チューリング・ナッシュ・ホーキング

最近観た映画の主人公

天は二物を与えずという言葉をどこまで信用するか

なんてことを考えるほど

不幸な人生(周りから見て)

でも、本人たちはどうだったんだろうか

天才、あるいは天才に近い方々

一般の生活をさせることがかわいそうだと感じた

たぶん、そんな人たちが今もどこかでいるんだろうな

奉ったり、もてはやしたりするのはいいとして

彼らのような存在をどうやって社会が位置づけるのだろうか

・・・・・

無理なんだろうな

パワーを持つ人間たちにはいないから

理解することはできないんだろう

昔観たアマデウスという映画の中で

サリエリが語っている

「神は残酷だ。才能ではなく才能を見分ける力だけ与えた」

いわゆるアベレージだけを求めるのって

・・・・・なんだか、つまらない・・・なんて

あらためて思った

反骨というのが子供たちの特権だったような

そういえば甘さを際立たせるために少々の塩を混ぜたりするんだそうで

周りを見るのも大事なことだけど

自分の道を見つめるのも・・・・

受験に才能なんて関係ないからね

努力したものの勝ち

でも、彼らはある意味うらやましいな

 

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

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