくさん入れるべきだ。それすらも何か(○○とか××)のフィルターをとおしたものだけを入れている人間にはわかってはもらえないことだろう。
「百聞は一見に如かず」これはケースバイケースだ。無理なことを自慢げに言うやつには・・・・
中学生が早いとするなら高校生はどうだろう。それぐらいの知恵とアイテムはもっているんじゃないのか。
根っこの部分をはっきりさせて育成することが自分のためだと気付いてほしい。
信用することができたら、まっしぐら進んでいく。
間違ってたら?・・・その時はその時だ。
そうそう「二兎を追うもの一兎を得ず」なんて言葉もある。
一時でも早く踏み出した人間は、その分先に進めるんだ。競争を煽っているわけではない。
何かを成し遂げるためにはできるならそうした方がいいという意味だ。
これは私の本心とは違いますが、向ける方向を変えれば・・・
ちなみに私は○○が嫌いだ。
センター数学にちょっとだけ
まじめにセンター数学の問題を計算するなといいたい。
あとで見直す時にどうする?って
そんな解き方をしている人間に見直す時間があるわけがない。
平易な問題だったら、そうでもないだろうが。最近の数学は高得点(190点以上)が取れにくいようだ。
かなり以前のセンター問題ならそれも可能でちょっと得意だったら180、190,200なんてざらにいた頃もある。
その時の注意のままで解答を作っていたら・・・・
特に今年は変更が施行される初回で、大手の予備校ですらグリップしてはいないようだ。
一問15分で解いている人間には見直しなんてできっこない。みなおししたかったら、とりあえず筆記試験用の解答の書き方は忘れるべき。
ちょっと抽象的なアドバイスだけど、少しでも数学が得意かもしれないと思う人に対するアドバイスだ。
こんな試験で失敗なんかしてられない。勝負は二次だ。
なめてかかるな。ライオンの例えだ。一度解いた問題でももいいから毎日少なくともどっちかはやった方がいい。
他の教科で大失敗はない。大ミスはこの教科の怖い部分だってことを忘れずに。
calm down. concentration. and あとはガッツだぜ。
ホントかよと思いながらとりあえず、これを。ただ・・・長い。
全ては自分のために
「小学校では小学生の教科書をやっておけばいい。」
「中学生は受験(青森の高校入試選抜試験)の程度をやっておけばいい。」っていうけど
だったら、その次は?
これが長年疑問に感じていることの一つだ。もしかしたら高校の先生なんかも嘆いている人がいるかもしれない。
あくまでも予想だが。
それとも同じくカリキュラムをこなせばいいと思っているのか。
ソファー問題というのを御存知だろうか。検索すればすぐに出てくるだろうから興味があったらみてほしい。
これは日本の教育では扱わないが、欧米では高校の数学で扱われる問題なのだそうだ。ここで私の立場は日本の教育は欧米に劣っているなどとは思っていないことを始めに言っておく。
考える力が劣っている。計算は速く正確だ。これが日本の教育を批判する場合の決まり文句なのだが、そうやって入試問題が作られている以上しょうがないと思う。
例えば推薦とかAO入試とういうものを廃止したいと思っている社会風潮があることも問題だ。
いい子でいろ。先生の言うことを聞け。やれと言われたことだけやってればいい。
それで社会が望むような人間ができているなら、もっと推薦やAOは評価されるはずなのだが・・・・
これから受験を間近に控えた各三年、あるいは受験生は別として、一年後、あるいは二年後、それ以上あとに受験を控えている人は考えてほしい。
偏差値の高い○○になるのか、役に立つ知識と知恵を身につけるのか。
考えて、頑張れ、いや頑張ろう。子供たちには夢と希望がある。
毎回レトロかもしれないけど
夢
雪が・・・・・・とはいっても毎年の出来事。ちなみにこの雪って言うのが降り始めはいろいろ変化しても解けるのは大体同じ時期なんです。
