今日は受験生ではなく、とはいってもはたしてどこから受験生からという定義は難しいのだが。
そこで、一、二年生ということにする。
まずは、時間がたくさんある。これも基準が難しいのだが、少なくとも近々に受験する人から見ればと言うことだ。
そこでだ、何か間違ってたらやり直せばいい。あせってそのまま続けることは危険だ。
早く情報を得て、やり直すべき。
もちろん、そのままでいいことだってたくさんあるだろう。
数学だって、英語だって、国語だって・・・・
やり直す時間が無いなてことはない。
もう一度振り返ることを恐れてはいけないと思う。
今一度、今のままでいいのか考えてみるのはどうだろう。もちろん、自分で。
人の意見は鵜呑みにするなって。悪意はなくても本当だとは限らない。善意の嘘かもしれないし、無知かもしれないのに、しったかぶりしているだけかもしれない。
やり直しはきく、そう、もう間に合わないなんてことはない。
必要なのはやる気と、自分に対する素直さかな。
誘惑
この教科は捨てて得意教科に専念しよう。
このあたりにやまをかけよう。
もしかしたら、確率的に当たる解答がたくさんあるかも。
その日、耳の後ろから答えが聞こえてくるかも。
最後は冗談として、今は全てに着手すること。
受験は博打じゃない。(そうやってうまくいった人がいないわけではないが)
時間の許す限り隅々まで頑張りましょう。
それが受験です。
センターまであと二週間以上。けっこうできることはある。
やることが自分でわかっているなら、部屋に閉じこもって鉛筆を動かせばいい。
不安なら学校に行けばばいい。
いずれにせよ時間は自分のためにだけ使えばいい。
人への気遣いはいらない。自分のためだけにこれからは使うのが本当かと・・・・
書き初め
俺がそんなことをしたら、知人全員に笑われる。
いろんな理由はあるだろうが、一番は悪筆だ。
だから、今までもそしてこれからもしない。
だからと言って誰にも迷惑はかけることはない。その程度のことだ。
好きだからと言って、おかしな本や映画に影響されたら、周りに迷惑をかける。
したがって好みだけで行動するわけにはいかない。
なるべく周囲にめいわくをかけないで、そして、好きなことをする。
それが許される自由ってやつだ。
でも、そんなことってよくわからないというか判断は難しいっていうか・・・・
だから、好きなようにやってみよう。
いまやったら?
なんだか、日本中が特別の意識に取り巻かれている今、ふと机に座ってみるのはどうだろうか。
なんだか、すごいことをしているような気がするかもしれない。年末から一瞬で新年になるこの時、机に座ってみたら?
なんだか、すごく自分がストイックで頑張っているような気になれるかもしれない。
そして、静かに目を閉じていい未来を想像してみる。最高の未来を。
できたら、この音楽聴いてみてください。
わからないから
わからないから面白い。
それにしたっていろいろある。例えば、手品。最近はもっとしゃれたイリュージョンなんて表現もあるが。
あれは種を知ってしまえば面白くない。上手にだましてもらってくれて楽しめる。
オカルト。わからないから面白いとは言わない。わからないから怖い。あるいは信用しようとしない。理由もわからずなら、どちらも大差ない。
わからないことを、わかろうと努力すれば、いずれわかってしまうことがある。だったら、つまらないじゃないかって?
そんなことはない。むしろわかっていることの方が少ないぐらいなんだから。
だから、次々とわからないことは増えてくる。そう、知れば知るほどわからないことは大きくなっていく。
そしてまた、それを知ろうと努力する。
いわゆる好奇心はこうやって大きくなる。
しったかして画面を指でスライドさせる輩の話は、だからつまらない。
言葉の通じない人間と話をしてるんじゃないんだから。
何に対して好奇心を膨らませるか?
それは個人の好み。
こういった面でも勉強は必要なのかもしれないと思う。
それは、ある種のマジックのように楽しい。
入試改革
例えば英語が試験からなくなる。これはすでに始めている学校があって、独自の資格試験のような形を設けているようだ。
やがては英語が試験として無くなるかもしれない。これはずいぶんと前から中教審あたりで話題になっていた。
英語が必要ないとはまったく思わない。ただ試験の必要があるのか?とは思う。
理科は・・・あった方がいいんじゃないかな。じゃないと科学もどきにだまされる人間が増えてしまう。
それに日本って確か技術大国だったはず。だったら・・・
同じ意味で数学も必要じゃないかな。
社会は・・・・近代史ぐらいはね。
国語は必要でしょう。ただ、設問の形はいろいろあると思うけど。
などと好きなことを言ったところで、改革を行うのは受験エリートだった人間たちの年老いた人たちだから・・・
受験なんてなければいい。
勉強したい人間はみな合格させればいい。
一発の試験で判断するな。
それぞれ意見はあると思う。でも、既存の制度はすぐに変わらない。
もし、変えたかったら、受験して決定できるようなエリート集団になってそんな会議に加わるしかない。
ぐるぐる回る矛盾はずっと変わらない。
だから、考えても無駄。
今、与えられた条件の中で頑張るしか術はない。
それは泣きごとでもあきらめでもない。前向きに向かおうじゃないですか。
おかしな推薦ではなくて、自分の力で頑張れた方がいいでしょう。
自分で考えて、自分で頑張れる。自由って素晴らしいと思おう。
やる気がでない
勉強する気が起きない。これは勉強しなければならないという気持ちがある。
勉強したって・・・・。これは強がりか、他の目標がはっきりしているか・・・逃避
やる気にならない場合、周りはどうするべきか。放っておけばいい。
それじゃ、なんにもならないだろうって?
