耳に優しい話し

君には才能がある

君はまだ本気を出していないだけ

努力すれば何でも手に入る

夢は必ず叶う

周りは皆君を応援している

ボタン一つでやる気になれる

志望の高校に行けば夢がかなう

志望の大学に行けば夢がかなう

環境が邪魔してるんだよ

やる気になれば何でもできる

・・・・・最後は自分の努力なんだよ。

 

2015 2 17 104

教か育か

真剣に大学進学を目指すなら

高校受験の時の方法にならっても無意味

では、どうすればいいか

個々の目標によって異なります

そう、それだけ学校(レベル?)によって異なるんです

あとは通っている学校(つまり高校)によっても

一括でどうにかしようというのは教育的な意味では効果があるのでしょう

けれど、個々の夢をかなえるにはおかしな話ですよね

そういうことに疑問を持っている高校生は少なくないです

現実を見ようとしていないのか。見るのが怖いのか

どちらも同じこと

良く子供の逃避の中ですることで

あっちにはこう言い、こっちのはそう言い、都合のいいことでごまかそうとする行為があります

よい言い方をすれば、臨機応変とかと言えるかもしれませんが

それは受験に関してはどうも・・・・

同じように教と育を都合によって使い分けることで指導してたり・・・・

現実をみて頑張りましょう

望む方向にはおそらく結果が待ってます

誰かが、きっと努力するあなたを見ています

目標をもつということ

かなり難しい話だ

まだ、社会に対する知識に少ない子供たちが「将来~になる」

なんていうのは幼子だったら、簡単に口にするだろうが・・・・

なかなか

けれど、ただぼんやりと過ごすことでどうにかなるほど甘くない

それでは、どうやって目標を立てるか

ここでは大学ということにしたらと提案したい

理系か文系かどこの大学を目指すか

これは社会人になったらどうするかというよりもかなり立てやすい

だいたい、特殊技能を必要とする仕事は別として

現代社会では10年後、いや5年後には新しい仕事が生まれているかもしれない

それに対応できるような実力を養うことを考えておくことがいいと思う

夢は大きく、努力を伴って考えてほしい

新高一の

春の勉強会をアップしました

目に留まっていただければ幸いです

正直な話、別に現一年でも二年でもいいんです

その部分が不安だったら、どうぞ。

そもそも、当塾は学年と言うことはあまり意識しておりません

「思い立つなら今」

というのはそういう意味も含んでいます

できたら、やりなすなら早い方がいいんでしょうけど・・・・

始めるなら一日でも早い方がいいんです

当塾の特に高校生の時間は一回が大きいです

それはつまり一回でものすごい量進む事が多いんです

そうでもしなければ、二年の終了時に数Ⅲの復習に入れないわけで

ゆったり、まったりはできません

もちろん、それまでにもⅠAⅡBの練習もするわけでして

だから、それなりの結果が出ています

頭がいいとか悪いとか

そんなことってそんなに顕著に表れるのかな、と思う

少なくとも受験では

要領がそんなによくなくても努力でそれをカバーする人間はたくさん見ている

そんなこと言っても同じ努力した時差がつくだろうって?

そう、そんな言い訳のために頭のいい悪いはあることになっている

最悪自分の子供は頭が悪いから、自分に似て、うちは代々・・・

そう、そんな風に頭が悪くなるように子供たちを導く

子どもたちは自分は頭が悪いからという言い訳を胸を張って答えるようになる

大人はいいんだよ。もう固まっているんだから

でもね、子供たちには言いたい。言い訳を考えをする前に努力してごらん

少なくとも、もう数十年もやっていると、努力した人間は必ず結果を出している。

そう、必ずと言っていい。

例えば、青高に入学したから頭がいい。←よく聞く言葉

それを青高生に聞いてごらん。みんな笑うから(中には勘違いしてる○○がいるかも)。少なくとも私は笑う

彼らはちょっとだけ人より多く努力した。それは中学校の時だったかもしれないし

それよりも前だったかもしれない

そんなこと言うのは、その点に関してどりょくしなかった人のいいわけ

まずは子供たちが気づくこと。

やれば、できることの一つに勉強があるってことを

オカルティスト

一般にはホラーと同意に捉えられてしまうが

ここでは根拠のない事を信じるオカルティストとする

そう、たくさんある。真実がたくさんの情報の中に埋もれてしまって判断ができない

そんな状態にある人って意外に多い。

こんなにたくさんの手立てがあるのに盲心的に何かを信じている。

信じたいのか、信じることで安心するのか

判断する知恵が無いのか

夢は素晴らしい。

夢想するだけはつまらない

さあ、考えよう。いろんなことを。

疑って、確かめて、信じて、疑って・・・・

きっと自分の求める真実に近づくんじゃないかな。

自分が本当に求めるものって何なんだろうって考えたことない?

今よりも

大きな変化は痛みを伴うものらしい。

経済でも国策でも

小さな力ができることは

「今よりも少しだけましな世界になるような努力」

かな、なんて思ったりする。

後退は嫌だ。前進は希望がある。

時には停滞もあるだろうが、望むのは日々少しだけでもマシになること。

そんなことを考えている。

フラット

な世の中になればいいのだろうか

それともいびつな世の中がいいのか

そんなことは判断がつかないし、どちらも面白いかも知れない

ただ、ひとつだけ願うのは公平な世の中になって欲しいと思う

多分それもありえないんだろうけど

努力している子供たちを見ていると

いつもそんなことを思う

簡単なことなんだろうけど、やろうとする人間はほとんどいない。

少なくとも・・・・・・には

ペレルマン

「ポアンカレ予想」なる難解な問題を解決したロシアの数学者

彼が自信をもって名だたる数学者の前で解説した時、誰も反応する者がいなかったそうだ

それは、そこにいる高名な数学者たちにとっても難解すぎる話だったらしい

その後彼は失意なのか、ほかの理由かは定かではないが

彼は隠遁生活に入る。

今でも何かしらの問題に取り組んでいることは確かなのだが

誰にもそのことは告げないそうだ。

彼の難解な理論は人知を超えていたのかもしれない。

チャップリンがアインシュタインと話をした時

アインシュタインが「あなたは素晴らしい、世界中の人を喜ばせる」

それに対してチャップリンの答えは

「あなたのほうが素晴らしい、世界で5人も理解しているかどうかわからない理論なのに皆があなたをすごいと思っている」

いわゆる天才ってこんなものなのかもしれない。
この人たちもそんなことがあったのかなあ