今でも、そしてこれからも

見栄を張って、大口を叩いて、気にしてないよってな振りして、何だってできるよって・・・
いいじゃない。そういうのも。

辛くなったら引き際さえ間違わなければ。

何かに怯えている子供たちが多い気がする。わかったような顔してあきらめるだけを待っているような。
多分偏見じゃないだろう。

自分なんて、どうせ、やっぱり・・・・

この歌を歌った頃の彼の境遇、そしてこの歌。決して美声ではない。けれどなぜかこの歌を彼が歌うのを聞く時自分が小さいなんて感じてしまう。
達観したような人間にしか歌ってはいけないような歌。

頑張れなんて簡単に言える言葉じゃない。だったら、少し勇気を出して頑張ろうと言いたい。
いろんなことで、いろんな場所で、いろんな立場で、けれど今こそ子供たちに向けていいたい。

未来を語るなら子供たちの頑張りに期待するしかない。大人たちがこねくり回したってろくなことなんてない。

子供たちが作る未来は子供たちが選んだ世界。そこが未来に対する希望なら賢い選択をしてくれるような教育をすることが最優先だろう。

子供は黙っていろなんていう風な、いつまでも囲っておくような、自分たちの愚かさを隠して美辞麗句だけを放つような、そんな社会はおかしいんだよ。

もっと子供たちに期待しようと思う。子供たちに自分たちができるということを知ってもらいたいと思う。
そしてそれはそんなに難しいことではないと思っている。

私はそんなことをいつも思っている。

「思い立つなら今」さあ、始めよう。教育も学習も大事なんだよ。

 

一年前にブログを始めました

いいたいことなんていくらでもあります

ただ、あらためて一年前のちょうど今日、こんなことを書いていました

今はどうか?

ますます、そんな意識は強くなっています

開塾してから、ずっと、そしてますますこの気持ちは強くなるばかり

人は、期待されるから頑張れる

だから子供たちに期待するんです

それを忘れたら、指導する人間のはしくれとして

自分が許せない

毎日がスタート

ゴールは?

そんなもの決めなくたっていい、いつまでも続く

だから、たのしいんじゃないか

 

