中学生に

ここに、解法とかを書く気はそもそもない。それは顔を見ながらでないとやりにくいからだ。
それに、数式は打ちにくい。

中学生をしている子たち(そんな表現はおかしいと思うかもしれない)に向けて考えてほしいことがある。

正負の計算。一次方程式などは一年生。

連立方程式、一次関数は二年生。

相似、三平方の定理などは三年生。

誰が決めたの?

進める人間はもっと速度を上げればいい。ヤバイ人間は学年なんて気にしないで戻ればいい。

スポーツや芸術にはそんなものはないのに、勉強だけはそれをまもろうとしているなんておかしいなんて思わない?

平均って何?標準って何?普通って何?少し疑問を持ってごらんよ。

皆で足並みそろえてやらなければならないことは共同でやる仕事。学園祭とか、運動会とか。

でも、それ以外はほとんど自分のペースがあってもいいんじゃないかな。

オリンピックの入場行進だって自由になっている時代なのに、いまだに時代錯誤なことを強いられているのってかわいそう。

個性、オンリーワン、・・・でも皆同じ?

勉強に関して言えば、もっと進化できる子たちが多いのに、それを足止めしているのって・・・・

シッタカしている大人って結構多いんだよ。(これちょっとヤバいかな)

頑張る人、頑張れない人?

頑張らない、頑張れない。「ら」と「れ」。この違いは大きい。
当塾では「ら」の人には厳しくします。「れ」の人には原因を考えます。どっちの割合が多いかって?

完璧に「ら」の人が多い。
どちらにしても結果は同じだということに気づいていない。そのくせ、妙な自信だけは持っている。その結果「ら」の人間は逃避理由を考える。そんな知恵だけは多少持っている。それでだませる人間を探して、自分を憐れんでもらってごまかしている。

「れ」の人はなぜかわからぬまま悩む。自分には能力が無いとか、ひどい場合は馬鹿なんじゃないかなど。
そんなことがあるわけもなく、その本当の理由をひたすら隠して悩み続ける。

すくなくとも当塾に来ている人間に関しては、その違いははっきりわかっている。そしてその対処はしている。

中学も高学年になり、あるいは高校生にもなり、それでもごまかし続けれると思っている「ら」の人間は甘えるなという言葉をささげたいし、

「れ」の人間は対処を考えよう。大丈夫だからと言ってあげたい。

基本的にこっちは真剣だ。

ただ、これも言っておきたい「ら」を続けると「れ」になるよ。

二曲、プレゼント。


選挙だ、そうだ。

社会不適応者といえども、衆議院選挙が公示されたことには関心がある。上の画像はそれに対する代弁として用いた。
知る人ぞ知るというぐらいでいい。ちなみに彼はマーク・トウェイン「トム・ソーヤの冒険」等であまりにも有名な作家であり、逸話は限りない。

というわけで、世の中を良くするためにがんばっていただきたいと期待する。あいにく昨日から今日にかけては暴風雪で、選挙カーの雪を片づけていたのを見かけただけだったが、立ち止まって聞く人も少なそうだ。ラ・ミゼラブル。

さて、彼の作品に関しては語るのではなく。突然「あ」からでも始めてみようと思う。

あから始まる作家作品を考えてみると、荒又宏氏が浮かんだ。
彼の作品は「帝都物語」というとてつもなく長い代表作がある。もちろん読破したのだが、いろんな逸話が虚々実々とちりばめられておりおもしろい。前回の紹介した小説もそうだが、物語の面白さはウソにあると思う。
彼の場合小説に限らず、博物ぶりをしめす数々の作品があるので。テレビに出てくるキモいオジサンというだけではないと強調したいのだが、少なからずそんな扱いをされているのはなんともはや・・・である。

アーネスト・ヘミングウェイもである。「武器よさらば」「キリマンジャロの雪」「日はまた昇る」あと短編集もおもしろい。
一番好きな作品は「」であるが、これはかかない。釣行記などもあって、彼の豪快さを感じさせる。興味ある人はぜひ見てみてほしい。そうそう、「老人と海」はいいなあ、カジキとの格闘ももちろんだけど、酒場で古い新聞を見ながら語る場面なんか最高。「ジョー・デマジオがなんたら・・・(間違ってたらスミマセン)」とか子供との会話。んんんよかった。あれは何度か読んだ。

というわけで、今日はこれ以上思いつかない「あ」の閉めで

とにかく応援してます

雪景色の季節がやってきた。タイヤも交換したし、他にもいろいろ冬支度をした。

イコール受験のシーズンである。今から頑張るのではないのは言うまでもなない。今までやってきた人がやっと確かめられる時期がようやくやってきたのである。
もう少しで成果が出せる。

くじけそうなこともあっただろうし、なんで自分が、なんてこともあっただろう。でもね、それは全部あなたにとってプラスの効果になるんだ。途中でくじけてしまって投げ捨てた人間が多かった中でよく頑張ったんだ。

