小鳥

親が持ってくる餌を兄弟たちと奪い合っている姿の方

愛らしいと言うのではなく、ただそれを待っているだけの存在

として、今は使った

学校から仕事まで決定権をもつ親御さんはいかがなものか

同じ口から放たれる言葉は「子供の好きなようにさせてます」

おいおい、と突っ込みたくなるが

それが、幸せなら他人が口出すことではないのか

ならば、もっと期待してあげればいいのに

まるで、子供たちの能力なんてこんなもんだと言っているような例が多い

もっとけつを叩いてやればいいのと感じることが多い

子供の能力は限りない

狭い視野で囲いこむのはかわいそうな気がする

そんなに期待して、失敗したら・・・・

その時に、いいアドバイスをできるのが大人でしょう

失敗しちゃいけないから、大きな夢をもつなと言うのは違うんじゃないかな

まあ、中学生、高校生になっても、口を開けて待っているだけの子供の方に問題があるのかもしれないが

タナボタ

塾を初めた最初から「勉強に王道はない」

という言葉と「思い立つなら今」

ということを謳い続けてきた

やればできるという精神は素晴らしいが

多分それには方法があるのだと思っている

短時間で、簡単にとかは決して言わない

そんなタナボタは勉強には存在しない・・・という持論

高校生に一日5時間程度は机に向かえと言うと、よく苦笑いされる

まあ、努力と言うのは時間だけではなく内容なのだから

苦笑いにも一理あるだろう

自分で言っておきながら、おかしな話かもしれないが

この五時間と言う時間にはもちろん学校は含まれない

皆もそう思っているはず

だから、苦笑いするのだ

朝早く家を出て、授業を終えてから数時間の部活でヘトヘトになり

夜遅くに帰宅。さあ、勉強の成果をだせなどと言うのはブラック企業のようなものだ

子供たちに夢をもってほしいの願うなら、現実をもっと知らせるべきだろう

勉強にかかわらず

ゆったりと進む時間が地方都市のよさなのだというのは理解できる

だから、目標によってということなのだが・・・・・

子供たちの夢を食らうような存在は憎むべき存在だ

甘いことはいわない

今日は七月七日(たなばた)だから、引っかけてみたが

タナボタは人生をだめにする人間への戒めとして語られたことわざだ

 

疑問(ワンオブゼンム)

どうも、勉強は簡単にどうにかなると考える人がいる(少なからず)

到達点にもよるが、目標値が実力よりもかけ離れている人に多い

高校入試でも、大学入試でも

早くから気づいて準備を始めた人はそうはならない

そしてそうじゃない人は簡単にできる特効薬でもあると思っているらしい

あるなら、欲しい(心から願う)

けれど、そんなものはない

ただ、簡単に解答を導ける方法などはある

ただし、これは大抵難問の場合

基本事項は基本的なことをまずは身につけなければ

問題に対峙することなど無理

一言で勉強というくくりをする人は少ないと思いたいのだが

なかなかそうでもないというのが経験上の結論

目標レベルによって全く違う解法だって多数存在する

これらは数学の話し

他の教科でもあるだろうがそちらはなるべく語らないことにする

まあ、なんというか

当たり前だけど早めの対処がいい方向に向かうのは間違ってはいないはず

○○崩れみたいだけど

題名だけで

 

 

 

 

勉強会の詳細をアップしました

基本的に漠然と話を聞いて時間つぶしをするというのは・・・・

それだと机を並べて学ぶ普段と変わらないんです

それで、成果が出ている人はそれでオーケーなのでしょう

自分の考え方の何が悪いのかわからないで一通りの考え方で処理できるほど数学は甘くない・・・・と言い切ります

ホワイトボードで書いてもらって何がおかしいのか
問題の読み方か
計算の仕方か
アプローチの仕方か

そのあたりの違いはほぼうやむやで処理しようとする人が多い

それは例題の繰り返しだけの練習をしているからなんですよ

入試問題というのは、そこに何かしらの意地悪をされていることが多い

特に上位高だと顕著

そうでなくともけっこうあるんですよ

ちなみに志望校の練習問題をセンターの後にやろうなんて考えているのは

愚の骨頂

センター問題を筆記試験と同じように処理しようとするのも同様

難関校に至っては問題が異常なんだから普通の練習をするだけというのがおかしな話

そのあたりの捉え方にはいろいろあるでしょうけど・・・

夏で決めよう

なんていうのはおかしな話で

せめていうなら、

夏で敵を知れ・・・・遅くとも

という感じではないでしょうか

本当はもっと早い方がいいのでしょうけど・・・・・

同じように授業を受けて

同じ学校に通っていても

個人差はあるものです

当たり前なんですが

だから、受験は個人の戦い

したがって大手予備校などは志望校別のクラスを編成していますよね

うちは数学専門なんで、その教科だけでもと奮闘しています

特に難関はほとんど数学必須(文系も)

なんてこともありますしね

夏は頑張りの夏

冬は?

