自分が間違っていない

と感じることができるのは、誰かに承認された時かもしれません

正しいかそうでないか

自分で思い込むのは容易なことですが

多数に承認されるかどうかではなく

濃密な時間を過ごした人たちと言うことでないかな

なんて考えます

自分が触れ合うことのできる人の数などたかが知れていますが・・・

頑張ろうという気にさせてくれる周りに感謝します

努力には・・・・多少の報いがあった方がいい

と思います

考えようによっては

時間なんていくらでもある

したがって、思い立ったときに行動を起こすことに

なんの問題もない

そこまで、気づいているならばそれは自己の責任だ

ところが、高校、中学なんて時には区切られた期間内に

何かを決めなければならないという強迫観念にとらわれる

そう、とらわれているのも自分

今は部活に専念し、やがて受験を考える

これだって自己責任なわけで、それでいいという人間に

周りが(家族以外)とやかく言うことではない

遅すぎることも早すぎることもない

ただ、自己責任だということを理解していればということなのだが

誰かの手拍子に合わせて踊らされているなら

それが自分の意思でないなら

考え直してみればいいかもしれない

春眠暁を覚えず

春の暖かさに身体の緊張もほぐれ眠くなる様子を例えると記憶しているが

ここ青森では最近がそうなのかもしれない

いろんなことで皆が忙しいようだ

充実しているっていう実感があればそれは幸せだろうし

とにかく、行事やいろんなことで忙しそう

だから、少し寝むそうだ

疲れてるようにもみえる

何処かで、休みを取らないと

もたなくなるよ

睡眠はとれるときにしっかりと

 

目標をもって頑張る子供たち

すごくいい状況、ほとんど全員がやる気をもっている

もちろん、人の気持ちなんて変わることもあるだろうが

この瞬間、この期間を楽しく過ごさせてもらっている

いろんなことで忙しいのに

部活が終わってからでも自習に来てくれたりしている

やる気がある人たちに説明するのは

正直楽しい

純粋に今の気持ちです

これに近い年代の子たち、一緒にいると楽しいです

 

解く

当たり前の話なのでしょうが

数学の場合、教えるのが目的ではないんです

最終的には本人が解けるようになるのが目的なんです

黒板に説明を書いて説明をしてそれを写す

それは最初の過程

本人が考えて解答をかけるようになる

そこまでの時間が必要なわけです

何度同じ問題をノートに書き写そうが

それを自らの力で結論を出せなければ意味がないんです

高校数学の場合はチャートの例題が基本の例です

それで対処できる大学もたくさんあります

もちろん下部の問題や章末の問題も含めて練習するのにこしたことはありませんが

問題の最初に目線を変えられてしまうような厄介な問題に対処するには

それだけではすみません

その辺からが数学の問題の面白いところなんです

小学校からそれまでに学んだこと全てを駆使して解法を探す

だから、難関を志望する人間にとっては時間が必要なんです

少しでも早く基本をマスターして問題に挑む

当塾では子供たちに解答を書いてもらいます

できるだけ

そうすれば、自分の過ちやもっと簡単な解答

との違いを話ことができます

復習すればいいだろうという観点に立ちたいのは山々ですが

それは指導する人間の怠慢ではないでしょうか

そのためにテストがある?

写させた問題と同じ問題をテストするなんて・・・・

簡単にできるなんて言いません

時間はかかります

「解けるようになる」当たり前ですがそれが最終目標

途方にくれた、その次には答えがみえる

 

 

孤独な戦い

多くの中高生は受験のための勉強をしているわけで

定期テストのためにやっているわけではない

(その積み重ねが受験だという考え方もあるが)

高校受験はほぼ一律の問題

けれど、大学受験は全くと言って違う

そのレベル志望校に合ってますか?

足元を見続けて学習するのは大事なことでしょう

その中でたまには遠くを見つめることも大事なのではないかと

三年になってから受験を考えるというのは

多分・・・・・・・

一年から、できたらその前から考えた方が成功する確率は上がる

そんなの当たり前だと思う

そう、あたりまえなことをすればいいだけのこと

だから、情報収集をするべき

人に頼る前に自分で

 

やはり

計算は必要です

何に?

そう、数学に

計算があまりお上手ではない人が多い

具体的に言えば・・・・

ここで書くには文章力がなさ過ぎなので

遠回りして、丁寧と言うか・・・・

まあ、特に大学受験では致命傷になります

ちょっと気をつけて解くようにすれば

多少は処理がうまくなるでしょう

当塾では、結構うるさいです

特に高校生には

むかし、才能と引き換えに悪魔に魂を売った逸話の題名です

シンガー

亡くなったから話題にするのは気が引ける

ただ、先日亡くなったBBキングというシンガーというかギタリストというか

どちらでもすごいアーティストだった

そのわずか前にはB・E・キングが亡くなった

こちらは「スタンド・バイ・ミー」

という誰でも知っている名曲がある

好きなだけで、語るほどではない知識しかない

ただ、たとえ知らなくとも、知った曲でなくとも

ステージで演じる姿には見いってしまう

そう一流の証

なにを言いたいのか

やはり一流はすごいなあと改めて感じる

好きとか、嫌いとかの前に、誰でも感動させられるもの

シンガーでも、スポーツプレイヤーでもアートでも・・・

どれだけ、そんな存在と触れられるか

貪欲に探していきたい

春なのか夏なのか

こうもりか!

というわけで、この時期を何と呼べばいいのかわからない

春と呼ぶにはもう過ぎた時候のようだし

夏と言うには日差しがそれほど・・・・

先日、夏の香りをかいだために夏なのだと自分では思っている

夏って・・・・・

受験生が焦るじゃない

否定はしない

おおいに焦ればいい

頑張れ

苦手だからやるのか

当塾は数学をメインにしているのですが

苦手だから、数学を勉強しようという考え方もあり

得意だから、数学を勉強しようという考え方もあり

両方、オーケーです

だいたい、どちらにしろ本人の自己分析が

当たっていることの方が少ないです

どんな状態でもオーケーですが

やる気だけは持ってきてほしいかな