随分と若いころからのファンなのだが

どうやって説明したらいいのか

常に困る

そういった作品群たちを

さかのぼって思い出しても

言葉が見つからない

そんな野田秀樹氏の作品

どうにかして観覧したかった

その思いが叶った

やはり悲しいかな

表現力不足で

言葉が出ない

ゆえに言わない

というわけで

気づけば12月も半ば

何かを思い

目指そうかと炎がチラチラとでもついたら

一緒に頑張りましょう

速く、速く、速く、そして正確に

有り体に言えば速くそして正確に

ということになるのだろうが

あえて

上記のように表現する

それは速いということの重要性を重視しているからで

当然のごとく

やらねばならぬことがたくさんある彼らにとって

やがて時間の不足を感じることがあるはず

まあ、なんというか

綺麗にというのは入れていない

整っていればそれでいい

そのことに関しては・・・・

どこまでさかのぼればいいか

小学生の内容か

中学の内容か

それとも・・・・

もちろん一からすべてというのは

あまりにも効率が悪い

ではどうすればいいか

そこなんだよな

当たり前のように個人差がある

そして思い立った瞬間から

それまでの取返しをすることになるので

時間は増えることになる

これは共通項

ゆえに

心構えは必要になる

なんてことは

耳が痛いんだろうな

でもね・・・・

早期申込みありがとうございます

冬期勉強会の申し込みが始まりました

すでに申し込みをいただきまして

ご賛同に感謝いたします

12月1日が早期申込み期限となっております

こちらもそうなのですが

受講者にもいろいろと準備していただくことがありますので

お考えの方は早めにご相談していただければと思います

またご質問がございましたら

ご遠慮なくしていただければと考えております

習慣・飛躍・固める

いろいろあります

ぜひご参加を

勉強は楽しい・・・

試験勉強は楽しくない

楽しいわけがない

それが証拠に合格した後にそれを続ける人は

限りなく少ない

(趣味のように試験問題を見る方もいるので)

勉強というのはその後もずっと続くので

それが嫌な人はかなりのハンデになる(勉強とは机上だけではない)

試験勉強というのはそもそも知識を得るようにはできていない(少なくとも入学試験は)

何かを計るために作られたもの

そのスペシャリストが世の中で活躍することは多いのだから

あながち無意味とは言い切れない(結果論)

ゆえに試験勉強をしないという選択は

そういったことを拒否するということに近づく

眼前の世迷い事に惑わされてしまうのは悲しいことだ

もちろん本人がそれを望むならいいのだが

そういった人はかなり少ない

しないという選択もあると思うのだが(別の目的があって)

するならばやるという選択を優先すればと思う

そしてつまらないことをやるのだから

できるだけ楽しくやりたいという考えはある

それは

アハハと笑うこともあるだろうし

アハ体験ということも考えている

とにかく

できるだけ楽しみとしての要素を作り出したいと考える

当然のことなのだろうが

やがていろんな分野で活躍するであろう子供たち

飛び級がないここ日本では

有無を言わさず時間を費やさなければならないという現実

社会に出てからが楽しいのだということを信じてほしい

今は修行タイム

 

 

基本問題を100問やるより

標準問題を10問解いた方がいいかと

けれどこれには賛否両論があるようで

どちらがどうかというのは

求めるものによるのだろうと思う(100歩譲って)

あっ、数学の話です

どんな問題でそのことを使うかというのは標準問題を練習しなければわからない

ただ、最終的にその程度の問題を解くことが目的なら別

では自分の志望校はどんな問題なのだろうか?

学校の先生にでも聞いてください

もちろんウチでも結構です

いずれにしろ

情報は大事

そういえば高校はテスト週間前

ガンバッテください

今は頑張れ

未来はきっと明るい

ドタバタ

延期?

曖昧な

期限をつけなかったら・・・・

あってもいいのだと思う

ただ何種類もの試験で判断できる程度のものなら

その程度のものなのだろうし

たかが語学に能力を問うのも何だが

それだったら

いっそのこと日本語の資格試験もやったらどうだろう(漢検じゃない)

いや、むしろその方が大事だと思うのだが

入学するまでに語学の試験を三回もするのは

首をかしげたくなる(一回転したらエクソシスト)

小平邦彦が自伝の中で書いていたことを思い出す

「もし、入学試験をまともに受けなければならなかったら今の私はないだろう」

まあ、稀代の数学者を例に出すのは卑怯なのだが

なにはともあれ

現高二はほっとしたことだろう

ふと思いだした曲

ついつい聞き入ってしまう彼ら

 

 

フツウになれば現実になる

乱暴な表現だが

例えばこんな話

自分が子供の頃にはまだ通信機器がなかった

せいぜいトランシーバー

敬譚電話というダンベルのようなものを無理やり腰にぶら下げてたりする特需な職業の方

あるいはポケベルルも当初は特別な職業の方

が使用していたがレアケースだった

やがて進化を遂げた通信機器は

ご存知の状態

手にしてはいるがそれが当たり前の子供たちとはやはり感覚が違う

彼らにとってはそれが普通

私にとっては便利なもの

もちろん現実ではあるが子供たちとは違う

彼らにとっては疑いのない「ある」もの

当然のもの

さて、ここで

勉強に例を変える

当然のように450点を取る子供にとって

それは喜びでもなく当然のことそれはテストの点数の現実

それを取ろうとする努力をしない子にとっては

憧れ

もしくは

仮想現実の点数

他にもたくさん例がある

普通になれば感動も薄れるが

そうなったら次の目標に転嫁する

それが普通になった時

現実になり

当然になる

んんんんん

上手く表現できたか疑問だが

上手く伝わってくれればと思う

秋なので頑張る(根拠なし)

中一はしばし時間がかかるか

中二はしばし時間がかかるか

中三はそろそろカリキュラムを終えそう

高一はそろそろ極限

高二はすでに問題練習

センターは焦らずゆっくりと

現状を少しだけ

だるい夏もすでに過去

ここで軽くダッシュする

小学生はそれぞれ

そろそろ中学のことを始めたいとは思っているが