いろんな交通障害があったりもするんだけど、まぁそれはそれとして。
今回は夢の話。
昨夜の観た夢は何てことではない。「こんな夢を見た」巨匠黒澤明の作品のような夢もファンタジーで楽しいことかもしれないけど、他人が聞いて一番つまらない話っていうのもそれだって言うのもよくあること。
してがって、違う「夢」の話。
大人(何歳からかは定義は難しい)になると現実的なことに目を向けて、子供は夢や理想に関心を向ける。なんていうけど、子供達は結構現実主義なんだなあ、何て思うこともある。触れ合っているのが中学生や高校生が多いから、そのちょうど過渡期の彼らはそれらが混在しているからかもしれない。
だから、この時期って大切なんだと実感もする。その夢が間違っていても変更できし、いくらだってやり直しがきくって言うのはなんともいい時期だと思えてならない。こんなことを言っても、子供達には実感が無いだろうが、齢を重ねた人間からすれば共通の意見だろう。
いい方向に進めればそれに越したことは無いだろうし、悪い方向に進んでも若気の至りなんて言葉で済まされる。それぐらい周りが余裕を持ってみてあげることも必要なんじゃないかな。
夢が挫折に変わっても、それは非難することには当たらない。問題はそこからどうやって立ち直るか、そこに意見を投げかけてやれるのが大人なんじゃないかな。親じゃなくても近くに居る大人がそうしてやればいい。そんなこと思ったりします。
ただ、夢を見るならかなうような努力をして欲しい。そのためには助言も必要だし、自らの情報力も必要なのだ。
口に出すだけで何も努力しないなら、それは寝ているときの「夢」と変わらない。
人に聞くのは簡単だけど、最終判断は自分なのだということも加えておきたい。
ちょっと安直だけど
いいこと
つれづれなるままに日々を過ごしていても、いいことなんていくつでもある。それがちっぽけなことか、とてつもなくすごいことかなんてあまり関係ない。こんなことにエナジー保存の法則があるのかどうかはわからないが、少なくとも毎日あることは確かだ。ただそれに気づくか気づかないかは本人次第ということだ。
今日も少なからずあった。個人的なことなので具体的な例はかけない。
ただ、自分の説明がわかってくれたと確信できるときはその夜いい気分で過ごせる。
これは塾なんてやってれば当たり前だろうと言われるかもしれないが、解法なんかだったら確かによくあるどころか毎日だ。
けれど、それを本当に理解してくれたかどうかは話が別。これはなかなか難しい。
こっちの力不足もあるだろうし、相手の聞く気もある。ただ、その理解の数が多くなるだけ当人のレベルは明らかにアップしてくる。
この瞬間は何ともいえないいいことだ。そうなってくれた子供たちの目は明らかにわかる。もちろんわかったふりとの違いも。
合格が最終目的の仕事だから、それはうれしい。ただそこまでの過程で子供たちが進歩していく過程を見ているのは大きな喜びだ。
そして、それはその子がステップアップすることにもつながる。時間はかかる。けれど、そんな楽しいことは他にはあまりないだろう。
それが、私の仕事だ。これが私の仕事だ。
だから、いつも真剣勝負。
さあ、かかっておいで。面白いから。
フツウ
雪で道路がフツウになった。の方じゃなくて、「それってフツウだよね」(←ちょっとバカっぽく)のフツウ。
普通この時期には雪が積もる。(納得)
普通はそんなことしない。(微妙)
普通は三時間は勉強する(間違い)
だいたいにおいて、普通ていうのは「ありふれたもの」とか「普遍的な」なんて意味があるようなのだが、あまりにも普通に普通って言葉を使い過ぎな気がする。
勉強するという意味において「普通」は存在しない。以前もかいたが、勉強なんて目標があって初めて程度が決まる。
だから、周りと比べてもしょうがないのだ。その個人によって「普通」が決まる。
特別なら、普通って言わないのではないか?
