ボルトも観たいし、錦織もみたいし

まちがった

桐生も観たいし・・・・・

100mは面白い

やっぱり、世界のトップレベルの試合は面白い

素人はちょっと・・・・

オリンピックはほぼ半分

楽しみたい・・・・できるだけ

観れるものなら本物がいいなあ

この本物っていうところが意味深だけど

・・・・・すげえー、ボルト

あっ、がんばったね桐生

クロスロード

悪魔と魂と引き換えにギターの才能を得たという逸話

それを題にした曲を奏でるエリック・クラプトン

神様とも天才とも呼ばれるギタリスト

神か悪魔かは別として天才であることに疑問を持つ人はいないだろう

そのコンサートのパンフをいただいた

もうこれが最後のツアーといわれながら

今年もやってきた

そんな誤算なら、うれしい

今日は元塾生が二人訪れてくれた

彼らのころは、もっと騒いで

もっと怖くて

と言われた

そうだったかもしれない

少し過去に戻ってみようか

と、ふと思った

さらに言えばもっと彼らは頑張っていたと付け加える

魂と引き換えでも手に入れたいものは何だろうと

ふと考えた

楽しかった時間に感謝

やる気が出ない時ってあるのは当然

自分も含めて、モチベーションを保つのは難しい

そんなときは周りからやる気をもらえばいい

もらったからと言って、あげたほうが減るわけではない

そういった意味で環境というのは大事なものだと思う

だからと言って環境だけのせいにもできない

それでは・・・・・

受験勉強なんて団体戦じゃないから、すべては自分が背負わなければならない

目指す子供たちっていうのは、自分がしなければならないことを大まかには理解している

それでも本気になれない場合は?

背中を押してもらうのがいい

「他力本願」(他人任せという意味ではない)

これも必要だ

自身も未だに子供たちから刺激を受けることは多々ある

あれほど心待ちにしていた夏休みもほぼ終盤

無限塾の夏の勉強会も終盤

ここからは、テストに苦労しない子(一けた順番)は別として

夏休み後のテスト対策になる

苦労しない子、および高校生、小学生はぎりぎりまでアドバンス

 

何年間も努力し続けた彼ら

幼少のころから、ハードな練習を続けた人間たちの氷山の一角

それがオリンピックで活躍するアスリート

勝った負けたと騒ぐのはスポーツであるが故の宿命

彼らの費やした生活を考えてしまうことがある

一つのことにすべてを捨てて没頭してきたということに敬意を表する

軽はずみにオリンピックを目指せとかいう無責任な言葉を卑しむ

子供たちが勘違いでもしたらどうするのか

才能あるものがとてつもない努力をして得た結果

それを楽しむ

実際すごいの一言に尽きる

次を狙うアスリートはすでに準備ができている

甘言はときに残酷だということを知ってもらいたい

 

一日24時間って平等

特に休みの日は

それをどう過ごすか

映画を観て異空間に入り込む

どこかにレジャーに出かける

静かに読書してトリップする

・・・・・・・

休みはうれしくないわけがない

自由な時間を何して過ごすかって

大事なこと

時間だけは平等

その時間とは何か・・・・・・

なんて話になると長くなるので

ほぼ共通概念としての時間ということで

 

少なくとも自分の世界に入り込むこともできる

リオだ

スポーツ振興

結構なことで

次はトウキョウ

いろんなマイナースポーツが脚光を浴びて

そしてまたほったらかしにされる

(五輪期間以外に放映すらされないスポーツがほとんど)

見ている方としては楽しい

そのスポーツの最高レベルを見れるのだから(サッカーは除く)