それを評価するのはまず、自分ね。それと家族。そして他のもろもろの人たち。

鬼が笑うなんていう言葉もあるけど、春には笑っている自分を想像してください。それがいい方向に自分を導くんだそうです。

寒い。足元が悪い。雪が顔にぶつかる。道路が狭くなる。いろんなハンデがあるかもしれないけど、寒い冬の後には春が来る。

というわけで、ひねくれ者はこんな音楽を受験生にささげます。

「思い立つなら今」それに間に合った人たちに

師走だぜ

クリスマスだぜ、年越しだぜ、正月だぜ、おっと天皇誕生日もある。

さて、どうやって年末を過ごすかなんて考えてみる。

酒は飲めないし、買いだめした本でも読むか。HDに撮りだめした映画でも観るか。釣りに行くほど根性はない。

言ってみただけ。年末はずっと勉強会。やる気のある子供たちが目を輝かせている。昨年も、その前もずっとそうだった。

家に帰ってくると、国営放送ではお祭り、民放では悪ふざけ。年越しそばを食べて、部屋に入ると残りの日程をシュミレイトしてみる。各家では普段なら消えている電気もその日はついている。近所で一番遅くまでついている我が家の灯りもその日は少し早めに消える。

子供たちと過ごす年末年始は悪くない。彼らには希望がある。そしてそれを疑わない純真な眼をして手を動かす。
今年もそうなるはず。なんとなく気分がいい。

準備とかが忙しいのはしょうがない。

忘年なんてしたくもない。忘れることは忘れるし覚えていることは覚えていたい。日々の積み重ねが新たな希望を湧かせてくれる。

さあ、頑張ろう。

というわけで、好きなPVを

たぶん

努力しても、頑張ってもどうにもならないものってあるのだと大人(年齢を重ねただけかも)知っている。

それは否定できないと思いたい自分がいる(弱気)。

けど、入学試験なんてそれに入るのかななんて思う部分は多分にある。

合格した人間は自分たちのことを努力家だという人間は少ないし、頭がいいなんてことを思っている人も少ない。

オリンピックは参加することに意義がある。たぶんそんな意味合いをもつことも多いだろう。
多くの人間は勝つために参加している。コメントを聞けば明白。

自分の進んでいる道がどうだったかなんてことは、その時になってから気づいてもいいんじゃないかな。
(犯罪じゃなかったら)なんて思うこともある。

変わることは悪いことじゃない。

それが言いたいんだよ。

でも、今自分の進む道にはできるだけ、そう可能な限り全力でぶつかってみるっていうのはどうだろう。

落ち込む事があっも、挫折しても、やる気が無くても。とにかく早く復帰するように自分でコントロールできる力を養ってほしい。

退路を断つ。背水の陣。
かっこいいけど、そんなことやれる人間って限られてるんじゃないか。

いろんな意味で強くなろう。いくらでも、やり直しはできる。それだけは信じたい。

勉強ができるひと?

勉強ができるって一言にいうけど、それっどういうことなんだろうか。
短絡的にいうならば評定が5とか4ばかりで、テスト結果も順位が一ケタで、てな感じかな。

そういってしまえばそれほど価値があることとは思えない。それを目指していることに疑いを持たないことはここ(青森市)においてということなら、なおさらだ。こんなことを学習塾をやっている人間が言うのかなんて自分でも思う。

それが、中学であれ、高校であれそこから得られる結果って・・・。
そんな考え方は打算的だろ。なんていう人がいるだろう。そんな意見は承知の上だ。なんせここで長く生活してるんだから、しかも子供たちと接しているのは多めのほうだ。

したがって勉強ができるということは全く意味が無い。
それを言うならば、あなたの目的に足りる学力を持っているかということが大事になる。

具体的な例をあげるなら、偏差値が60程度で医学部を狙うには足りないだろうし(そんな医学部があるかもしれないが、例外はいちいち気にしない)、学年で一番をとったからといって東大に入れるわけでもない。

あなたの目指していることは何か?やはりこれが一番大事なことであると思う。

目的もなしに大学に行く奴に金なんか出さない。とか、高校になんで行くのかなんて目的とは微妙に異なる。
そんなことは以前の問題で、ここでの問題とは違う。

例えば、A大学に入学したからあの子は優秀だ。←これは一般に聞く。
けれど悲しいかなそんなことを言う人間にその人の価値判断を決定することはないのが普通。
その大学に価値があるかどうかは、社会が決めるのであって、自分がいかに努力したかなんてことをくみ取ってくれることは少ない。

実際こんな話がある。ある有名大学に入学して無事卒業し、いざ入社面接。
「あなた、うちではB大学以上じゃなければ・・・・」
本人は自分の学校に誇りを持っていたから、悲しい現実である。
そんな会社はこっちから蹴ってやればいい。そう思う。けれど、上場企業では珍しい話ではないからたちが悪い。

人間性がとかもっと見てくれる社会になればいいと思うのは誰も同じだろう。けれど、そんな風に今の社会はできていないようだ。

SCHOOLに冠詞が付かないのはそれなりの意味があるのだろうが、誰もそんなことは思っていないはず。
だから、必死になって頑張っている子たちがいるんだと思う。ならば、そんな子に言ってあげたい。