自己本位

機会があって、養老孟司氏の講演を聞くことができた

彼の書籍をかなり読んでいる者としては

やっつけの感は否めなかったが

生の雰囲気はうれしさが先行した

彼が一番最初にボードに書いた言葉がこれ

どう受け止めるかは各々だと思う

ただ、やはり彼の言わんとすることは溜飲が下がる

書籍でもうなずくことが多い

実践することはかなり難しいであろうことを

いつもの笑顔で話しておられた

大きな刺激であった

大きなリフレッシュだった

やはり、間違っていないという確信を確かめられた

機会があればもう少し長い講演を

もっとやる気のある場合の話を聞きたい

尊敬する人物の一人だ

現存しておられる数少ない人物

気持ちよかった

おかしな感想かもしれないが

気持ちよかったというのが総合的な感情

冬じゃなくても寒いものは寒い

朝晩の冷え込みが厳しくなり

一ケタどころか、1度

通学の行き帰り、お気を付けください

今週だけ時間変更をしてます

それも、お気を付けください

このHPを開設して、あと少しで一年になります

遅ればせながら、知人の助力により開設しました

あらためて見てみると

随分といろんなことを書いてます

間違いなく本気です

随分と言葉に衣を着せてますが

ある子には、まるで別人の様だともいわれました

たぶん、衣が厚すぎたのかもしれません

かといって、ある意味公の場において

ズバリ書き込むわけにもいかず

稚拙な語彙を駆使してます

でも・・・・・・

そろそろ衣を薄くしようかな

などと、皆に止められそうなことも考えている

今日この頃です

まあ、言葉を理解してくれる人なら

ごく当たり前のことを話しているだけなんですけど

・・・・・・・・・・・・・・・ね

https://www.youtube.com/watch?v=PFFR6d5YqZ0

歌詞がちょっとネガティブだけど

懐かしくて

一番の変化は

本人が気づかぬうちにいい方向に変化する

これが最高

何かに努力していると気づかぬうちに進化し

それが変化ということになる

努力すれば夢がかなうなんてことも言わない

あまりにも無責任な言葉

努力しなければ何も変わらない

これだったら、聴く耳ももつ

無責任な甘い言葉を放つ人間が一番の害悪

人は何かしらの変化、この場合は進化という方がいいかも

を求めているんだと感じている

だから、悩んだり、落ち込んだりするんだろう

もし、なにも望んでいないなら

そんなこととは無縁

だから、いろんな感情の多くは

進化したいという向上心の現れ

さあ、そこでだ

もし、努力するなら

夢に近づけるような努力をしようじゃないですか

中途半端なことはただ苦しいだけ

そんな努力を続けても・・・・

夢多き、夢が大きな人たちに捧げます

https://www.youtube.com/watch?v=oAlBXABTXho

一生懸命な子たち

どうにか、頑張ってついてきている子がいる

一生懸命頭を動かそうとしている

答えを暗記しようとしている子がいる

まるで他の教科と同じかのように

定期テストの結果でとれた気になる子がいる

そのテストをどうにかするのに必死な子がいる

定期テストなんて赤子の手をひねるかのような子がいる

自分の目的とするレベルがわからないで甘えている子がいる

見ることを恐れてうそぶく子がいる

自分の目的とするレベルが分かって怯えながらも頑張る子がいる

どうにか理由をつけて逃げ回る子がいる

そして、それを正当化しようとしている

腹をくくって真っ向勝負な子がいる

なんだか、わけのわからない状態で蠢いている子がいる

自分が正しいと思うことしか言えない

当たり前のこと

その場その場で話すことを変えることができるなら・・・にでもなればいい

そんなことは苦手だ。いや、したくない

だから、目標を最初に訊ねる

あとから、無理だよなんて言いたくないから

だから、きびしくもならざろう得ない

その子が目標に到達しているなら

何も言わない

それをずっと続けている

当たり前の話だと思うんだけど

そうでもないのかと考える今日この頃

https://www.youtube.com/watch?v=kSVqPBLgs7g

甘い言葉がより残酷な場合がある

 

 

脱ゆとりから数年

いつに時代も変わらずやっているので

当塾ではそれほど関係のない出来事だった

で・・・・・・

いったい何が変わったのか

たぶん変わったところは変わったんだろうな

変わらないところは未だにゆとりどっぷりだし

どうせ、がんばったって・・・・

なんて空気が覆っているような・・・・

そんな努力しなくても・・・・

と思う気になる人も多いんだろう

こんな大きな出来事だったのに

その関係筋では何も変わらないし

今の子は今の制度で生きているわけで

数年前のことなんか関係ないだろうし

またこうして格差は広がっていくんだろう

と、ネガティブになっていく

でもね、頑張っているところでは頑張っっている人がたくさんいるんだよ

周りにはいないかもしれないけど

受験勉強って、部活や趣味と違って

評価をするのは親切な周りでも、自分でもない

そこんとこ考えてみてほしい

殻を破る

おそらくからの中は居心地がいいのだろう

そんなことを言うぐらいだから、私はそうは思わない

殻を破ればいいことがあるか?

そこが躊躇させる原因の一つ

「挑戦」「チャレンジ」

同じ言葉だが、これを多用するのはいいことだ

けど、薄っぺらになってないか

こういうことをいうと叱られるかもしれないが

母親の小言のようだ

つまり、毎日聞いているから薄れてしまう

けれど、いつかそれが正しかったのだと気付いた時

年月はだいぶ経ている

ベルトコンベアーに乗っているような生活

そして、大量生産・・・・・・

そんなことに疑問や怒りを感じる人大歓迎

ほめられて伸びるタイプなんていないと思う人大歓迎

綺麗事を聞いていて背中がむず痒くなる人大歓迎

周りから見て自分がおかしいのかと不安に思うひと大歓迎

まだ見ぬものに期待を抱く人大歓迎

できたら、小中高の勉強をそのための道具にしたい人大歓迎

ならんで歩くのが苦手な人大歓迎

経験上、勉強に一生懸命だった、学力優秀だった子たちのタイプを

少しだけあげてみた

自分に自信がなくてもいい

努力を信じれば