一言で勉強すると言ってもこの違いでかみ合わないことが多い
もちろん
細分化すれば
その中でもさらに分けられる
その溝は思っているよりも深い
どちらにも意義はあると思うが
(けっしてリベラルな意見を言っているのではない)
やがて訪れる目標によって変わってくることなんじゃないかなと
中途半端に苦労するくらいならいっそのこと
などという考え方も少なからずいるらしい
そんな時こそ教育の力が発揮されるのだと思うのだが
それもままならず
一辺倒な対応が蔓延している
それも地方格差なのかもしれないと思う
そして目標というものが少しずつはっきりしてくれば
自ずとする勉強の意義が問われる
それが早ければ
いいに決まっている(乱暴)
いやいいんじゃないかな
いいと思います
そしてそう考える子も少なからずいるという現実
いろんな人がいて社会だよなという結論
ただ
いずれの選択でも満足できる社会になれば
と夢物語のような希望もある
多様性というのは差を大きくするかもしれないという危惧がある
だからといって頭を抑え込むような指導はどうなんだろう
かのアインシュタインもそういったことへの批判を言っている
バートランド・ラッセルも言っている
森毅も言っている
いろんな人がずっと昔から戦ってきている
けれどそれは変わらないし
彼らのような人間たちもしっかりと生まれている
それほどこの方面は変わっていない
いずれ変わるのかな
どうなんだろう
それはわからない
だから自分がしっかりとする
という自己力に頼るしかないということになる
・・・・・
ややこしい話になったのでやめる
そうそう大雨の予報
変化してくれればと願う
どうも今年は休みに天気が崩れる年のようだ
この周期というのはまんざら気のせいでもないらしい
それでもやれることはたくさんあるのだが
お盆が終われば夏休みも終盤
頑張りましょう