そういうことって結構ある
たいていの場合はそれで用が足りる
けれど、そうもいかないものもある
必要だったら
どうにかしようとする
例えば、スマホだったり
車の運転だったり
もうかなり前のことだが
教習所に通っていた時
あきらかに、町で会ったらよけるような風体の人が
真剣に漢字にルビをふっていた
質問も漢字の読み方だったり
それは、彼にとってどうしても必要なものだったからだろう
言い方を変えるなら
当人にとって必要がなかったら
覚える気力も失せるということかもしれない
さて、努力をすればなんでもうまくいくとのたまう方がいる
どうもこの言葉は命題的に「偽」だと思っている
もっと正確に表現するべきだと
努力すればうまくいくかもしれない
努力しなければ可能性はない
まずやってみなければ☜これはおかしい
努力なんて宝くじみたいなもので、買わなきゃ当たらない
しなければ、チャンスはない
おかしな夢をまことしやかに声高々に言う人は信用ならない
努力するということに意義を感じないのはおかしい
努力もしない人間がする人間をあざ笑うのは問題外
そのことを皆が認めてくれるはずだと思うのもおかしい
努力する人間は孤独だ
それが嫌だからといって
自分を低く設定るるのも悲しい
なんてことを思っている
それは常にチャレンジするということにつながるのかもしれないとも