新年度

4月に新学期が始まるというシステムがいつまで続くのか定かではありませんが

やはり4月には何かしらの思い入れがあります

入学、進級は四月ですが、入試は2月とか3月

つまり三年間と言うのは「おおよそ」ということになります

何かのきっかけになれば、別に季節や時期は関係ないのでしょう

当塾では春の勉強会もあと一日になりました

単元を一つ終えた学年もありますし

頭を使い続けた子供たちもいます

どうせなら、苦しんで何かしらの効果が出ることを願っているのは

もちろんのこと

筋肉をつけるのも脳にしわを造るのもやり続けないと

なまってしまうことにちがいはありません

努力し頑張った人間に正当な評価が現れんことを

Someone told me long ago
There’s a calm before the storm,
I know;
It’s been comin’ for some time.
When it’s over, so they say,
It’ll rain a sunny day,
I know;
Shinin’ down like water.

I want to know, have you ever seen the rain?
I want to know, have you ever seen the rain
Comin’ down on a sunny day?

Yesterday, and days before,
Sun is cold and rain is hard,
I know;
Been that way for all my time.
‘Til forever, on it goes
Through the circle, fast and slow,
I know;
It can’t stop, I wonder.

I want to know, have you ever seen the rain?
I want to know, have you ever seen the rain?
Comin’ down on a sunny day?
Yeah!

 

Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.

つなぎ目は。カンマであってアンドじゃない

どうも、これは間違って広がっている名言のようだ

まあ、かく言った天才はいろいろな評価があるようなので

言葉も受け取り手の都合よさでいいのかもしれない

さて、いろんな子供たちを長い間みてきて感じるのだが

才能という言葉を一番信じているのは子供たちのような気がする

いわゆる「彼(彼女)は頭がいいから」

などと言う言葉を簡単に吐く

誰かの受け売りの言葉かもしれないが

毎度、いやな気持ちにさせられる

中一の頃に何度やってもわからぬ子が時を経て理解するようになるなんて

いうのは何度も目にしている

その逆も然り

努力した人間はそれなりの結果をもたらす

それなりという言葉には幅の広さがあるだろうがここでは理解してもらいたい

その努力がいずれ花開かせると言い切るのは難しいが

でも、それをしなければ花開くことが無い

世の人間たちの多くは華やかな生活とは無縁だ

その中で、自分の満足のいく結論は自分で決めるしかない

低く設定するか、高く設定するか

それも自由

今が結論か、その先に結論が待っているか

それも自分の考え方次第。高ければ高いほど苦労が絶えず

低ければ低いほど満足が容易

さあ、どっちが自分なのか考えてみて

それが志

 

 

生まれ持った才能なんて成功とは関係ない

という考えを提唱した学者がいる

半分納得、半分否定

と言う卑怯な意見をもっている

スポーツなんて才能があって、さらなる努力だというのは皆が感じてはいないか

180センチほどの身長でバスケットやバレーをやっても辛い

先日10秒を切った日本人は彼だけが一番努力したとでもいうのか

でも、勉強・・・・

まあ、もっと範囲を狭めて受験とするなら

それは賛成だ

そのあとどうするかはまた学習すればいい

もちろん、受験ぐらいで人生の成功者なんていうのは言えないのは私の意見

ただの一区切りでしかない

まずは、自分にあった努力を始めてみてはどうだろう

そして、それが趣味なのか、将来に影響するのか

その判断は中高生ならもう自分で判断できるだろう

 

時間を忘れる

「ゴッドファーザー」という映画あるマフィアの一族の話だが

家族愛が根底にある気がする

男の人が好きな映画として米国ではナンバー1になることが多い

私も中学の頃に見てから何度見たことか

「ゴッドファーザー」と言えばアルパチーノが主演で彼の作品はいろいろあるが

パート2に出ているロバートデニーロに着目したい

「レイジングブル」これはすごい

「キャバレー」これはラストシーンのために見る価値あり

「ディアハンター」これは名優ぞろいで泣けはしないが切ないとてつもなく切ない

「ディアハンター」と言えばメリルストリープ

彼女の作品「恋に落ちて」これは内容はどうでもいい演者が反則

コメディーでもシリアスでもオーケーだが

サッチャーはひどかった

小品だが「ダウト」これはすごい彼女に見いってしまう

最新作では「イントゥ・ザウッズ」らしいが期待はしていない

その中で、ジョニー・デップも共演している

彼もしっかりと演じてくれる俳優で、ほとんど当たり外れがない

そのなかで「スリーピーホロウ」という作品がある。共演している

クリストファーウオーケンは「ディアハンター」にも出演している

他の作品ではあまり脚光を浴びることはないが

「ミッドナイトガイズ」という作品でいい感じだった

この共演はアルパチーノで・・・

ここで戻ってきてしまったので、視点を変えて

いや、無理やり関連付ける

AMRECAN FILM INSTITUTEという組織の中で

ゴッドファーザーは2位で、一番は「市民ケーン」という作品である

オーソンウエルズが主演の名作である

3位は「カサブランカ」ハンフリーボガードが主演のこれも名作(あたりまえか)

