当たり前というものが揺らぐ昨今
当然のように多種多様な考え方もある
そんな中でも大多数を占める思想
あるいはそうではない思想
今でも言うのか
それともすでに死語かはわからぬが
勝ち組とか負け組という言葉が乱舞したときあがあった
この勝ちとかまけとかという言葉のあてはめは
曖昧さであるがゆえに
万人が使ったのだと思う
ところで
今までもいろいろと意見をいただいた
その中には賛もあれば不もあった
それでいいのだとなおさらに思う
基本は変わっていない
勉強というものの中身が変わらぬのに
毎年変化する方がおかしい
ということもあるだろう
もちろん成績の分布が以前とは大きく異なったという変化は受け止めている
ただ、相変わらず少数派だという部分は変わってはいない
その少数派の中のさらななる少数派
そういった子に何かをしてあげたいという気持ちは変わっていない
そんな思いには賛も不もある
当然のこと
がんばる気があるのも
がんばれるのも
いずれも少数派
そうマイノリティ