何を信用するのかっていうのは、とても難しい。
信用したいものを信用する。これが実は一番多いのではないか。
それで、社会がうまく運営されているのならいいのだと思う。
正解が正しいわけでもないし、嘘も方便なんてこともあるわけだからなおさら判断は混乱してしまう。
幽霊は存在するのだと言う人はそれを信用しているのだから否定されることはないはずだし。
そんなものは存在しないなんていう人にはなぜか信用する人間を攻撃したくてたまらない習性がある。そして、彼らは存在しないということを信用しているわけだ。
でも、その真実は誰にもわからない。科学的に証明が、証拠は、俺は見た、祖母が見た、なんてことを言いあってもこの結論はおそらく永遠にでない。・・・・ことを願っている人間がたさんいる。
まあ、このような例は別として、社会生活を渡っていく中ではもう少し深刻なことがたくさんある。
信用すべきことは何かという判断をするためには、情報はたくさん入れるべきだ。それすらも何か(○○とか××)のフィルターをとおしたものだけを入れている人間にはわかってはもらえないことだろう。
「百聞は一見に如かず」これはケースバイケースだ。無理なことを自慢げに言うやつには・・・・
中学生が早いとするなら高校生はどうだろう。それぐらいの知恵とアイテムはもっているんじゃないのか。
根っこの部分をはっきりさせて育成することが自分のためだと気付いてほしい。
信用することができたら、まっしぐら進んでいく。
間違ってたら?・・・その時はその時だ。
そうそう「二兎を追うもの一兎を得ず」なんて言葉もある。
一時でも早く踏み出した人間は、その分先に進めるんだ。競争を煽っているわけではない。
何かを成し遂げるためにはできるならそうした方がいいという意味だ。
これは私の本心とは違いますが、向ける方向を変えれば・・・
ちなみに私は○○が嫌いだ。