もっと頑張れ、もっと希望を持て、もっと苦しめと。受験なんて頑張った奴が勝つんだ。
スポーツとか芸術とは違う。才能がそれほど問われるようにできてはいない。

勉強ができている人間はなおさら、目標がある人間はさらに。

「思い立つなら今」そんな思いは四六時中いつでもってことだから。

ちなみに写真は悪魔的頭脳の持ち主。

 

強がり

What a wonderful world


見栄を張って、大口を叩いて、気にしてないよってな振りして、何だってできるよって・・・
いいじゃない。そういうのも。

辛くなったら引き際さえ間違わなければ。

何かに怯えている子供たちが多い気がする。わかったような顔してあきらめるだけを待っているような。
多分偏見じゃないだろう。

自分なんて、どうせ、やっぱり・・・・

この歌を歌った頃の彼の境遇、そしてこの歌。決して美声ではない。けれどなぜかこの歌を彼が歌うのを聞く時自分が小さいなんて感じてしまう。
達観したような人間にしか歌ってはいけないような歌。

頑張れなんて簡単に言える言葉じゃない。だったら、少し勇気を出して頑張ろうと言いたい。
いろんなことで、いろんな場所で、いろんな立場で、けれど今こそ子供たちに向けていいたい。

未来を語るなら子供たちの頑張りに期待するしかない。大人たちがこねくり回したってろくなことなんてない。

子供たちが作る未来は子供たちが選んだ世界。そこが未来に対する希望なら賢い選択をしてくれるような教育をすることが最優先だろう。

子供は黙っていろなんていう風な、いつまでも囲っておくような、自分たちの愚かさを隠して美辞麗句だけを放つような、そんな社会はおかしいんだよ。

もっと子供たちに期待しようと思う。子供たちに自分たちができるということを知ってもらいたいと思う。
そしてそれはそんなに難しいことではないと思っている。

私はそんなことをいつも思っている。

「思い立つなら今」さあ、始めよう。教育も学習も大事なんだよ。

ラス前


今年は一週間ほど早くセンター対策を始めます。
したがって、数学はあと一回。しばらくセンター問題になります。

昨夜の立体切断問題。また、1.5カ月後にこんな問題に戻ってこれます。

予報では来週から雪。体調管理を忘れずに。なるべく全教科を毎日。暗記教科は講義を聞くより暗記。

国語は問題をじっくり。数学は時間を計って。英語はやはり問題練習(長文読解は特に毎日)。社会は練習(苦手な人は過去問の反復)。理科は形態がかわったので注意して練習(過去問が無いので)。

年末年始に特別枠の時間で六日間センターの対策をする予定です。

センターテストに関してはいいたいことがいっぱいあるけど、とにかくこれをクリアしないと学校によっては門戸を閉ざされてしまうので手を抜かずに。

大学によってのウエイトが違うので個々によっても力加減が大変だと思います。

乗り切りましょう。

中学数学を学ぶ一、二年に

突然ですが、時計とにらめっこしながら問題を解く。このことを念頭においてください。
有り余るほどのプリント・問題集を与えられていませんか。

それは誰に向けられたものなのか?

例えば成績表で2,3,4,5(1はホントのレアケース)の人間が皆同じ練習をするということに疑問を感じるはずです。正直5だったら無条件で安心なんてことが言えるほどの評定ではありませんので、もし高い理想を抱いている人なら、自分にもっと努力を課してください。

4とか3、このあたりに焦点を与えている場合が多いようですが。その人たちにはいい練習だと思います。

そうではない人は、宿題は難し過ぎるようです。じっくりと過去の練習問題、教科書等をやり直してください。

評定が本当にその人の実力を表しているかというのは疑問があるので、一概にいいきれないのですが不特定に話す場合にはひとつの目安にはなるかもしれません。実際評価は聞くたびに疑問が残らないことが少ないです。

さて、中学生はほとんど全員が受験をします。ほとんどというのは高校生に比べてということです。進学する目的は?希望は?夢か?

同じような言葉を並べましたが、このあたりの認識が甘いというかあまーーーーい。というのが実感です。スポーツをするなら力を入れてる学校を選べばいいし、さらなる進学を望むならそんな学校を選べばいいんです。
どっちもなんて考える人はおそらくどちらかはお遊びでしょうから、それで考えればいい。
そしてその道は夢へと続いているのかをしっかりと見極めてください。

進学校?(いろいろな評価があると思いますが)には頭のいい子が進学するのではないんです。勉強ができる子が進学するんです。そんなこと当たり前だとおっしゃる方がいるかもしれんせんが、その勉強ができる子というのはそれに関して努力した子ということまでは認めたがりません。

定員がありますから全員合格ということはありませんが、これから長い人生を進んでいく中で1.5倍弱なんてあってないような倍率でしょう。そこを恐れていては何も始まりません。

モチベーションを高めて頑張りましょう。「お前の頭じゃ無理だ」なんていう人間の話しに耳を傾ける必要はないです。