貧国の母親がわが子に次の食事を与えることで頭の中がいっぱい
マグロ漁師が船上で針の先に着けたエサに大物がかかることで頭の中がいっぱい
あるいは・・・・
そのような時
AIが世の中を決定しかけていることや
一部の人間が個の利のために意図的な変化を加えることや
どこかで銃口を迎え合わせていることなど
全く関知しない話だ
それを別の場合に当てはめれば
ああそういうことかと納得してもらえるはず
いろんなことに多角的に集中することは
もしかしたら難しい事
そこで優先順位が無意識に決定される
勉強しなければならないけど遊びたい
遊びたいけど勉強しなければならない
これには明らかな違いがある
文武両道という言葉を喜んで使用する方がいるが
その意味合いの違いは別として
一般的にはスポーツも勉強もという具合に使われる
そこで反語として
二兎追うものは一兎も得ず
このほうがかなり例が多いと思う
さて話は変わりセンター試験
・・・・・
そういうものだよなと思う
例年通りという予備校
やばいよという受験生
センターなんてそんなもんだと練習した場合は痛手だったし
何年も過去に倣って出題し続けたにもかかわらずそれをわずか崩した出題の仕方には
それって十回クイズみたいだよな
なんて思うし
知識を問うだけなら質問をわかりにくくするのはおかしいし
考える力を問うのだったら誘導が不自然だし
そもそもコンピューターの代わりに判断するような設問もおかしい
筆記試験は挫折したようだが(当座のことだが)
性格判断をするのではないのだからマーク式には無理がある
正しい答えはどれなんていうのはその最たるもの
一般知識を説いたのなら合否とは別の形で高校生全員に課せばいい
そして大学毎に欲しい能力試験をすれば
画一性(よく非難される)は解消できるはず
答えがあることが当然という試験は
本当の多様性を抹殺しかねない
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ただ、哀しいかな
受験する側は従うしかない
もしかしてあの確率の設問なんかは
”ふつう”はという従順性を問うためのものだったのだろうか
それだったら
やはり性格検査だ
まあ、そういう事例には事欠かないのが社会だというのを学ぶのが
社会人への第一歩なのかもしれないが