昨日の続き

〇ふるいにかけるために行われるものであるから多少とも困難になるのは道理

人気校(たいていは偏差値が高い)の場合は倍率が二桁にもなることは珍しくない。つまりはそこに進学したいというのはそれだけの見返りが大きいからという理由は想像するに容易である。それゆえに全国からたくさんの受験者が集うわけで大学側としてはそれらから選別しなければならない。特にこういった大学は首都圏に集中しており、最近のことでは定員を増やすことが禁止された。理由は地方大学がなくなってしまうという理由で納得するかしないかなどは関係なく決定事項である。ゆえにますます難化するのは当然の理。

中にはそれほど人気もなくレベルもそこそこなのに問題だけが難しいという場合もあるが、それが合否にかかわることはないという例もある。

〇普段の学習がそれにそぐわないものであるとき

公立高校の試験のように統一試験ならばその程度をこなせばよいので皆が同じ問題を練習することが当たり前だが、偏差値で30台から70ほどまでの差があるにもかかわらず、共通の問題練習をしていても無理がある。定期テストは確認試験であるからして、それでどうこうというのは別の話かと。もちろんそれが志望校に適するような内容ならば問題はない。ゆえに知らず知らずのうちに志望校との差が開いてしまうという事実は珍しくない例だ。

過去例として、入塾したばかりの高校生(三年)に本人の志望校の問題を見せたら難しいと憤慨してやめてしまった例がある。学校の数学なら取れるのだそうだ。

〇単に実力との開きがある

上の例にもあるように名前先行でビッグネームを掲げるがその実努力はしたくないという理由からか、そのための学習をしないことを続けるがゆえに開きは縮まらない。

というわけで大学入試の問題はなぜ難しいかというのは本当に難しい場合と難しいと本人が感じる場合とがある。今自分はどこを目指すのかということが第一要因になるわけで、それゆえの学習を模索しなければ志望校はただの夢ということになりえない。もし学習法という言葉を使うならこれだろう。

世間一般で難関と呼ばれる大学は難易度が高いということに漏れはない。そこを目指すにはそのような問題にどれだけ触れるかということになる。(もちろん触れるだけではない)早めにレベルを知ることが必要ではないだろうか。

さて、当塾ではそのような意識を持つ子供たちのために多くの時間を割いている。それはことの難しさを知る故で、決して容易ではないことを長い経験から痛感している。それを称してエクトラコースと言う名にしている。(いいネーミングが見つからなかった)このコースは他のコースの時間も利用してカリキュラムを終え難関入試に備えるための準備をしている。このコースはご家庭の協力なくして成立しない。あくまでもそれゆえに成立している。当然のことながら本人の努力が一番であって、学校との両立が必須になる。(このコースは学校の補足ではない。理由は上記)問題に対峙する勇気と根気と環境がなければ続かない。

あ、今回は大学入試がなぜ難しいかという話だったので元に戻る。

多くの人間が望むものはそれが希少価値が上がるれば上がるほど手に入りにくくなる。それゆえ全国の受験生や予備軍の子たちが皆切磋琢磨しているのが現状、難しいからあきらめるか、立ち向かうか、それは最後は本人の意思。幸いなことにこの豊かな国ではどちらも受け入れられる。

学校なんてどこも同じじゃないか?

ある意味同意する。

だから、同じじゃないところを志望するんじゃないのかな

 

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

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