集団ができると

リーダーになる人間ができ

その集団からはみ出す人間が出てくる

その中核をなすのがもっとも数が多い

と考えがちだ

実際はそんな風になっていないこともある

例えば子供たちの通う学校がいい例だ

1、学校の授業があまりにもつたないと感じている人の集団

2、そして授業内容のレベルがマッチする人の集団

3、授業についていけない人の集団

かつては2が多かったのだそうだ

しかし現在は3が最も多い

中学校では小学校での理解不足に悩み

高校では中学校での理解不足に悩んでいるという現実

原因はなんなのか

はっきり言えるのは

小学校や中学校ではないということ

もちろん高校でもない

原因は何かを追求するのはこの場ではやめる

それによって起こる?起こっている

子供たちへの忖度の方が問題なような気がする

中間層は勘違いし

つたなく感じる層はますます思いが強くなる

その結果が無気力・無関心になることも少なくない

そういった試練も含めて学校なのなら

やはり鍛錬と修行の場と言われてもしょうがないか

勉強ができる人は自分でやればいいじゃない

そう、これが正解かもしれない

退屈な時間を過ごすというのは結構つらい

先日そんな時間を30分過ごして気分が悪くなり昔を思い出した

それが数年間も続いたら・・・・

集団というのは誰かのためにあるのではなく

集団のために人がいる

そんな言葉をふと思い出した

昨今は持続するスターが少ないとふと感じる

これも消費社会の影響なのかな

 

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

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