幸せになろうか

頭のいい人間っていうのはどんな人をさすのか

頭の悪い人間っていうのはどんな人をさすのか

いい人ってどんな人をさすのか

悪い人ってどんな人をさすのか

まじめな人間ってどんな人をさすのか

ふまじめな人間ってどんな人をさすのか

・・・・・・・・・・・

これって全部何かを基準に決められること

その基準って?

そこの集団が決めること

その集団はどんな集まり

そんなことを考えたりします

多数派

世の中は多数派と少数派にわけられる

一義的な意味での話だが

それは、どんな集団においても発生する

必ずしも多数派が力をもっているとは限らない

例え社会の富は1パーセントの人間がほとんどをもっている

独裁国では少数派が武力と富で多数派を押さえつけている

日本においても最大与党の獲得した投票数だって4分の1程度にすぎない

同時に多数派が正しくて少数派が誤っているということも言い切れない

かつての人たちが作り出した現在は多種の意見をくみ上げ

それぞれを尊重している

あくまでも過去と比較しての話だが

少数派になることを恐れることは昔ほどではない

そう昔ほどでは

それなのになぜ、ステレオタイプが多いのか

例えばいじめなんてそれが原因でしょ

皆と同じことができない、あるいは意見が合わない人間を排除し

あるいは暴力をふるう

町に不良がいなくなったような気がしませんか

それは、いいことかもしれない

でも、一見いい子が増えただけで、中身はもっと複雑になっている

もちろん暴力や犯罪を肯定なんてしていない。それどころか強く憎んでいる

社会が病んでいるように思えるのは私だけなのか

なんかおかしい気がするのは

これも、なるべくしてなった文化の影響なのか

耳障りのいい言葉に安心し

理解できないことは無視する

フィルターを通した情報を信じる

子供たちを騙すのはやめた方がいい

少なくとも高校生、あるいは中学生を

っていうか、自分がしっかりしろよ

春というのは

意味もなく期待を膨らませてくれる

個人的な感覚かもしれないが

どうせなら、その感覚を大事にしてみようかと思う

四季にはそれぞれの感覚をもたらすパワーがあるのかも

できたら、ポジティブに受け取りたい

春は芽吹きのシーズン

でも、雑草じゃないなら種をまかなきゃ芽吹きはしない

さあ、がんばろう

 

 

y=x+sinx

理想の流れ

y=xがいいかもしれないけど、それはちょっとむずかしい

y=-xはあまりにもかなしい

y=50-xここれは辛い

y=xsinxは波乱万丈

y=kはkの値による。でもちちょっとつまらないかも

y2=x2(1-x2)はむなしい

y=logx(x>1)は意外にいいかも

y=|sinx|は救われる

y=sinxはうんざり

人生を数式の形に表してみたら

そんな感じ

はたして、今自分はどんな曲線状にいるのか

 

 

0.9のN乗 N→∞

こうやって、収束するのだと感じることが日々ある

でも、0になってしまうのならいいんだろうけど

途中で止まるから厄介

せめて1.1にならないかなと思うのだが

なかなかそうはならない

社会は難しい

せめて、曲だけでも美しいのにして

気分を変えようか

だったら、景気のいい方が

わからないことがわからない

これをどう読むか

わからないことはわからないのではない

何がわからないのかそれがわからないという意味だ

わかろうとしないのは問題外

わかろうとする努力をしようとしている過程

この問題は何がわからないのか

そんなことを考えているというのは進歩の一歩手前

まずは真似てみる

そして、理解できた気がしたら応用してみる

初めから理解するのは困難だし

そこで止まっている必要もない

まずは、真似てみる

そしてまた

わからないことがわからない部分が現れる

その繰り返し

分かりやすいというのはわかりやすいレベルのって意味かも

でも、人はこの言葉に騙されやすい

そしてこれもまた信じたいものを信じるという逃避につながるかもしれない

世の中に役に立つ人間になれ・・・・って

人は生まれた時から人の役に立っている

誕生は喜びを与え、幼子のはしゃぐ声は頬笑みを生む

そして、消費するために生産をし、知恵を譲り渡して見守る

同じ事を繰り返してきた

深く考えなくとも誰でも世の中の役に立っているのだと思う

オンリーワンなんか求めなくてもいいし、無意味だ

人が平等ならばワンノブゼンムでいいだろう

向上心を持つなと言うのではない

それをもつことも同様だということ

小平邦彦だって、アインシュタインだっておそらく自分がオンリーワンなんて思っていなかったようだ

彼らの書籍によればだが

小平邦彦が知らない人は調べてね

人を傷つけるのは話が違う

でも、傷つけずに生活するのは困難だろう

それは、役に立っているのか

生物学的に言えば全ての生物は必然なのだそうだ(ドーキンスによれば)

