解けない

その問題が解けない。と言うがどうも意味がいろいろあるようで。

解説を見ても理解できない。そもそもその発想が出てこない。などなど・・・・

基本を忠実にと言ってしまえば簡単だが、どうも本人にとってはそんな簡単な話ではないようだ。

とりあえずは理解しているけど、その単元の問題の解答を作る段階になると・・・・
チャートを勉強しているときはわかるんだけど、テストに出されると・・・
解説を聞いているときからよくわからない。
数学が嫌いだ。

とまあ、千差万別だ。

その一つ一つにはそれなりの答えがあるが、かなり根深い場合もある。もちろん、ほら。ああそうか。
なんて場合もある。

原因はそれ以前に存在するという言葉がある。

そう、たいていの場合はかなり前にあることが多い。中学生なら入学して数カ月、高校生なら一か月もあればついていけなくなっている。

詳細はいつかに回すことにするが、とにかくわからない場合はすこしでも早く対処したほうがいいと思う。

そこで、どうやって対処するかが問題となるわけで、いろんな手段の中で宿題を埋めるというのは数学に関しては大抵当てはまらない。そんなことはないと反対されそうだが、これはこの地で長く学習塾をやってきた立場としての意見だ。
まじめに宿題を埋めることに時間を費やす人の多くは、たいていラビリンスに迷い込む・・・事が多い。

その程度でいい人は悩む事も少ないだろうが、たいていは意識の高い人間ほど悩む事が多いのも事実だ。

さあ、どうしよう。万人にきく処方箋であればいいのだろうが・・・

うちに通う子供たちはいつも見ているので、こちらから目が届くし対処ができる。

もし悩んだらどうぞ。そしてできるなら早めに行動してほしい。

目標の高い人、待ってます。

目標が見つからない人、待ってます。

お話しましょう。繰り返すけど、できるだけ早めにね。

ちょっと長いですけど、題名がいい。もちろん曲も、演奏も

受験生の健康管理

不思議なことに(そうでもないかもしれないが)受験生はひどい風邪(インフルエンザ等)にかかる子たちが少ない。あくまでも比較論だが、毎年感じている。
いいことはいいこととして信用しようと思う。理由なんてどうでもいい。受験生に支障が無ければそれに越したことはない。

笑い話にしてはいけないが、ワンシーズンに二度インフルエンザにかかった子がいた。そんなことあるかと思うかもしれないが、医者によると別の種だということだった。幸いその年は彼にとって受験で無かったから幸いだったが。

学校の医務室とかに冬行ったことがあるだろうか。もうずいぶんと古い記憶だが、常に蒸気を出して湿度を高めていた。思えば、あれは風邪予防だったのだろうと思う。

受験生のみなさんには
これからますます寒くなる→乾燥する→お肌が荒れるじゃなくて、喉を傷める。→菌も飛び散る。
つまり、ろくなことはないので、とにかく予防に気をつけてほしい。部屋の湿度をあげろ

万全に近い状態でセンター、二次、私立、あるいは高校受験の望めるようにしてください。

根拠はよくわからないけど、ビタミンCはとって、おしゃれよりも暖かさ。

そして、この数カ月だけは自分のことだけ考えてください。ひどい表現かもしれないけど。周りは皆それを望んでいます。

全ては自分のために

「小学校では小学生の教科書をやっておけばいい。」

「中学生は受験(青森の高校入試選抜試験)の程度をやっておけばいい。」っていうけど

だったら、その次は?

これが長年疑問に感じていることの一つだ。もしかしたら高校の先生なんかも嘆いている人がいるかもしれない。

あくまでも予想だが。

それとも同じくカリキュラムをこなせばいいと思っているのか。

ソファー問題というのを御存知だろうか。検索すればすぐに出てくるだろうから興味があったらみてほしい。

これは日本の教育では扱わないが、欧米では高校の数学で扱われる問題なのだそうだ。ここで私の立場は日本の教育は欧米に劣っているなどとは思っていないことを始めに言っておく。

