長くやっているということ

これは、いろんな受け取り方がある

当塾は随分と長い間、学習塾というものを貫いてやっている

当塾の方針は35から80まで

この数字がなんであるかは、すぐに理解してもらえると思う

やがては、皆が同じ問題にチャレンジしなければならない(高校受験の場合)

ならば、どこかの段階で同じ練習をすることになる

それを目指さなければ、意味がない

その子にとって云々などというのは詭弁だ

いやな話かもしれないが、受験をするということを考えれば

どこかで競うということも大事になる

数値ではわからない弱点、あるいは勘違い(本人が思っているよりも理解しているということもよくある)

いずれAIの進歩によって異なる手段となるかもしれないが

まずは、顔を突き合わせてやるというのが基本だと思っている

同時に、過程の重要性というものは痛感している

長くやっていると感じることのほんのわずかな思いを

述べてみた

この方たちには負けるが

希望、夢多き子供たちに微力ながら協力したいと思ている

 

やる気ある子たちって

見ていて本当に気持ちがいい

そんな子たちに

ついついこっちもつられる

本気にさせるのもこっちの役目かもしれないが

相乗効果というのはやはりある

現状を打破しようとするのか

まだ見ぬ夢に向かっているのか

それともかすかに何かを感じているのか

子供たちはいつも楽しい

春は誰にでも平等にやってくる

この一週間足らず、ああでもないこうでもない

などと、不確かな予測を立てる輩、愚か者等々がおりまして

高校入試の点数予測などという、ゴシップ好きがいろいろとつぶやいていましたが

(毎年、占い師のように、しかも得意げに)

それも終わりました。(なんの意味があるというのか)

現状を見るだけならば、いろいろと意見もあるでしょうが

そんなに、大差はないんですよね

何が?

さすがに書くと問題か?

春は誰にでも平等にやってくる

というわけで、通う場所が決まった新高校生の皆さん

これからですよ

というか、今すぐですね

三年後はこんなものじゃない(老婆心ながら)

こんなにぬるくないという表現があっているかも

まあ、お疲れ様でした

おめでとうなんて言葉は見守ってくれたであろう御父兄の皆様にささげたい

数日前の感情、考えたことをできるだけ忘れずに

https://www.youtube.com/watch?v=tQQqxiNGCQw

 

一枚薄皮をはがせばたいてい化けの皮がはがれる

https://www.youtube.com/watch?v=h9ixh6rMsTk

高校時代、友人から彼の存在を教えてもらった

この曲ではなかったが、何かが体の中をくすぐった

このころいろんな曲と出会った

そして、それは今でも懐かしさとともにコレクションの中に納まっている

時折、ほこりをはたくように聞き直してみることもある

それを聞けばその頃が思い出されるかって?

そんなわけはない

そんなセンチメンタリズムは持ち合わせていない

今聞いても、いいなあと思うのは聞き続けるだけ

古いだけのものをありがたがる感性はない

受験制度が幾度となく小さな変化をし

問題もなんとなく変化したように見せている

けれど、その実は変わっていない

これからの子供たちがどんな努力をするのか

今までのこの日本だって十分立派な社会貢献をしている

なんてことを考えれば

私たちはいい制度の中で生きているのだと思わざるをえない

うまく表現はできないが、やらなければならないことの多くは

今も、そして過去も変わらない

小手先の道具がいくつか変わっても賢くなったわけでもない

むしろ・・・・・

その扉の向こうに何があるのか

恐怖、幸福、喜び・・・・・

それが予測つかなくとも開けてみるのが自然科学なのだと

とある数学者がいっていた

そして、それに対処するためにまた新たな扉を開ける

その対極にあるわけではないがポリティシャンはリスクのみを心配する

時には、おのれのリスクのみを気にするようだが・・・・

音楽や芸術には国境がないという

自然科学だってそうだろう

スポーツはオリンピックという国境対国境がある

グローバルなことに歓喜するのが好きなのなら

自然科学にもっと力を注ぐべきだろう

おかしな選抜をしているうちは望むべくもないが

だれか、この矛盾にメスを入れないかな

暗記はもはや人間には必要ないような気もするんだけど

なんて問題的なことを少しだけ言ってみたりして

 

