ペレルマン

「ポアンカレ予想」なる難解な問題を解決したロシアの数学者

彼が自信をもって名だたる数学者の前で解説した時、誰も反応する者がいなかったそうだ

それは、そこにいる高名な数学者たちにとっても難解すぎる話だったらしい

その後彼は失意なのか、ほかの理由かは定かではないが

彼は隠遁生活に入る。

今でも何かしらの問題に取り組んでいることは確かなのだが

誰にもそのことは告げないそうだ。

彼の難解な理論は人知を超えていたのかもしれない。

チャップリンがアインシュタインと話をした時

アインシュタインが「あなたは素晴らしい、世界中の人を喜ばせる」

それに対してチャップリンの答えは

「あなたのほうが素晴らしい、世界で5人も理解しているかどうかわからない理論なのに皆があなたをすごいと思っている」

いわゆる天才ってこんなものなのかもしれない。
この人たちもそんなことがあったのかなあ

集中力

これは非常に難しい。

鍛えてこなかった人にとっては

自分が集中できることならあるんだけど・・・

顔はこっちを向いていても頭ははるかかなたに飛ばしてしまっては

どうも・・・・

勉強って意外に体力もつかうんです。座っているだけだろうって?

そんなことはありませんよ。

テストが終わってさあ部活だ

なんて、普通はおかしいんだけどね・・・・

では、どうやったら勉強に集中できるか。

好きになればいんですよ。

そんなことは無理だって

だったら、なんか打算的な目標でもいい

それも見つからない?

新聞とか、ニュース番組とか見てごらん

やりたいと思いはじめるから

たぶん、きっと

受験生をもつと

イライラする親御さんが増える。

今まで放任できたのだが、最期はどうも辛抱たまらなくなる。

言われる方のいらだちも言いたくなる気持ちもわからなくない。

ただ、一番いいのは平常心に近い状態を維持するようにするのが一番いい結果につながるということ。

これは間違いない。

だから、少し互いに眼をつむる部分を増やして

子供たちは頑張っています。テンションをあげてやる方法を考えた方が効率いいですよ。

ゲームをし続けたり、テレビの前に居座ったり、携帯で何やらやってたり

そんな場合は言ったっていいと思うんですよ。

でもね、タイミングを少し考えてやればさらにいい効果が出ると思います

みなさん冷静に。

それでは神の授かりものをどうぞ

できないこと

できないことなんてたくさんある。

でも、やらないことの方が多いような気がする。

別に勉強に限ったことではない。

そして、自分をも鼓舞する意味でもういちど振り返ってみたい。

やれないこととやらないことの差。

理由をつける前に、いいわけを考える前に

もう一度

志望校の決定

なぜ、そこの学校に入学したいのか?

