たかが受験、されど受験・・・・問題

部活動で、一年の後輩に三年の先輩と同じ技能を求めるのは無理がある

これは、納得してもらえる

だけど、勉強だけは一年の知識もおぼつかない人間に受験レベルの練習が必要になる

これは、同じように難しいことだと気付かないのかな

などと考えたりする

簡単に習得できるようなうたい文句をよく目にするけど

だったら・・・・・・

やるなら、一日でも早く

「思い立ったら、今」ではない

「思い立つなら、今」

これが想いの一つ

 

曖昧

この言葉のどんなイメージを抱くか

正直、あまりいいイメージはない

けれど、この曖昧という言葉で世の中はうまく動いているような気がする

したがって、ものによってはそれほど悪いことではないのかも

どうでもいいというのとは違う

どちらとも決定でいない・・・ジレンマのようなもの

受験に曖昧さを目指すのはお門違いだとはいっておきたい

曖昧な知識でも答えが出る問題のレベルだってたくさんあるんだろうけど

言語教科なんてそのあいまいさが顕著かな

受験数学で曖昧さを求めないのなら、当塾にどうぞ

懐かしすぎか

問題選択

練習するときに迷うんですよね

問題集と言わずに問題としたのは意図的なんです

例えば、A、B,Cなんて具合に一冊でもわかれているものもあるわけで

限られた時間でどれを練習するのか

実際、難しいモンダイです

百歩譲って、センター対策というならそれほど違いはないんですけど

長月も半ば、神無月もすぐ

なんていうといろいろと焦るでしょうが

まあ、今頑張れることを落ち着いて頑張るのが

一番でしょうから

自分で判断するか、助言を求めるかして

頑張ってください

顔を突き合わせている人には、頑張りましょう

いろんな願いを込めて

ちょっと勉強の話を

子供たちの希望(志望)は千差万別なので

大きく分けて書いてみることにする

高校受験を目指す、いわゆる中学生にかんして

中学生になった時すでに志望校をきめている場合がある

自分の夢を抱いて高見を望む人間と身近な人間がいったからという場合

市内にはいくつも学校があるわけだから

そこを目指すための努力をするわけだが

その志望校に関する情報が乏しい場合が少なくない

こういった場所に書ききれるものではないのだろうが

学年が進むに従って、その想いと現実が乖離していくこともまた多い

下方修正の場合も上方修正の場合もある

高校は大切な時代を過ごす時間であるわけだから

いろんな成長といろんな夢を抱く時間でもある

現代においては、その次というものを考えるのがむしろ一般的だ

したがって、少し先を考える必要がある

大学に進学を目指す(大学も千差万別)なら、それなりの高校を目指せばいいだろうし

専門学校に進学する場合もまた然り

高校卒業で就職しようと考えている人も同様

つまり本来ならば、そのための高校選択はそれなりに意味をもつ

そこで、必要なことの筆頭に「情報」をあげたい

一度入学した高校を入り直すということはなかなか困難だろうから

吟味は必要なこと

いろんな筋から情報をいれることが大事

ここで、もっとも冷遇されている高見を目指す子たちに

学年で区切られたことをなぞる必要なはない

できたら、全教科と言いたいが、一番時間のかかる教科は数学

英語もと言いたいが、暗記教科は高校からでもどうにでもあるだろう(もちろん、全くやらないという意味ではない)

英語が受験の主体だという話が流布されているが・・・・・

自分でやれないなら、相談してください

もし、やれるなら情報の収集はお忘れなく

安易に周りに流されることのないように言上させてもらう

いつか高校生に向けても

 

二年生に

二学期というのは二年生にとって(中学でも、高校でも)

分かれ道になるシーズン

ここで、少し早めのスパートをかけるか

それとも、並んで走るか

三学期の中で最も長い二学期

前期後期とかなんとかせいなんていうのは関係ない

さらには三年が学校行事に関与しなくなり

二年がメインとなる

いろんな責任をかけられて役目も増える

充実しているような錯覚

自分の足元をしっかり見定めている人は

適応できる

でも、周りに流されやすい、あるいは流されることをよしとするひとは

今、一度考える時期

ふと気づいたら、周回遅れなんてことのないように

現実と夢との間に挟まれて揺れている

そして否応なしに選択させられてしまう

その選択が自己の現実

今、やってるのは何の対策?