あの日

まだ高校入試が前期後期と別れていた

前期の発表が終わり

後期へと向かうものもまだいた

まだ雪が道端に残っていた

後期に挑む子たちの家を回った記憶がある

自分に何ができるか

せめて、各家庭を回ることしかできなかった

やがて、報道でいろんなことを知ることになった

年を経るごとに

「実は・・・」「実はあのとき・・・」「本当は・・・・」

いろんな事実が明かされる

それを複雑な気持ちで

けれど、耳や目を向けてしまう

ただ、無力な人間たちにとって

その後の処理のお粗末さのほうが気になる

なんでも時間が解決してくれるとでもいうのだろうか

・・・・・・・

人は、何かに立ち向かうとき

いろんな紆余曲折のあとで、強くなるような気がする

「強くあれ」

それが、あの時からの教訓だった

今こそ、いろんな気持ちを込めて

https://www.youtube.com/watch?v=mVw5HKanadw

いろんなことを大きく凌駕するようなこの曲

事あるたびに、何かを感じてしまう

高校受験だ!

平常心・・・・・なんて無理

なるべく、できるだけ、可能な限り、・・・・

落ち着いてください

sakura_koiwai03-3というわけで

受験勉強は手段

資格試験は必要に駆られて

そうじゃないことは才能がものをいう

・・・・・のではないか

なんててことは子供たちには関係ないこと

たぶん、何かの運でここを見る人にとって

受験は必需品と言っておく

その必需品を粗末に扱う人のいかに多いことか

なんてことを言うのも誤解を招くか

若いうちに何でも経験しておくことはいいことだ

だからいろんなことにチャレンジしろ

なんていうのはいかがだろうか

笑ってしまうとやはり誤解を招くか

何か一つに専念することは結果を出した人間は評価される

あなたは特別な才能がないからいろんなことをして

平均を目指せば

なんて言いかえると・・・反感を買う

みんなで、だましあって安心するのは時には・・・うざい

失礼、疎ましい

言葉は難しい

 

チューリング・ナッシュ・ホーキング

最近観た映画の主人公

天は二物を与えずという言葉をどこまで信用するか

なんてことを考えるほど

不幸な人生(周りから見て)

でも、本人たちはどうだったんだろうか

天才、あるいは天才に近い方々

一般の生活をさせることがかわいそうだと感じた

たぶん、そんな人たちが今もどこかでいるんだろうな

奉ったり、もてはやしたりするのはいいとして

彼らのような存在をどうやって社会が位置づけるのだろうか

・・・・・

無理なんだろうな

パワーを持つ人間たちにはいないから

理解することはできないんだろう

昔観たアマデウスという映画の中で

サリエリが語っている

「神は残酷だ。才能ではなく才能を見分ける力だけ与えた」

いわゆるアベレージだけを求めるのって

・・・・・なんだか、つまらない・・・なんて

あらためて思った

反骨というのが子供たちの特権だったような

そういえば甘さを際立たせるために少々の塩を混ぜたりするんだそうで

周りを見るのも大事なことだけど

自分の道を見つめるのも・・・・

受験に才能なんて関係ないからね

努力したものの勝ち

でも、彼らはある意味うらやましいな

 

春はいろいろと考えるとき

卒業、入学、進学

関係するだけでいろいろと大きな節目となるこの時期

多分、これからの一生で忘れられない記憶の一つとなることが多いだろう

そのために。いろいろと頑張ったそれまでの数年間

それを評価してあげたい

今、もやもやとしている人には

必ず春は来ると信じてみたい

そして、それは何かの始まりであることも忘れないようにしたい

春、いいたことはたくさんあるけど

今、いい春を迎えてくれること

そして迎えることを

第一に考えてみたい