九月入学が一瞬話題となったが
それよりも飛び級というものを考えてほしいと思う
頭がいいとかいうあいまいな表現は脇に置いておいて
学習する能力はずいぶんと差がある
世界中で飛び級というのは存在し
中には小学生で大学を卒業という例もある
当然のことだが
飛び級は理科系に限る
そのことに関して特に記す必要はないだろう
その年齢の学校にストレスを感じる子は少なからずいる
定期テストに躍起になって頑張っているような子は
それに含まれない
飛び級制度ができたら喜ぶ子たちはたくさんいるはず
どうもこの国はフラットが好きなようだ
そういった人材は早く社会でその力を発揮してもらえばいい
外国語にばかり力を入れようとする社会認識は
二番じゃダメなんですかといった認識に近い気がする
社会は勉強するものに平等にできているかというと
おそらく昔よりはそうなっていると思う
自身が望めばできることはたくさん準備されている
(もちろんそれとてまだ格差は否めないが)
社会生活を営むための学習というのとは違う
そんなことを今語っているわけではない
スポーツを考えてみればもっとわかりやすいかもしれない
サッカーや野球などは異なる部分が多いが
それ以外の多くのスポーツは義務教育から離れた部分で頑張っている
それに対して一定の理解をしめすのだが
肝心の勉強に関してはなかなかそうはいかなようだ
海外での活動をすることなどで今があるスポーツ選手などは
三か月かそこらの休業における学習などは関係ない
改めてもう一度言うが
そういう突出した子の場合の話
言うなら
そこまで突出していなくとも
9年プラス3年は
あまりに長いと感じている子にも気を向けてもいいのでは
もちろん
その逆もあり
勉強の遅れを真剣に語っているなら
学年や年齢って関係ないと思うのですが
勉強は
そのゆえ
できたからと言って特別視する必要ない
逆の方にも
フラットにするならそっちの考え方かな