これは各自が持っている基準が違う
一般には毎年のように赤道?だったかな
それを基準にして変化するもののようだが
日常生活においてはそれほど影響を与える誤差とは思えない
もちろんここで言っているのは
それとは違う計りのこと
それが共有される集団においては話は早いのだろうが
なかなかどうして
そういうことはなかなか存在しない
この計りが違う場合孤立することになるような気がする
つまりは逸脱
いい場合も悪い場合も逸脱した場合は苦労する(その期間だけ)
この逸脱に社会は寛容性をもたないことが非常に多い
実際最近はこれを正義と称して
騒ぎ立てたりすることが多々ある
また短い(小さい)計りしか持っていない場合
その逸脱に恐怖から攻撃をする場合が
これはあまたある
個人的にはこの計りは幾種類あってもいいと思うが
この不寛容というのには辟易する
同時に正義と称する発言者、権威者にも
多様性ということから考えれば人はもっと自由でいいだろうし
正義はヒーローだけでいい
計りの大きさなんていくらでも変えられる
それが成長するということだろうし
少なくとも子供たちの時代にすべてが決められるわけでもない
決めるのも自由だが
その多くの障害となる意見は大人であることが多いのも事実
逆もまた然り