そう、その通り。けれど普通っていう抽象的な言葉で納得してしまう○○○者がなんと多いことか。
倫理観とか道徳観は少なくとも日本人共通の普通があってほしいと思うが。
私の携わることにおいてはそんなものは存在しないのだと声を大にして言いたい。
周りよりも頑張って成績の良い子たちにいたい。君たちは実は阻害されているのだと。普通という言葉のマジックでほめられたり、認めているような言葉をかけられたり。でも、それってほとんどが適当で、根拠のない言葉。(言い切る)
中学生なら450ぐらいもとれば優秀だって言われるだろうし、高校生なら順番かな。
志の高い子たちはそんなマジックに惑わされないように。
頑張りたいなら、もっと自分で調べて情報をゲットするべき。かわいそうだけど、それを知らずにだまされたと思ってもだれも責任なんてとってくれない。そして「普通」なんて言葉を平気で放つ人たちの仲間入り。
少し辛辣かな。でも、よく感じることだ。
でも、最後は気持ちよく終わっておきたいので。どれだけ知っている人が今いるのかな?
やはり、今日の最後はこれで締めることにする。
娯楽作品ではないかもしれないけど、気軽に。
彼の作品「薔薇の名前」「フーコーの振り子」というミステリーの傑作がある。多分有名なのは「薔薇の名前」の方なのだろうが個人的には優劣が付けられない。どちらも、一気に読み終えた思い出がある。それほどミステリー作品にけいとうしているわけではないのだが、この二作品は知る人ぞ知る作品であろう。
「薔薇の名前」のほうは映画化もされており、あのショーンコネリーが主演だった。それもよかったが、やはり小説には負ける。
彼は「美の歴史」「醜の歴史」「芸術の蒐集」という三部作もある。なかなかおもしろかった。抽象的な表現なのに、ある一定の尺度をもって編集されている。
彼が尊敬しているという。ボルヘスの作品もお勧めしたいのだが、以前に「新編バベルの図書館」でお勧めしたので割愛。
「私は頭がいいわけではなく、好奇心が旺盛なだけだ」と言ったアインシュタインもそうだが、好奇心旺盛な人の話しは面白い。
あまりにもすごすぎて彼らの頭の中に入り込んだら、ラビリンスか宇宙のような南方熊楠、アイザックアシモフの話は面白いが作品がおもしろいというわけでもない。私にとっては。
ただ、そういった人間には興味が湧く。そうそう、小松左京も忘れてはいけない。SFの大御所、いや日本のSFの創成者といってもいいだろう彼の作品は中学の頃よく読んだが、後になって「教養」という本を読んで改めて彼のすごさを思い知った。あまりにも代表作が多すぎて、通勤、通学にお勧めしたいが、電車はあまり使う人間が無いから、トイレででも。(これは卑下ではなく落ち着くから)
いまさら何だが、作品の感想はできるだけ書きたくないし、中身も書こうとはしないつもりだ。私なんかのおかげでお勧めに本にイメージが付くのが嫌だから。
小松左京を挙げたなら星新一や筒井康隆(最近はCM何ぞにも出ている)もどうぞ。彼らの作品には公約数が全くと言ってもいいほどない。筒井がふざけて「日本以外全部沈没」という小松の作品のパロディーを書いたことはある。
星新一は超短編で軽い作品なのだが、読んでいくうちに彼のすごさを感じる。「進化したサルたちは」特別推薦。
筒井はいまさら、読み返そうとまでは思わないが、若かりし頃の作品は正常の上に成り立つ狂気という感じで、かなり好きだった。(中学の頃にこんな本を読んだのが間違いか)
突然だけど、サイモ・シンの作品は目に入れておいた方がいいかとおもう。検索すれば何かがひっかかるかも。
次はこの人のことを書こうかな
今日は塾で話しすぎたんで、静かにこれを。自分に。文句なしに「神の手」