飴と無知

がんばっている子供たちに対して周りができること

そっとしておけばいいと思う

そうじゃない場合は

どうすればいいのかな?

やれって言ってもやらない

好きなようにすればいいというのはもっと大人になってからだろうし

子供たちへの判断って親が思う目標値に達しているかどうか

なんていうのが判断基準になっていることが多いから

おそらく親御さんはもっと頑張ってほしいという願いがある

子供たちがやりたいようにという意味不明な話はよく聞くけれど

でも、最初に我慢できなくなるのはそれを口にした例が少なくはない

多様化する現代社会において

許容範囲がかなり広くなってきている

例えば芸人になりたいなんて言ったらどうこたえるんだろう

そんなものになれるはずがないとか

上手くいくかどうかわからないとか

そんな言葉を返すのかな?

プロスポーツ選手になりたいと言ったら

同じことを言うのかな

でも、体を鍛えるというかスポーツに情熱をかけることには

あまり厳しい意見を聞かない

同じく音楽(たいていはピアノかな)

練習しなさいとは言うけど

どこまでさせる気なのかな

ピアニスト?

発表会?

合唱の伴奏者?

本当に好きなことをしてもいいなら・・・・・

なんてことを言われたら大人は怯える

また勉強ばかりって?

そんなことは言っていない

ほかに恵まれた才能を持っているなら

それを伸ばすことにもっと専念すればいいと思っているし

いつも言っている

何もしないのがどうもたちが悪いようだ

それだって、保護者が許すならそれもありだろうし

何かを頑張れば(それを周りが許すなら)

いいのでは?

シリに聞けばわかるような問題で学力とか知力とか言われる風潮もどうにかならないものかと思っている

そのうち(もしかしたらすでに)AIは意識をもつだろう

あとは感情か

楽しんで、苦しんで、悲しんで、喜んで、悩んで

まだヒューマンができることを子供たちにもっと経験させてあげれば

いいなあ

なんて思う

大人はもっと楽しそうな顔をして大人は楽しいと子供たちにアピールすれば

そうじゃなきゃ子供は大人になんかなりたくないと思うのは当然だろう

大人は大変だ

大人はつらい

おとなは・・・・

そんなのもういいって

子供のうちに苦しんでおけって

よく言うじゃないですか?

えっ、言わない

でも、それは間違っていないでしょう

好きな映画の好きな音楽

 

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です