そんな存在も役に立っているのだろう

許せるか許せないかとは問題が異なる

自然界に存在する物はすべて役に立っているのだと思ったりもする

無理やり造ったもの、自分たちの手に負えないものを造形するのは醜いし不必要なもの

神に近づこうとしたバベルの塔然り・・・・

けれど、進歩無くして未来は存在するのかという考え方もある

もし、自然科学などと言うものがなかったら、原子力(爆弾も含む)は生まれなかったかもしれないと考えられるか

扉の向こうに何かがあるということが分かっているのに開けずにはいられないのが自然科学者なのだそうだ

そして、それは開けてはならないというのが宗教家だそうだ

そして、双方を上手に使うのが政治家

うまいことを言うものだと納得したことがある

それらを超越するのが倫理観

有無を言わせないのがロジック

でも、そんなことをすべて超越するのが無知

だから、社会は楽しいのだと思い込む

皆がフォン・ノイマンだったら世の中はどうなってしまうのか

バラバラでいれることの自由さと価値をもっと有効に使いたいと思う

それでもいいように法というものがあるのだから

質より量、量より質

先日医師会が、医学部の増設に反対するという声明をだした

理由は医師の質が低下していて、これ以上下がったら困るというものだった

ほう、そんなものかニュースを見て感じたのだが

6年間の教育ではそれまでに養われてきた資質を変えさせることができないということなのか

確かに国立の医学部に足かせなしで入学するのは困難なことで、受験勉強に長けた人間たちが集まるというのが通説だったわけだから、

むやみやたらと増やしたら、そうじゃない人間たちがたくさん医師になる機会を得るということなるということなのだろうか

だったら、入学の難易度を下げなければ済む話だと思うが、そうもいかないのだろうか

それにもしかしたらその困った現象がすでに社会で起きているということか

それとも、他に理由があるのだろうか

医学は飛躍的に進歩しているらしい

それゆえ、難しい名前の病気と対処法が細分化されている

医学に暗い人間からすれば、ほう、そんなものかと言わざるを得ない

尿一滴で病気がわかるのだとニュースに流れたのはつい先日のこと

そのうち、医者もコンピューターにとって代わられるのかもしれない

昔、昔「ブラックジャック」という漫画で見たことがある

世の中の進歩はかつてのSFを凌駕するだろう

世の中の進歩は素晴らしい

質より量を求めるものとして、かつてヨーロッパの人口が飛躍的に増えた理由の一つは

ジャガイモが原因だそうだ。たくさんの人に食料を与えることができたからということらしい

そう言えば、教科書が弁当になるというあのCMは衝撃だった・・・・

 

ところで、話しは全く変わって、わが青森県では先生の仕事が激務すぎて手に負えないから

教師の数を増やそうという声があるらしい

氾濫する文字がもたらすのは

どこにでも存在する文字が印刷されたペーパー

ポケットから取り出して触れるだけで流れる文字

背負ったバックパックに詰め込まれた教科書

コンビニに行けば雑誌とともにおかれた書籍

本屋よりも大規模のリサイクルブックストア

さて、一日にどれだけの文字を読んでいるのだろうか

そして、話を聞けない人(耳が不自由という意味ではない)向けに

テレビで表示される画面の文字

どれを選択すればいいのか、何を規範とすればいいのか

難しい

読書好きと一言で言っても趣味の違いは話題の共通性をもたない

皆が同じ本を読んでいるのも気持ち悪い

端末の進化によって簡単に知ることができる現在

簡単にコピーできる現在

確かに、ネットで無料で手に入れることができるのと同じような書籍や

書籍ではわかりにくい情報を提供してくれるネット環境

文字はいろんな影響と無関心を造る

選択する自由

強制される心地よさに浸る自由

疑問をもつことの自由

何かを訴えたいが、言いきれないブログ

フー

この歌詞、子供たちに聞いてほしい

別に大人でもいいんだけど