定期テスト、高校入試、センター、二次

いろいろあると思います

勉強は勉強だから同じというわけにはいかないと考えます

三年は、中学生も高校生も入試対策だろうと勝手に判断します

ここ青森の公立入試は480以上を取るのは少し厄介ですが高得点を目指すのならそれほどでもない

センターも一教科に限って言えば同じでしょうが総合で見ればやはり厄介

二次は志望校によりますから・・・・

当たり前のように受け取られますが

何種類もの教科の総合点で決まるというのは疑問を感じますが

制度なんでしょうがいない

さて、受験生に限らず今一年や二年のみなさんも

まだまだ時間があるからなんて余裕をもたずに頑張り始めた方がよろしいかと

もちろん、志望校と自分の成績によりますが・・・・

それぞれの対策の詳細はここによって違うので一言では言えません

ただ、早めの準備はお勧めします

暑さも峠を過ぎ勉強に適した気候になってきました

スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋

なんでも秋をつければ成立します

三年は当たり前として、二年生はこれからが勝負時

頑張りましょう

https://www.youtube.com/watch?v=IP12rw3i1gg

人は高みを目指す

人という言葉を総称してしまうのはいろいろ問題なのは踏まえて

それでも、あえて

高さの違いはそれぞれあれど

そのための努力をしようとしている

スポーツなんかだと、地方大会からさらに上

文化部だって同じ

もちろん勉強も

趣味としてやっているなら、それもありだろうが

多分若い子たちは純粋にその高みを目指しているように思える

ここで批判覚悟で言ってしまえば

「二兎追うものは一兎を得ず」

いや、いや、あれもこれも頑張ればいい

なんてことは言わない、いや言えない

中途半端な結果を共にもたらすだけ・・・・

がほとんど

目指すならとことんというのはプレッシャーになるのかな

でも、中途半端な一生懸命っていうのは理解できない

青春時代が無尽蔵にあるなんて幻想は

年寄りのやっかみ

軸にしたいものは一生懸命高みを目指してみない

想いが重なるなら

一緒に頑張りましょう

他のいろんな例にもれず

勉強も先んじた方が有利

勉強だけ、学年通りっておかしいよね

しばらく暑いみたいです

暑いと判断力が鈍くなる

鈍くなるという表現が適切でないなら散漫になると言ったらどうだろう

高校受験をする人はあと七カ月

大学入試をする人は六カ月

まだという人はそれにあと年数をプラスすればいい

どの段階に向けて話すかということでおのずと変化するわけで

今回はまだ、数年以上ある人たちに

三者面談とか行われている

すでに終了した人も多いだろう

さて、進路指導は受けただろうか

たいていは学校での生活態度などの話をするらしいが

なんで、この時期からそれをしないのかが不思議

三年になってから間際になってああだこうだと言われても・・・

生活態度も大事だろうが、すぐ先にやってくる

自分たちの進路を真剣に考えない人はいない、いや少ないだろう

時間があればどうにかできることをほったらかしにする

あるいは後回しにしない方がいい

進学なんてどうでもいいと最後まで言い切れる人は

それはそれで素晴らしいとは思う

だから、そうではない人たちの話

「もっと早く来ていれば」

と言われることはよくある

そう思うが、いかんせん決定は向こうなので苦笑いするしかない

簡単なことは言わない

目指す目標が高いなら、高いほど

早くコンタクトをとってみてください

小学生だから小学生の勉強

なんてことはない、受験は早めの対処が勝利に近づく

当たり前か

大々的なアドはできませんが

ささやかな、アドバイスです

どうする?

何かをしようと志をもってから準備をするのは遅いのか?

準備だけして志をもたないのはおかしいのか?

外国語の学習は大事だという言葉を否定する人はいない

けれど、外国文化を知らずに挨拶だけできるような外国語は?

あるいは、伝えなければならないコンプレックスな感情を表現できないような外国語は?

いわゆる、選択肢を与える前に予備知識を与えないのは

与えない方が悪いのか?

それとも、知ろうとしない方が悪いのか?

なぜに勉強するのか?

なぜに進学するのか?

そんな選択肢だって子供たちには与えられている

けれど、それを判断するだけの知識は与えられない

それゆえに子供たちは現実を前にして、妥協を受け入れることを強要される

いろんな矛盾が交差する中で、その選択肢すら自分でしなければならない

(親に任せているなんて言うのも少なくないが)

混沌から秩序が生まれるのは幻想ではないと信じたいが・・・・

経験で全てを学べという人がいる

学習で学べという人がいる

百聞は一見に如かずなどとしたり顔で言い放つ人間がいる

本の中にはいろんな知識が詰まっているという人がいる

さあ、どちらを選択する

可能なものを選択すればいいという人がいる

それを選択するだけの知恵は?

人は信じたいものを信じるという例えに従うならば

生活環境に由来することになる

さあ、子供たちはどうすればいい

今も昔も賢くならなければならないのは自分なのかもしれない

多分、時代は前に進んでいるのだから

いろんな賢い意見を知るにはおそらく本が一番

でも、その選択もある

考える

この作業はなかなか身につかない

覚える。これは得意な子が多い

高校入試の場合は問題数が多いから考えると言うよりも

埋めていく場合の問題がほとんど

大学入試の場合は(二次試験)はそれだと無理

中学校まで数学は得意だったのに・・・・

という子が多い

その理由は簡単

そんな勉強を中学校の頃しなかったから

同じ問題の反復だけしてきた場合が多いからだと思う

その問題をどう解くか

その問題は何を問うているのか

それを考えるような作業の欠如が原因のほとんど

中学校でも小学校でもいい

早めに考える作業をすることが大事だ

お口直しに