やはり、わかりやすいというのが熱狂の理由か

スポーツは素晴らしい・・・って

何をいまさら

当たり前の事

目指すなら頑張れ

でも、ごっこなら・・・・・・

この夏はどれだけ観ることができるか疑問だが

楽しませてほしい

おいしい野菜は野菜嫌いでも食べれるように

最高峰のプレーは興味のなかったスポーツでも面白い

興味のないふりをしてみても

やはり五輪は楽しみだ

んんんんんんん、どれだけ観れるかは体力勝負

https://www.youtube.com/watch?v=iZUZ1ZS71_I

よく使われるこの曲

このアーティスト、個人的にナンバーワン

 

 

同じものを見ていても

それぞれが受け入れ方が違う

それっていいなあと思う

同じ感じ方をしたら、なんだか気持ち悪い

なんでも共有するのっていうのも気持ち悪い

それって同意を求めているようで

自分に自信がないことのようだ

独りよがりなのはよくないかもしれないが

そんなのがすべてまとまって社会なんじゃないなか

常軌を逸したのはもちろん論外

相手に敬意を表すということは受け入れるということなのだから

そんなときは話をするのが一番

殻に閉じこもるのも勝手だといわれそうだが

リスクも考えているのなら、それも社会の構成のひとつ

自分で判断できるなら、それは責任も自分で背負うということ

子供たちって、発育途中なのだから

そんなことを長い目で見てあげるのが周りの役目かな・・・なんて思う

何年もかけて培われてきた問題を

ドラマのように言葉の一つや二つだけで解決できるわけじゃない

子供たちは長い目で見たほうがいい

何もしないで観察するのとは違う

期待しながら、刺激を与えながら、長い目で

もちろん、長さは個人差があると思う

小松左京というSF小説家

あまたある作品

そのどれも面白いのだが

個人的に最後に読んだ作品?は「教養」という題

枠というものが存在しない彼の発想がどこからでるのか

それを少しだけ垣間見ることができるものだった

中・高生のころによくみた記憶がある

SF作家というのに間違いはないだろうが

それだけには収まらない巨人だ

昨日ついヘミングウェイの名前を出してしまったので

なんとなく彼の名前を出してしまった

確か家のどこかに彼の作品の多くがあるはず

もう一度読み直してみようとは現段階では思わないが

彼のような巨人に若いころに触れることができたのは幸いだ

いつでもどこでもわずかな金銭で触れることができる読書

あくまでもほかの娯楽に比べればということになるが

触れない手はない

まあ、現代人はほかにやることがあるから遠ざるかもしれないが

やがては希少価値になってしまうのだろうか

それもしょうがないのかもしれない

世の中の文化なんてニーズがなくなれば消えていくものだから

そういえば英語が小学五年生からになるかもしれない

まあ、それもニーズが生んだ結果だと考えれば

そうなんだろうなということになる

数カ国語を操る人が増えて自国語がおろそかにならないことを願う

まあ、未来はここがどこの国かわからないようなことにならなければいいのだが

大体コミュニケーション能力がなんたらかんたらっていうけど

まともに自分の意見を話せないような人間が他国語だったらできるなんてことはないと思ったりする

子供のころにもっとディベートの練習をしたらいいのにと思うのは本音

他に何もないのに他国語だけ話せても・・・・・・・

他国語を話せることが才能って・・・・・発展途上の国じゃあるまいし・・・・ね

 

頭の中がくたくたになるまで

高い目標を持ち、今頑張っている人向けの話

なんとなくこれぐらいで

これを埋めとけば

なんて程度で大きな変化がやってくるはずもない

何かの合間に勉強をする

言われたからやっている

そんなことじゃ、お話にならない

頭の中を動かし続けて

とことん考える

そうしていると

今、難しいと感じる問題も

しばらくたてば普通になる

そうやって、レベルを上げていく

いつまでも同じようなレベルを繰り返すのは

数学では無駄なこと

その無駄を繰り返さないためにも

いま、集中して頑張ることが必要

つまり、やる気がまずは必要じゃないかと

頭がいいとか悪いとか、そんなことは受験数学には

あまり関係ない(ちょっと乱暴か?)

必要なことをもう一つ加えれば時間