何かをしようと志をもってから準備をするのは遅いのか?
準備だけして志をもたないのはおかしいのか?
外国語の学習は大事だという言葉を否定する人はいない
けれど、外国文化を知らずに挨拶だけできるような外国語は?
あるいは、伝えなければならないコンプレックスな感情を表現できないような外国語は?
いわゆる、選択肢を与える前に予備知識を与えないのは
与えない方が悪いのか?
それとも、知ろうとしない方が悪いのか?
なぜに勉強するのか?
なぜに進学するのか?
そんな選択肢だって子供たちには与えられている
けれど、それを判断するだけの知識は与えられない
それゆえに子供たちは現実を前にして、妥協を受け入れることを強要される
いろんな矛盾が交差する中で、その選択肢すら自分でしなければならない
(親に任せているなんて言うのも少なくないが)
混沌から秩序が生まれるのは幻想ではないと信じたいが・・・・
経験で全てを学べという人がいる
学習で学べという人がいる
百聞は一見に如かずなどとしたり顔で言い放つ人間がいる
本の中にはいろんな知識が詰まっているという人がいる
さあ、どちらを選択する
可能なものを選択すればいいという人がいる
それを選択するだけの知恵は?
人は信じたいものを信じるという例えに従うならば
生活環境に由来することになる
さあ、子供たちはどうすればいい
今も昔も賢くならなければならないのは自分なのかもしれない
多分、時代は前に進んでいるのだから
いろんな賢い意見を知るにはおそらく本が一番
でも、その選択もある