そう、なんにもならない。だから、人は勉強することを進める。
なぜ?
勉強すればこんないいことがある。あんないいことがある。いやいや、そんな素晴らしいことなんかないよ。
でも・・・・
ここからが肝心。たいていの大人たちは自分たちが子供の頃はもっと勉強したなどと言う。
子供はそれを聞いて自分の親は立派だなと幼いころは尊敬する。ところがそんな頑張った親の姿を見てそんなものかと気づく時がやってくる。
あるいは自分は勉強ができなかったから、お前には勉強して立派になってほしいなどという大人がいる。
勉強したって立派にはならない。立派な人間と学問には何の関係もない。
勉強すればいいところに就職できて・・・・またまた、そんな嘘を言う。
勉強(ここでは受験勉強)したって立派にはならないし、たとえ東大に行ったからと言っていいところ?に就職できるとは限らない。
やっぱり勉強なんて意味ないじゃん。という結論になってしまう。
つまりこれが今の教育の問題点だ。
打算的な理由を陰に隠し、暗黙の了解できれいごとを並べる。
その号令でハメルーンの笛吹き同様、一目散に突き進む。
それじゃ、お前はどう考えているんだって?
勉強すれば楽しいことが増える。
どんな?って
それはやってみなきゃ分からないよ。自分で探してみればいい。と、突き放す。のがいいと思う。
でも、なんでもそうだけど、初めは強制じゃないのかな。なんてことも思う。
関係なし。好きなだけの曲
雪かき
雪かきとかけて、受験ととく。その心は、やがて春が来るでしょう。
お前は笑点か。そもそも、全く違う。
雪かきは毎日やってもやっても、次々と降り積もる。ここをやったと思えばあっちに溜まり、そっちをやればこっちが積もる。物理をやってれば英語が残り、英語をやってれば・・・・
雪かきをしなければ道路に出ることも困難。勉強しなければ受験に合格できず、次のステップに進めない・・・
あれ、意外ににているかも
ただ一つ大きな違いは雪かきは行政がやってくれたり、金さえ出せばやってくれる人がいる、もちろんボランティアも。受験は自分が努力しなければどうしようもない。そう、自分が努力しなければどうしようもならない。
仲間と一緒に手を取り合って、なんていう輩がいるが、受験はそんなに甘いくない。そもそも全員が失敗することも、全員がうまくいくこともない。
受験は孤独なんだ。
けど、同じような志をもつ人間が周りにいたら・・・それはライバルだろって?
いやいや、そんなことはないライバルはだから自分だって。
シビアなことをいうようだけど、自分に勝たなきゃどうしようもない。
辛いんだよね。他にも辛いことなんていっぱいあるだろうけど、立場上彼らの辛さは毎日目にしている。
でも、それだけじゃないから。頑張りましょう。
これじゃ、救われないから
きっと春は来る
アンダープレッシャー
身体の調子はいいですか。そうですか。それは結構。
机の周りがとっちらかってませんか。頭が整理できてればそれでオーケー。
またなんちゃら寒波がやってくるっていうけど、大騒ぎするほどのことなのか。フツー←バカっぽく
世間では赤とか緑とかの飾り付けを多分片づけているはず。最近は欧米化で飾り付けをずっと外さない家もあるようだが・・・
次は年末正月じゃなくて受験。
プレッシャーをかけてるんじゃない。
不安? それは十分努力してきたから
プレッシャーにつぶされそう? それは十分準備してきたから
怖い? それは賢いから
と、言うわけでアンダープレッシャー
冬の勉強会
始まりました。これから三週間ほど。人によってはほぼ休みなし。
初めの一週間ぐらいは疲れちゃうみたいだけど、それを乗り越えれば楽になる(慣れる)。
こっちはもちろん頑張る。短期間の人もいる。もう何年も通っている人もいる。
私は出し惜しみはしない。その人が望むならどこまでもさらけ出す。
学年は特に意識しない。もちろん年齢も。
短期決戦だけど、その分関係は濃密になる。お互いを知るということは向こうもこちらも気持がわかりあえるという利点がある。
したがって、その後にはさらに伸びてくれる子供が多い。
結果を出すことがうちのような仕事の役目なのは当たり前。
できるなら、もっと、もっと上。
長くいる子は得意科目がほぼ数学。うちの看板は数学なら「無限塾」となっている。
毎日私は見ている。そうなんだよな、と思う。だから手は抜けない。
数学が伸びるための方法の一つとして「時間をかけて考える」ということがある。
問題を解くときに「あの問題だ」という程度の問題がある。でも、難関にはそんな問題以外も出題される。
そのとき、ノーヒントで、どうアプローチするか。その時は一人で対処すいるしかない。
失敗したら、親に叱られたり、先生に勉強不足と言われるような些細な結果では済まない。
答えだけを知りたいという人がいる。問題外。
解き方を知ればすべてが解決すると思っている人がいる。だったら問題集の題名でそんなことを謳ってるものがたくさんある。けれど、その通りに行く人間は少ない。全てを調べたわけではない。けれど、結果を見れば歴然。
一年間で全てをクリアーする・・・不可能ではないかもしれないが、他の教科が完璧なら。
やっぱり時間はかかります。
話がずれちゃったけど。とにかくこの三週間頑張りましょう。
好きなだけの曲です。他意はありません。