こんな話がある

ある敬虔なクリスチャンの乗っていた船が難破した

柱一本につかまり海の上を漂ていると

まるで、背中につかまれとでもいうようにイルカが周りを泳いでいる

しかし、彼はそのイルカに行った

私には神がついている

だから、お前の助けはいらない

イルカは遠くに泳ぎ去った

しばらく漂っていると

小さな漁船が近づいてきた

「さあ、この船に乗りな」

漁船の男が声をかけた

「いや、私には神のご加護がある。きっと神が助けてくれる、だから構わないでくれ」

「しかし、これから海はあれる。早く乗った方がいい」

「お気持ちはありがたいが、神の助けを私は待つ」

男の強い態度に漁船はしぶしぶ離れていった

クリスチャンは神に祈りを捧げ続けた

しかし神の助けはなかった

そしてついに男は息尽きた

そして、神の審判の前に連れ出された

「私はあなたの教えを守り続けてきました。そしてあなたの助けがあることを信じた結果。ここにいます。なぜですか。」

神は彼の眼をじっと見つめ、重い口を開いた

「私はお前を救うためにいくつかの助けを施した。それなのにお前はその真意を理解することなく拒んだ。なぜおまえは私の心を信じなかったのか」

自分の愚かさを思い言葉を失た

日本人には神というのは別な意味を持つことが多いのだが

そういうことって誰にでもあることのような出来事

誰かが、助けの手を差し伸べているのに

違う方向にかたくなに向かう

いろんなアドバイスや助けはあったのに

周りが悪意だけではないということも考えるのはどうだろう

(悪意ある、あるいは無分別なアドバイスをする人が悪い)

少し先を考えれば、そのアドバイスや助けのどれが正しいのか

判断できるはず

好きな小話だ

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

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