4位は「レイジングブル」で5位は「雨に歌えば」

ちなみに、ラインの画像でこれを使っている私

そしてなんと「風と共に去りぬ」が6位それ以降が気になったら

調べてみて

ちなみにこれらはほとんどハリウッド映画でそれ以外にも好きな作品はある

「ニューシネマパラダイス」これはイタリア映画で

イタリア映画と言えばフェデリコ・フェリーニの「81/2」がある

さらには、ソフィアローレンの「ひまわり」んんんん大人の映画

秋の夜長でもないのにいったい何をしているんだと思いつつ

映画にはまり、映画に逃げて、映画に助けられる

ホラーだって、コメディーだってたくさん面白い物はある

かつて、シガニーウィバーが演技の話をしていてテレビの演技と

映画の演技の違いを演じ分けて見せた

うまく表現はできないが素人目にも「ほう」と感じさせてくれた

日本でもたくさんいい映画があるけどニーズに答えてくれないので

あまり見ることはない

90分からそれ以上、なかなか時間がとれないかもしれないが

BGMならぬBG映画にすることもある

今日は映画を語ることで、映画に救われたかもしれない

「ほんとに映画っていいですねぇ」

知っている人はどれくらいいるだろうか

 

好きなだけです

演者が好きなものもあるし、曲そのものが好きなものもある

もっともっとたくさんあるけど

シンガーなら歌える人が好き

プレイヤーならファンタジスタが好き

芸術家はわからない

小説なら造られた話が好き

学者なら専念している人が好き

好きになるなら、自分が成れないなら

せめて一流に触れたい

 

いける? いく?

高校でも大学でも

そのどちらでも

いけるとこに行くのか

行きたいところに行くのか

そんなことは個人の自由

いけるとこに行けばいいやという人は多分これを見てはいない

何かしらの志をもつものが読んでくれているものと考えたい

結果論で語るのは卑怯だ

そこまでの過程を大事にする人たちに語りかけたい

結果がどうでもいいというのではない

勘違いしないでほしい

そもそも、結果なんてどこにあるのかわからない

だから、過程を大事にしたい

PCは世界を狭くする

正確にはインターネットだったような気がする

たしかにSNSなどを利用して世界の人たちと交流をもつことができる

ジャスミン革命のように世界が事実を知ったようなこともあった

素晴らしいことだと思う

さて、もう少し身近な部分を考えてみようか

それでも、一極集中は変わらない

それどころか今でもそちらに向かっている

地方格差・・・・・・

でもね、考えてみれば利用方法なのだと思う

個人ができることが広がったというのは間違いない

さあ、調べてみようよ

自分の希望を、夢を

地方は外国じゃない

都会は異国ではない

線を引いているのは・・・・・

偉人たち

文学史は国語のカリキュラムに含まれている

嘘か誠か知らぬが立派な人間として歴史で学ぶ先人たち

けれど、科学においてだけはほとんど教えられない

なぜか

多分か彼らの業績を説明できる人間が少ないからだろう

などとうがった考え方をしてみる

名前のついた理論や公式はなじみがあるかもしれないが

やはり、こんな偉人たちのことも知ったほうがいいのではないか

そうすれば、科学に興味を持つ子供たちももっと身近に感じれるのではないか

だが

試験の材料に等にされたら、まだくだらない知識にしかならないのか

だったら、やはり・・・・

どうにかして自分で知る努力をする方がいいかも

などと言う考えに帰着してしまう

もっと子供たちに知識を与える仕組みを考えたら

くだらないと言い捨てられることが少しは減るんじゃないか

もっと、アカデミックなことに興味を持って欲しい

などと、年寄りは考えたりする

HOW TO

専門以外の話はわからない

ただ、数学に関して(受験用)はいろいろとある

まずは、目標が知りたい

次は今何歳か

それによって随分と違う

15歳で高校入学、13歳で中学入学

さあ、何をすればいいか?

そこからまったく異なる

どこまで、進んでいるのか

どれくらい計算力はあるのか

本来は中学生からと言いたいが

環境的に高校から始めたということにしよう

で、志望校は?理系?文系?

これが全部違うのになんで同じ問題練習をする?

基本は同じだろうって

それは、やったことのない人間の話

あるいは詭弁

三年かけて基本練習

んんん・・・・教育的には美しい

受験に使わないのなら

相談してください

出し惜しみなんかしません

どうぞ