それも同じ

進学を目指す人間にとってはあっっったりまえのことなんでしょうけど

勉強会 高校生の部

詳細をアップしました

今年は少しだけ変えてみました

有意義な夏休みを過ごしていただきたいと思っています

当たり前と言われてしまえばそれまでなんですが

やはり、長期休暇をどう過ごすかというのは

勉強で何かを目指す子供たちには大きなことで

毎年、そういった結果を導いています

さあ、どうぞ

そうそう、やる気のある子待ってます

躊躇している時間はない

思い立つなら今

何度も何度も・・・・

定期テスト対策なんてこれに勝る方法はない

高三は別として

同じことの繰り返し

飽きたよって

それでも繰り返す

夢に見るよ

それでも繰り返す

プリント見たら吐き気が

それでも繰り返す

そんなことして何になるかって

それは出題者に訊いて

とにかく繰り返し

ある意味我慢比べ

こんな繰り返しだったら歓迎なんだけど

本家もかっこいいけど、こっちもなかなか

 

ちなみに

日本人は若い頃にアルバイトや部活に時間を割き過ぎ。もっと勉強して自分に価値をつけるべき。その方が将来もっといい条件で働けて、得られるものも多くなる                                                      byピーターフランクル

大拍手

目標ってある?

これは個人差があるらしいのだが

理系、文系の頭脳は小学生の高学年当たりで決定されるのだそうだ

とすれば、それ以前が影響するということになる

理系だ、文系だとはいっても、どれだけ差があるものなのかは定かではない

世の中には数学ができない理系だっているし

国語が理解できない文系もいる

英語は・・・・こうもり

現代国語は理系の方が点数を取るという話がある

自分の進みたい道と方向性が一致していればいいにだろうが

なかなかそうもいかないようだ

それは、情報を入れ始める頃には決定されているからということかもしれない

合格点に到達すれば、何の教科で点数を稼ごうが入学させてくれるのだから

それぞれの思惑によるだろう

そこまで、考えていればいい方なのかもしれない

当塾では数学の点数を稼ぐための指導をしているわけで・・・

この数学と言うやつは厄介で、中学のことも理解していないひとが高校数学をクリアしようとするのはかなりの困難がある

他の教科も同じだと言う人がいるかもしれないが

それも、これも到達したい位置に関係するわけで一概には言いきれない

と言い放つのは無責任か

ただ、目標を最初に訊くようにしている

そうじゃなければ、どこまで必要かわからない

多少無理にでも、そこまで押し上げる

他の教科は自分で頑張ってもらうしかない

耳に痛い話はする

理想だけで高をくくっている人には、特に

ニコニコして、いざとなったら「無理」

なんていうことは言いたくないから

試験の前日まで、近づけるように応援しています

分かってもらいにくいことが多いですけど

たぶん、目標っていうのは到達したいという気持ちがあるのだと理解している

勉強会

中学生で一次関数が苦手だとする

それを、一日でどうにかしようなんてことはかなり困難

高校生だとベクトルだったりも同様

単元に関して言っているのではない

単元はどこでも同じ

高校数学などではそのあとに総合問題と言うのが存在する

センターは別

細分化してしまえばきりがないと思うのだが

大きく分けても、高校生の場合

1、センターで使うだけ

2、二次でも利用する

2の場合は志望校でま・・・・・・・・・ったく違う

中学の場合

9割以上が必要なのか

それとも7割程度が必要なのか

あるいはそれ以下か

それぞれの目標なのだから、いろいろあるだろう

それゆえに、練習問題の選択は難しいし

短期間でどうにかするというのは、条件による

これから行う夏の勉強会などでは高校生の場合

センター練習か、志望大学別の対策をする

中学生は志望校別に問題をかえる

普段の時間でも、生徒の理解度でその都度問題を変える

当たり前の話だと思っていたが、そうでもないらしい

中学でも高校でも30点ほどの理解力の人間と

90点以上の理解力をもつ人間が同時に、同じ問題を練習するのは

私自身の理解を超える

考える時間の大切さを重視している普段の授業同様、勉強会でも重視する

ただ、周りと多少競い合うのはいい刺激になるとも思っている

自分の理解力の程度が比べられるから

いずれにしても、ただ講義を聴いているだけの授業は他の教科ならいざ知らず

数学はね

gray

これではない

灰色

んんんんん、その表現ってあまり良くないイメージが

あいつはグレーだなんて刑事ドラマではほぼ犯人だったり・・・

だから、やはりグレー

いつの頃からか、もしかしたらそもそもそうだったのか

グレーなことが多い

それを非難するつもりなど毛頭ない

ただ、試験だけはグレーじゃない

○○でもオーケーとか論文とか推薦は別として

筆記試験はblack or white

これでもない

かなりグレーな部分があった方だが・・・・

筆記試験は白黒つけなきゃならない

なんで、筆記試験だけ

などと嘆いてもどうしようもない

そう、どうしようもないんだ

だから、それに見合った努力をする

それだけのこと

そこにまで、グレーをもちこむからおかしなことになる

なんとなく黒板を板書する

宿題を写す

ノートが埋まる

プリントが溜まる

ああ、勉強した・・・・・気になる

これが、それ

した気になるじゃなくて、しなきゃ

その都度しっかりと理解して、後回しにしない

これって、けっこう大事なこと

受験勉強にはね

 

考えようによっては

時間なんていくらでもある

したがって、思い立ったときに行動を起こすことに

なんの問題もない

そこまで、気づいているならばそれは自己の責任だ

ところが、高校、中学なんて時には区切られた期間内に

何かを決めなければならないという強迫観念にとらわれる

そう、とらわれているのも自分

今は部活に専念し、やがて受験を考える

これだって自己責任なわけで、それでいいという人間に

周りが(家族以外)とやかく言うことではない

遅すぎることも早すぎることもない

ただ、自己責任だということを理解していればということなのだが

誰かの手拍子に合わせて踊らされているなら

それが自分の意思でないなら

考え直してみればいいかもしれない