意外に容易かも

やってみればそういうことってたくさんあるかもしれない

勉強がそれというのはまだ言い切れないが

世の中で数多くの人間がそれをしてきたということを考えれば

そうなのかもしれない

まあ、程度によるかもしれないが

高々、受験の話で

何かを発明しろとかいう難題ではない

ただなぞっているだけのこと

なぞるといえば

写経という作業をする人間が多いが

その中で成績に導かれるのはそのうちのわずか

もし勉強の仕方が悪いというならここかも

どうせやらねばならぬなら覚えるようにすればいい

そんなことに時間をかけたくないなら集中すればいい

ノルマとしてただノートを埋めることに使命感を覚えることは間違いだと

気づけばいいのになあ

そうすれば効率的になるんだと思う

もしかして

書き方の勉強しているのでなければ

そこらへん

再考

お勧めする

きちんと聞いていれば

今までの経験からして

その後に納得するまで復習する子が

伸びなかったことはない

100パーセント

ほったらかし(これはよくある)

そもそも聞かない(レアケースではある)

まずは話を聴けるようになっていることは大事

そしてとにかく速く書く

速く解く

速く、速く、速く

これは大事

 

話は変わって

高校では少ないが

小学、中学で

明らかなウソをおっしゃる方が多いのはいかにするのか

すくなくとも教科内容においての間違いをあたかも正解のように指導する例は毎年のように耳にする

雑談だったらいいのだが

自分も含めて

指導する場合にはきちんと学習したいものだと

思います マル

英語の予習をしないのは話にならない

とりあえずは高校生ということで

数学は予習なんてされたら手間が倍

これは新しい単元に入った時の話

問題練習は英語と同じ

当塾では問題練習に時間を割く

予習もせずにその場で考えられ始められたら

時間の無駄

そもそも

ひたすら答えを写し続けても

たいていは頭に入らない

それで成績が伸びるなら・・・・

ちなみにこれは小中学校でもいえること

ノートがきれいだと

まじめに授業を聴いているのだと勘違いしている場合が多い

黒板から写し範氏を聴きながらメモをする

多少の乱雑さは必然

ノートは自分で読めればいい

自分でも読めない場合は・・・・

それがまとまっているかどうか

何色も色分けしてノートしている場合は・・・・ね

ついでに言えば

速く書くことを心掛けようか

これができないとかなりの致命傷

昨日の続きとして

なぜに先を進むことがいいのかということに関して

いろいろあるんです

それを一つ一つ言いあげるのもなんなので

いくつか

・いろんな分野をまたいだ練習問題(実践問題)に対処する練習の時間が増える

・・・・・・・・・

それがすべてかも

少なくともそうやって今まで結果を出してきた経験

あるいは進学校では(中高一貫校を含めて)当然のようになされていること

至極当然のことをいまさら言葉にするのも照れるぐらい

あらためて

学校に冠詞がつかないのは幻想だと思う

ゆえに

目指すなら

ということで

エクストラコースへの参加をお勧めします

二学期と言えば

一年は本番に突入し

二年は来年を見据えて準備?

三年は渦中

というのは中学生

高校生は入学時から渦中なので

今更どうのこうのと言うこともないか

学期の中で一番長い期間

早い段階で準備をしている場合はこんなこととは全く関係ないか

ところで

反復は最大の効果をもたらす

という考えがある

そうだよな・・・と思うし

嫌だな・・・・とも思う

でも必要なんだよなというのは確かなこと

ただ時間が限られているのだから・・・・

一喜一憂する必要はない

テストが悪かった

テストがよかった

そりゃ、いい方がいいだろうけど

それで何も変わらないことに変わりはない

それよりもその前をどう過ごしたかということ

対策を怠って悪かった・・・・・当然

他にもいろいろ理由を考えるかもしれないが

端的に言えばこれがすべて

結果だけを考えても筋がずれる

次をどうするかを考えるのが当然

精神的理由があるかもしれない

(なかなか口を開くことは少ないがこのケースは非常に多い)

本番までにその対処をするのが得策

よかった場合は本人が一番その理由を知っている

そして悪かった場合も

周りがとやかく言うのもありだろうが

だったら励ましてあげるのがいいのではないか

全員でがみがみ言っても

おかしなしこりが残るだけ

夢を捨てるのは夢を抱くよりつらい

もしつらくなかったら

それはたぶん夢でも何でもない

ただの妄想

勉強する場を変えて早三か月

中学生や高校生になって日々のルーティンにも慣れてきたころ

「ああこんなもんか」

「やばい、場所間違えた」

いずれにしろ停滞はできない

方向を曲げるか

それとも突き進むか

今回の題は後者の方

つまり突き進むことを決めた子のこと

テスト週間も終わり

その数日前の頑張りを振り返る

結果は容赦なくやってくる

そう時間は未来から過去に向かっている

昔々のテレビゲームに似ているかも

同じようにだんだん困難になってくる

それでも困難に立ち向かう

結果はそのあと

それまでに費やした時間

それを考えるとなかなか諦めることはできない

けれど、時間は容赦してくれない

いい結果を得た・・・・おめでとう

そうではなかった・・・さあどうする

それはその時考えればいい

どうせだめだと立ち止まったら

傷は浅い

けれど立ち向かうことなく止めた人には

何も得ることはない

立ち向かった人はきっと何かを得ている

それが何か

本人だけが知っている

結果は結果

問題は過程

こうしてブログを書くことなんかはSNS同様アウトプット

養老孟子氏によれば

”いいたがり”

そうかもしれない

それほど苦にならない作業だ

個人的な意見なのだが

賛同する子がもっといたら

方向性はまたベクトルの向きが変わってくる

それは私もそして子供たちも

勉強する(真剣に)子はマイノリティだ

孤独な戦いを強いられる

自分の進んでいる方向は正しいのか

それとも・・・・

今現在は・・・・

そんなことは想いを異にする集団の中では特に

つまりは同じくする子がいればいるほど

それは勇気に変わる

残念ながらそこまで集団は大きくない

競うという強制がよい影響を作り出すことは知っている

問題をよく見て考えてみよう・・・か

中学生でも小学生でもそうかもしれないが

主に高校生

Aボタンを押せば解答Bが出てくるような問題もあるが

それはそれでそんなボタンを押せばいい

この練習はそれはそれで大事

たいていわずか数行の中にいろんなことが書かれている

たいてい良問と言われるものは文章が短い

そういうことをたまに言いたくなる