森毅氏がかつて言っていた
数学の専門家が解答例を振り絞って6種類作ったとすると
受験生はそれ以外の正答を作るのだと
このあたりが数学の多様性としての楽しさだと思うのだが
そして扱いにくさということにもなる
そもそも難関大の入試は一筋縄ではいかない問題が多い
解答例が数通りの問題で
どうやって論理力を問うのだろうか
しかもセンターレベルの問題で
家に帰ると
首相に問題を見てもらって質問をするシーンが流れていた
それは見当違いで
彼はその道のプロではない
専門は決定することだ
あきらかに「いじめ」
あまり気分のいいものではなかった
学力と政治力は違うわけで
政治学の専門家が政治を行ってもうまくいくとは限らない
いくなら政治家になるための資格試験にすればいい
話がずれたので元に戻す
そもそも試験とは何ぞやということを考えてほしい
どんなことを試験して何を欲しているのか
英語が堪能ならいいならそれを試験すればいいし
数学力を欲しいならそれを試験すればいい
いやいや、総合力だといって
全体のレベルを下げることは
だんだん本旨からずれて言っているような気がする
その程度を欲するなら
その程度の結果を求めているということに
何で目を閉じるのだろう
な~んてね
制度は制度なんで
言ううことを聞いてまじめにやるのがいいとオモイマス