新高2生に

慣れるな、だれるな、・・・・・

とりあえず、中学生だろうが、高校生だろうが、二年生は

いろんな病に陥りやすい

お気を付けて

というわけで、先日某高校の近くのコンビニで見た光景

息子がまっすぐ歩いている(多分新高1生)

そのわきにいた母親が風除室の戸を開ける

息子は至極当然であるかのようにそこを通る

母親が扉を閉める

それがどうしたと感じる人もいるようだけど・・・・

いやはや

最近はそんな関係の方々が増えたような気がする

新高校一年生に

今の気持ちがどれだけ記憶に残るか

たぶん入学式のころには感動はなくなっている

もちろん喜びはあるだろうけど

この数週間の気持ちを忘れずに頑張ってほしいなあ・・・・と思う

小山を超えたぐらいかな

その先があるんだろうから(次の山は高い・・・・場合によっては)

 

その道は夢へ続いているか

これを塾内に張っている

当たり前のことを言っているつもりだが

意外に理解されないことが多い

でも、目指す方向があるなら

その方向に向かって進むことが当たり前のような気がするのだが

必要最低限とまでは言わないが

何をどうすればいいのかというのは個々で「微妙」に異なる

かといって、求めるものが似ているあるいは同じだったら

最終形は大差はない

ひたすら漢字の練習をし、単語練習をし、計算だけを練習する

それが目標にとって十分なものならそれでいい

けれどもそうでないなら、そうでない練習をしなければならない

皆が同じというのは・・・・どうなんだろう

だって、目標は違うわけでしょう・・・・

まずは目指す先を見定めなければ始まらない

「さあ進め」「さあやり直せ」「さあ目指せ」順不同

春の勉強会のモットー

小学生の卒業式

自分が卒業したという意識が残る最初の卒業式

6年間という長い間を過ごした学びの舎を去ることには

彼らなりの感慨があるだろ

七五三と同じ気持ちを込めておめでとうと言わせてもらいたい

個人的なことを書くのはなるべく避けているのだが

今日、すでに昨日か

卒業したばかりの彼が自習をしていた

夜遅くまで(本日の自習時間終了まで)

屈託のない笑顔はもちろんなのだが

何を訊ねても笑顔で答える彼は

こちらもつられてしまう

笑顔というのは強いというのはいつも思うが

笑えるということは本人の強さを表す何物でもないだろう

頑張る子供たちに

こちらのテンションはますます上がるのは言うまでもない

この曲がわからなかったら

お父さん、おかあさん

いや、もしかしたら

おじいちゃん、おばあちゃんに聞いて

長くやっているということ

これは、いろんな受け取り方がある

当塾は随分と長い間、学習塾というものを貫いてやっている

当塾の方針は35から80まで

この数字がなんであるかは、すぐに理解してもらえると思う

やがては、皆が同じ問題にチャレンジしなければならない(高校受験の場合)

ならば、どこかの段階で同じ練習をすることになる

それを目指さなければ、意味がない

その子にとって云々などというのは詭弁だ

いやな話かもしれないが、受験をするということを考えれば

どこかで競うということも大事になる

数値ではわからない弱点、あるいは勘違い(本人が思っているよりも理解しているということもよくある)

いずれAIの進歩によって異なる手段となるかもしれないが

まずは、顔を突き合わせてやるというのが基本だと思っている

同時に、過程の重要性というものは痛感している

長くやっていると感じることのほんのわずかな思いを

述べてみた

この方たちには負けるが

希望、夢多き子供たちに微力ながら協力したいと思ている

 

やる気ある子たちって

見ていて本当に気持ちがいい

そんな子たちに

ついついこっちもつられる

本気にさせるのもこっちの役目かもしれないが

相乗効果というのはやはりある

現状を打破しようとするのか

まだ見ぬ夢に向かっているのか

それともかすかに何かを感じているのか

子供たちはいつも楽しい

この場には極力勉強の中身は書かない

至極単純な理由でして

数学の内容は表現しにくい

例えばXとか()とか図形とか・・・・

ホワイトボードは実にラク

紙でもラク

それに目の前で指さししながらじゃないと流れが見えない

言葉で書いたら、うんざりするほど長い

(もちろん解答で書ける解法です)

中には呪文のような解法で(悪魔の召喚でもするのか)というような解法

もたまに見ますけど・・・・・・

話は変わって、少しまじめに

少し先を見据えて頑張っていますか

一週間後とか一か月後じゃなくて・・・・

それと、自分が満足するレベルじゃなくて

必要なレベルに向けていますか

なんてことだったら、書きやすい

でも、顔を付き合わあせて声に出すのとはやはり違う

絵文字もなんだし(そもそも意味がわからない)

家族と意思疎通ができるのだって

長い時間顔を突き合わせていたから

でも、これからの子はバーチャルで意思疎通がうまくできるのか

それとも、している気になっているだけなのか

その辺は未だ不明

この映画も、この映画のモデルのシンガーも彼女もすきなんです

 

春は誰にでも平等にやってくる

この一週間足らず、ああでもないこうでもない

などと、不確かな予測を立てる輩、愚か者等々がおりまして

高校入試の点数予測などという、ゴシップ好きがいろいろとつぶやいていましたが

(毎年、占い師のように、しかも得意げに)

それも終わりました。(なんの意味があるというのか)

現状を見るだけならば、いろいろと意見もあるでしょうが

そんなに、大差はないんですよね

何が?

さすがに書くと問題か?

春は誰にでも平等にやってくる

というわけで、通う場所が決まった新高校生の皆さん

これからですよ

というか、今すぐですね

三年後はこんなものじゃない(老婆心ながら)

こんなにぬるくないという表現があっているかも

まあ、お疲れ様でした

おめでとうなんて言葉は見守ってくれたであろう御父兄の皆様にささげたい

数日前の感情、考えたことをできるだけ忘れずに

https://www.youtube.com/watch?v=tQQqxiNGCQw