もしつらくなかったら
それはたぶん夢でも何でもない
ただの妄想
勉強する場を変えて早三か月
中学生や高校生になって日々のルーティンにも慣れてきたころ
「ああこんなもんか」
「やばい、場所間違えた」
いずれにしろ停滞はできない
方向を曲げるか
それとも突き進むか
今回の題は後者の方
つまり突き進むことを決めた子のこと
テスト週間も終わり
その数日前の頑張りを振り返る
結果は容赦なくやってくる
そう時間は未来から過去に向かっている
昔々のテレビゲームに似ているかも
同じようにだんだん困難になってくる
それでも困難に立ち向かう
結果はそのあと
それまでに費やした時間
それを考えるとなかなか諦めることはできない
けれど、時間は容赦してくれない
いい結果を得た・・・・おめでとう
そうではなかった・・・さあどうする
それはその時考えればいい
どうせだめだと立ち止まったら
傷は浅い
けれど立ち向かうことなく止めた人には
何も得ることはない
立ち向かった人はきっと何かを得ている
それが何か
本人だけが知っている
結果は結果
問題は過程
こうしてブログを書くことなんかはSNS同様アウトプット
養老孟子氏によれば
”いいたがり”
そうかもしれない
それほど苦にならない作業だ
個人的な意見なのだが
賛同する子がもっといたら
方向性はまたベクトルの向きが変わってくる
それは私もそして子供たちも
勉強する(真剣に)子はマイノリティだ
孤独な戦いを強いられる
自分の進んでいる方向は正しいのか
それとも・・・・
今現在は・・・・
そんなことは想いを異にする集団の中では特に
つまりは同じくする子がいればいるほど
それは勇気に変わる
残念ながらそこまで集団は大きくない
競うという強制がよい影響を作り出すことは知っている