この質問にたいして答えの多くは、いい大学に行きたいから

いいところに就職したいから

これが一番多い。

そこでなければ学べないからという意見もあるがかなり少ない。

では、それは悪いのかと言われれば、そんなことはないと思う。

実際、日本社会の多くはそれを判断材料にしていることは事実であるわけだから

アカデミックな意味で学業をしたいのだというのが正しい学校の姿なのだろうが

就職支援に熱心な大学の人気が高いとろをみてもやはり、そうもいかないらしい

それでも日本は世界の中では自由で豊かな国の一つであることに間違いないわけだから

間違ってはいないのだろう。

おそらく、今そのような年頃の子どもをもつ親御さんの時代よりは現実も厳しいわけだから

戦いに加わるか、全く別のことを考えるかという判断になる。

そして、ここでも考えてほしいことがある。

そこの学校に対する判断は社会が決めるということだ。

自分は努力してここに入学したからとか

親が言ったからとか

そんなことは通用しない。

日本の学校にはしっかりと冠詞が付くのだ。

このことをはっきり確信してほしい。

そのために情報収集グッズはみな持っているじゃない

まだできる。そんな気持ちを忘れないでほしい

あとひと月

と言いたいところだが、そんなことはない。

あと二カ月と考えてほしい。

高校受験まではあとひと月。

大学の入試が今年閉め切るまでにあとふた月。

切符を手にするまで受験は続く。

したがって、二年生は後一年ほどだということ。

部活動が終わってからでもないし、修学旅行が終わってからでもない。

もちろん学園祭が終わってからではない。

目標を立てて目指す。具体的な方が立てやすいが、そうもいかないかもしれない。

だったら、せめてレベルを考えよう。

高校受験はこの地域だけの戦い。

大学は全国区。さあ、考えてみて。何すればいいか。

曲は自分の好み、若い子たちに迎合するつもりは全くない。と思う・・・・

予報が外れて

最近は青森市の予報はほとんど当たらないからうれしい。

一時間程度はかかる除雪作業は・・・・

もう雪は見たくないからといった受験生がいるが、その分夏はくそ暑いぞ。

ここよりも寒いところを受験する人がいる。

都で受験する子がいる。

これから始まる生活はいずれも楽しそうだ。

いや、楽しいに違いない。

皆の志望がかなうことを願ってやまない。

それと、あと春が来ることを。

何をするにせよ

まずは、気持ちが大事かな。

いろいろと悩む年頃の子たちと付き合っていると

最初はそこから始まる気がします。

個人差はいろいろとありますが、自分を偽るというのは少なくありません。

それが悪いというのではないんです。

自分を着飾り、自分を擁護するというのはプライドを持っているということでは

と考えます。

ただ、いつも言うのですが、遅いという言葉が当てはまるような年頃ではないんですよ。

私が付き合っている子たちは、まだまだ時間があるんです。

もちろん少しでも早くというのは当たり前なのですが、

それはそれとして自分が方向性を見失ったら、少しバックしてもいいじゃないですか。

おかしな道を突き進み続けてごまかしていたら、本当に道を誤ってしまいます。

嘘は自分を大事に思う人間の防御と考えれば向上心があるという風にも言えるかも知れません。

でも、間違っていると思ったら軌道修正すればいいんですよ。

それだけ。たった、それだけのこと。

アベレージ

まったくもって、不思議な数値である。

人によっては安心を覚え、人によっては落第点だと認識する。

いずれにしろ。正しくもあり、そうでないともいえる。

もう少し進めて偏差値というものがある。

これも同様だ。

やはりこれも定かなことは何もない。

母集団の能力によって値が変わる偏差値は本来の定義ほど確かなものではない。

A高校の偏差値で60。B高校では同じ点数で偏差値50。もちろん同じ問題で

そんな不確かなものに迷走するのはうんざりなのだが、

それでも目安になる。

同じようなことがテストでも言える。

それで、何が計れるのか?

それでも、やはり目安になる。一部の人間にとっては

平均と銘打ったが、つまりは今の状況じゃ何の目安にも不確かだということを

考えてみてほしい。

もちろん良ければいいし、悪ければ困る。

でも、それに依存するのはどうだろうか。

百歩譲って、市内の中学校のデータは使えるが、高校は・・・・

人は信じたいものを信じるのであって、それが真実であるかどうかなんて影響しないことが多々ある。

今、一年、二年、あるいは入学を目前にする人たちは考えてみてほしい。

ルサンチンマン

やらないんじゃなくて、やれないんだ。

努力してもわからないんだ。

勉強の仕方がわからない。

教える人が悪い。

頭が悪いから。

そんなことは年をとってからのいいわけにとっておいた方がいい。

その頃にはそうだよねと周りも納得してくれる。

まだ、年端もいかない若い子たちはそんなこと言うな。

99パーセントの努力と1パーセントのひらめき。

とは、言わないが。誰でも努力している。

悲しいかな。言い訳は頑張らない人間の口癖が多い。

「うちの子は頭悪いから」

そんなことを本当に思っている親はいない。

別に勉強したくない人間に言うつもりはない。

少なくとも、うちに通ってくれる子たちは勉強しなければならないという思い
をもっているのだと信じている。

他にも道はある。それはそっちでどうぞ。