考える力が劣っている。計算は速く正確だ。これが日本の教育を批判する場合の決まり文句なのだが、そうやって入試問題が作られている以上しょうがないと思う。

例えば推薦とかAO入試とういうものを廃止したいと思っている社会風潮があることも問題だ。

いい子でいろ。先生の言うことを聞け。やれと言われたことだけやってればいい。

それで社会が望むような人間ができているなら、もっと推薦やAOは評価されるはずなのだが・・・・

これから受験を間近に控えた各三年、あるいは受験生は別として、一年後、あるいは二年後、それ以上あとに受験を控えている人は考えてほしい。

偏差値の高い○○になるのか、役に立つ知識と知恵を身につけるのか。

考えて、頑張れ、いや頑張ろう。子供たちには夢と希望がある。

毎回レトロかもしれないけど

 

とにかく応援してます

雪景色の季節がやってきた。タイヤも交換したし、他にもいろいろ冬支度をした。

イコール受験のシーズンである。今から頑張るのではないのは言うまでもなない。今までやってきた人がやっと確かめられる時期がようやくやってきたのである。
もう少しで成果が出せる。

くじけそうなこともあっただろうし、なんで自分が、なんてこともあっただろう。でもね、それは全部あなたにとってプラスの効果になるんだ。途中でくじけてしまって投げ捨てた人間が多かった中でよく頑張ったんだ。

それを評価するのはまず、自分ね。それと家族。そして他のもろもろの人たち。

鬼が笑うなんていう言葉もあるけど、春には笑っている自分を想像してください。それがいい方向に自分を導くんだそうです。

寒い。足元が悪い。雪が顔にぶつかる。道路が狭くなる。いろんなハンデがあるかもしれないけど、寒い冬の後には春が来る。

というわけで、ひねくれ者はこんな音楽を受験生にささげます。

「思い立つなら今」それに間に合った人たちに

勉強ができるひと?

勉強ができるって一言にいうけど、それっどういうことなんだろうか。
短絡的にいうならば評定が5とか4ばかりで、テスト結果も順位が一ケタで、てな感じかな。

そういってしまえばそれほど価値があることとは思えない。それを目指していることに疑いを持たないことはここ(青森市)においてということなら、なおさらだ。こんなことを学習塾をやっている人間が言うのかなんて自分でも思う。

それが、中学であれ、高校であれそこから得られる結果って・・・。
そんな考え方は打算的だろ。なんていう人がいるだろう。そんな意見は承知の上だ。なんせここで長く生活してるんだから、しかも子供たちと接しているのは多めのほうだ。

したがって勉強ができるということは全く意味が無い。
それを言うならば、あなたの目的に足りる学力を持っているかということが大事になる。

具体的な例をあげるなら、偏差値が60程度で医学部を狙うには足りないだろうし(そんな医学部があるかもしれないが、例外はいちいち気にしない)、学年で一番をとったからといって東大に入れるわけでもない。

あなたの目指していることは何か?やはりこれが一番大事なことであると思う。

目的もなしに大学に行く奴に金なんか出さない。とか、高校になんで行くのかなんて目的とは微妙に異なる。
そんなことは以前の問題で、ここでの問題とは違う。

例えば、A大学に入学したからあの子は優秀だ。←これは一般に聞く。
けれど悲しいかなそんなことを言う人間にその人の価値判断を決定することはないのが普通。
その大学に価値があるかどうかは、社会が決めるのであって、自分がいかに努力したかなんてことをくみ取ってくれることは少ない。

実際こんな話がある。ある有名大学に入学して無事卒業し、いざ入社面接。
「あなた、うちではB大学以上じゃなければ・・・・」
本人は自分の学校に誇りを持っていたから、悲しい現実である。
そんな会社はこっちから蹴ってやればいい。そう思う。けれど、上場企業では珍しい話ではないからたちが悪い。

人間性がとかもっと見てくれる社会になればいいと思うのは誰も同じだろう。けれど、そんな風に今の社会はできていないようだ。

SCHOOLに冠詞が付かないのはそれなりの意味があるのだろうが、誰もそんなことは思っていないはず。
だから、必死になって頑張っている子たちがいるんだと思う。ならば、そんな子に言ってあげたい。

もっと頑張れ、もっと希望を持て、もっと苦しめと。受験なんて頑張った奴が勝つんだ。
スポーツとか芸術とは違う。才能がそれほど問われるようにできてはいない。

勉強ができている人間はなおさら、目標がある人間はさらに。

「思い立つなら今」そんな思いは四六時中いつでもってことだから。

ちなみに写真は悪魔的頭脳の持ち主。