卵が先か鶏が先か

社会が変わるか

教育が変わるか

両方変えればいい?

考えるよりもとにかく変えなければ?

いろいろ唱えられている

変化を抑えて旧態依然のまま

なんて考え方もある

もしかしたらこの意見が一番多いかも

けれど願望はあってもそれは長い歴史を顧みても無理な話(進歩?はとまらない)

タイムトラベルをすることができたら確実なのだが

まだそんな技術はない(少なくとも周りには)

現在行われている学習指導が卒業される頃には当てはまらないものになるかもしれない

などということも十分に起こりえる(現在完了・継続)

どうなるかは予想はできても

それをみんなが言い放ったら

まるで経済学者の討論会だ

声の大きいものが正しいわけではない

子供たちにとっての必要な勉強は

読み・書き・計算(まさかそろばんなんて言う人は少ないだろう)

ができればいいという意見も納得がいく

問題はどの程度ということ

他にいろいろなものを学ばせるというのも納得がいく

浅学ながらeスポーツなどというものがオリンピック競技になるほどとはここ数年で知ったこと

しかし競技者たちはかなり前からその努力?をしていたはず

勉強の合間ではなく合間に勉強だったのではないか

そういったことへの理解は(市民権は)いつから沸き上がったのか?

それを見据えて頑張った子たちは先見の明があったんだろう

それに限ったことではない

オリンピックやプロスポーツの選手たちも合間の勉強をしていただろう

中体連とかインターハイなどというレベルの話はこの場合違う

少し前に話を戻す

将来を見据えて今できることが何なのかを考えることは重要だ

それは間違いなく勉強に限った話ではないし

もし、何もないなら社会適応力ということになるんだろうか

そういったことは学校で学ぶはずのものじゃなかったかな

嫌な奴がいても、嫌なことがあっても

時間をかけて対処を学ぶ

いくらきれいごとを言う人が周りにいても現実の厄介さを学ぶのは学校なはず

それをさせずして

転ばぬ先の杖を何本も用意するのは違うと思う

瞬間はいいけどその先は?

先延ばしにも限度がある

残念ながら

今できることは今を努力することで

それが未来を見据える道具になる

それがなんなのかは各自が異なる

そしてそれゆえに

武器としてつかえる数学を指導したいと思っている

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

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