こんな三月は記憶にない

しかれども

やるべきことをやります

賛否両論が渦巻く中

この時期もいつもと変わらず(意識的に)

(もちろん自己防衛は怠りなく)

がんばろうと考えています

流動的なことがあることは想定していますが

誤情報に惑わされないように

行動していきます

専門の方の意見に耳を傾けたい

いろいろと雑音が混じるが

どうも素人の強引は意味不明だ

今年はうるう年

一日もうけた

そんな気分

時に乗り遅れないように

二次試験もあと一日を残す

がんばってください

さて

実践問題の練習ということがある

練習問題との違いは

方針を見つけることから始まる

とでも言っておく

悪意はないのだろうが善意もない

シビアなだけ

この練習を多いところで二年

少ないところで一年

それ以下は・・・・・

まあいいとして

なるべく早くそれに行き着くべく

日々頑張っています

子供たちが

模試などは実戦というには種類がありすぎてなんとも言えませんが

実際の問題を甘く見ると・・・・

遅れないように頑張ってください

一つでも上を目指す

銅よりも銀、銀よりも金

今年は東京オリンピックが予定されているが

そんなこととは全く関係ない

志望校の話

ここ数年で首都圏にある大学は軒並み偏差値があがり

中堅校が難関扱いされるようになっているようだ

偏差値が上昇したということは

その大学の社会的価値が上がる

と言い切れるなら

問題はない

もちろんこれがこの先ずっと続くなら

いずれはそうなるだろう

社会というのはどうも保守的な考えが蔓延しているので

ここ数年の動きでどうこうなるものでもない

さてここで本題に戻る

大学は偏差値で決まるものじゃない

という意見を否定も肯定もしない

そういった信念もあるだろうから

ただ、一つの意見として考えてほしい

偏差値のレベルを高い位置で維持し続ける大学というのは

それなりの社会的価値を持っている

ゆえに

望みたい人間は多い

その理由は何だろうか

言い換えよう

何を期待して望んでいるかということ

いろんなことが複雑に絡み合う

そこで単純に一つの判断基準として

意見を言う

一つでもう上を目指す

高校選択も同じこと

反論は面倒なので結構です

ちなみに偏差値は高いけど・・・

というのもいくつかは存在します

もちろん具体例はいいません

ここでは

鶏口となるも牛後となるなかれ

なんてことわざは理解できない

初めから敗北を認めるのはいかがなものか

私立高校の問題を見せてもらって

匿名にするにも3校しかないので実名にする

試験当日に問題を持ってきてくれた子がいたので

中身をチラ見させてもらった

チラ見というのは

解答を作るのではなく全体像をという意味で

山田高校の問題だった

なかなかいい問題で実践前の練習にはとても素晴らしいと感じた

もし機会があったら練習してみることをお勧めする

ただし、解答がないので学校の先生にでも添削してもらうか

解答をお願すればいいと思う

この地の私立高校には独特の位置づけが成されており

おそらく90パーセント以上の子たちが受験する

そしてほぼ全入

おそらく、学校側にも言いたいことはたくさんあるのだろう

ただ、受け皿としての存在がかえって軽んじられているのは

各高校の努力からすれば残念なことのように思える

いくつかの公立高校よりはきちんと進学指導もなされているし

実際の結果として成果もあげている

進学を勧めておきながら

指導はしないという学校はたくさんある

滑り止めという認識では済まされない現状がすでにあるのに

子供たちの意識はそうではない

いっそのこと定員の二倍ぐらいで合格者をいったん打ち出せばどうだろう

そうすればもっと競争意識が高まるのではないか

公立高校の発表後に順次補欠を発表すればいい

乱暴かもしれないが

多くの公立高校で定員を割っていることは

モチベーションの低下になるのは明らかなこと

なんとなくという風潮が確実になる前に

一度変化が必要な気がする

いっそのこと中高一貫校というのを考えてみてもいいのでは

そうすれば

高校受験に一年間も費やす必要性はなくなる

勉強に特化せずとも

いろんなゆとりある学生生活を送るという選択もでてくると思う

同じ公立中学で同じ模試の平均点が100点以上も違うという現実も

オープンにすれば

そんな不公平は少しはなくなるだろう

地方格差というのが問題になって久しいが

地域格差という明らかな人的障害も考慮してほしい

勉強なんて二の次なんて考えている方には

全く関係のないはなしだろうが

テスト前に勉強を詰めるのは・・・

卑怯なことなのか?

あるいは姑息なのか?

あるいは泥縄式とでもいうのか?

それとも当然なのか?

「理想論」

普段から予習復習をし毎日の学習を身に着けていればテスト前にテスト勉強をする必要はない

 

「現実論」

当然テスト前は詰めるでしょう

 

ということになると思っているのだが

どうもそうではない場合も多いようだ

それを受け止めるには

テストなんてどうでもいいという場合(軽く高得点を取るのとその逆の場合の二つ)と

勉強なんて優先順位の下位という場合

などという風に考えているんだと思えば納得がいく

優先順位をあげれば成績を上げるのは意外に容易なのに

覚えるという作業はもちろん必要だが

考えるという作業をおろそかにするのは

いただけない

受験問題のほとんどは覚える作業の成果を問うので

それはそれということになるのだろう

思考力を問う

論理力を問う

まあ、いろいろと話題になっているから

そこんとこに疑問を呈す意見もあるのだろう

いつかはそんな力を本当に問うようになるかもしれない

今でもそれを問われることはあるのだが

それほど多くはない

意見に反するようだが

知識の詰込みは

当然大事なこと

まあ、AIには足元にも及ばなくなるのは

とても近い将来

もしかしたら

すでにそうなっているかも・・・・