羊の皮をまとった狼

のような問題もあれば

狼の皮をまとった羊

なんて問題もある

気づかなければどちらも難問

もちろん

狼の皮をまとった本物の狼

などという問題もある

これは数少ない

一枚革をはがなければ

その本質は見えてこない

平易な問題ばかりやっていると

対処はできない

見た目も中身も羊なんていう問題もある

これはいまさら言うこともない

 

解答を作る

特にこれは高校数学からは重要

何となく適当に計算して

何となく答えが出た

などという学習を中学時代にやっていると

そのギャップに取り残されていくのは当然

ゆえに

それ以前から意識して数学を解く練習はしたほうがいい

さて高校生にだが

黒板から写したノートをよく見て

もう一度それを解答にしてみる

黒板には解答には必要ない説明もたくさん書いている

それをまじめに毎回書いていたら

それは無駄

あるいは

新しい問題に対峙したとき

どうやって攻略するかを考えねばならない

それにも

いろんな解法が存在し

それを考えることが数学の学習にはとっても必要

何も考えずに同じ問題をひたすら解き続けるだけの学習は

それで対処できるような問題には

とっても有効な方法

けれど

勝負になる問題は

そうではないことが多い

それにパターンを学ぶにしても

初級?から上級?までたくさんある

必要なのはどの程度なのかということがある

二年生は(もちろん一年生でもはやくはない)

志望大学の問題をじっくりみてみることをお勧めする

これから

何となく春休みっぽいが

そんなことはない

一か月以上という時間

無為に過ごすことは推奨しない

問題文をしっかりと読むことをオススメ

同じような問題を

繰り返し何度も何度も練習することの弊害の一つに

こんな時はこうすると

早とちりする練習にもなっていることがある

もちろん

パターン化された問題は

それで対処できるのだから

定期テストとか

そのような問題を出題する受験においては

それも功を奏すだろう

繰り返しになるが

やはり目標とするレベルによる

ここの部分がなかなか判断が難しいようだ

それはさておき

問題をよく読むというのは

早とちりをしていないか?

意味をきちんと理解しているか?

なんていうことにはとっても重要かと

数学の練習をするには

他の教科の何倍も時間がかかる

そこんとこも理解してほしい

短期には短期にできることがある

長期には長期にできることがある

その区別をしないとちぐはぐになる

短期で長期にすることを詰め込めば無理があるし

集中して短期にするのを長期に延ばせば間延びする

ほかにすることができないほどの宿題をひたすら配るというのが主流の長期休暇

それが厄介だ

それだけやればどうにかなるというのならそれもいい

ひたすら写経して終わるほど

あまくはないのだが

いろんなすごし方がある長期休暇の過ごし方の一つに

当塾の勉強会を入れて考えてもらえればと

コースによってはかなり厳しいので

それなりの覚悟で臨んでほしいと思います

少し難問?

を練習するのはいかがか

少し難問という愚かな表現がどの程度を指すのかといえば

これって何を使うんだろう

とまず先に考えるような問題

基礎を学んでから

基本問題は基礎とは違う

いたずらに計算が厄介な問題は

暑くなったらうんざりするから…寒くても同じか

そういう問題も大事(建前ではない)

考える力という表現をどうとらえるか

「覚える」と「考える」は違うのは明らかだ

けれどこの覚えるという作業すらしない、しかしない?

ということを繰り返せば

考えるという力は自ずと失われる

・・・・・

なんて暑苦しい話をするのはしばしやめよう

本気になって勉強するのはマイノリティー

だったら、そんな話はうっとしいだけと考えるのが大半

「やればできる」

「簡単にできる」

「誰でもできる」

「こうやればできる」

「こうすれば簡単にできる」

「こうすれば誰でもできる」

「絶対やればできる」

「これさえ見れば簡単にできる」

「なにしようが誰でもできる」

ほら、だんだん詐欺っぽくなってきた

どこが?

目的語がない

それでは・・・・・

そう目的語を入れて考えてみてほしい

目標を低くすれば

上記はまんざら嘘でもない

簡単にできることをチャレンジするとは言わない

そんな数々の世迷い事で世間の大半は成立している

昨日の暑さと同じ

無限に部屋数のあるホテルに満杯にお客が止まっていた

そこに無限数の新たな客が止まりにやってきた

フロントが困っていると

支配人がやってきて言った

「大丈夫ですよ」

「どうやって?」

「現在宿泊しているすべてのお客様にひとつづつ部屋を開けて移ってもらえばいい」

・・・・無限の話

こんなその場しのぎ?詭弁?

実社会ではもうよろしいかと

こんな言葉を真に受けるから

ややこしくなる

 

正攻法

間違ってなかったら(ここ大事)

問題の解き方なんて簡単な方がいいに決まっている

受験数学の場合のはなしです!

もちろん

ゆえに問題の読み方はとっても大事

早い子は中学の頃から

そういったことに長けている

30分かかって解けるものを

10分で解けたら

余裕ができるに決まっている

30分かかっても解けない場合が多いんだけど

受験問題は

公式・定理

以外で大事なことがたくさんある

もちろんどちらも大事なわけで

公式・定理だけで解答が導ける問題もたくさんある

それ以外で

こう考えるという考え方

これは勝敗を決めるにとても大事

それって

練習が必要(たくさん)

公式・定理でどうにかなる問題は

繰り返し練習するのは必要だけど

それですべてだと考えたくなるようで

それが進化の邪魔をする

目的は

理解することじゃなく

解けること

これは意外なほど認識のずれがあるようだ

解答を見て

あるいは

黒板を見て

ああ、わかった

というのは

まだまだ

それを解答にできるか

実際解答を作業をしてみればわかるのだが

一から作るという作業は意外なほどにできていない

問題を見て

ああこれはわかる

この「わかる」という不確かさが惑わせる

近々に受験する子はさらには時間内に解けるという作業が必要

一問せいぜい2,30分

さあ、どうする?

それゆえに

可能な限りホワイトボードに解答してもらう

空白の使い方

解答の流れ

どう解いたのか

という理路整然とした解答

中身はそれほど変わらないのだが

毎年新しい問題が出題される

問題を読み切れないのは国語力かそれとも数学力のなさか?

にわかじゃ困るし

勘違いもそう

時間はかかるんです

もちろんレベルにもよりますが

そこんとこ

わかってもらえればなあ

と常に思う

やはり早めの準備は大切

そもそも、受験勉強に

いや勉強に

年や学年はそれほど関係ない

この時期特に気を付けること

まずは受験生にむけて

焦燥感はよく理解できる

けれどしっかりと地に足をつけて

そうじゃないと

空回りになる恐れが

高校生一般に

理解することと解けることは別なのか?

いや、それは理解できていないから

そう答えるのが当然かと

ゆえに気を付けることは

自分で解答を作る練習をする

写経からは何も生まれない

少なくとも高校数学は

暗記科目とそうじゃない教科の区別は早めにした方がいいかと

何となく中学まではどうにかなったのに・・・・

それでも、あの入試問題だったら

どうにかなる

これが結構問題のような気がするのは私だけか?

早く認識を変えることをお勧めする

目指すんだったらという条件付きで