これを言えるのはものすごく身近な人か
全くの他人
身近な人は「後の責任はまかせろ」という意味も含むだろう
全くの他人は「ふ~ん」といったところか
「勝手にしろ」という訳には少し乱暴なものを含むような気がする
子供たち(ここでは小学生、中学生、高校生)とその保護者
との葛藤がある
それは昔から変わらぬ話
もちろん当事者にとっては現在進行形の話
子供のことを慮って「勉強なんて頑張らなくてもいいよ」
同じく「もっと勉強しなさい」
どちらも気持ちは同じ
違うのは勉強に対する恐怖心じゃないかな
勉強させると子供たちがおかしくなるかもしれないという迷信
勉強なんてどうにかなるという経験値
勉強することへの不信感
勉強することへの当然感
これだけやっておけばいいだろうという自己欺瞞
これぐらいはやっておかなければという常識
これらに対し子供たちの甘えがそれにこたえる
「思い」の中で子供たちにもっと期待しようと書いた
それは重荷になる?(前者の考え方)
期待もされないほうがどれだけつらいか
そちらの方にウエイトがかかる
勉強なんてどうにかなる
いやいや、どうにかするんだよ
もちろんですが
私は後者
好きなようにさせるという
文字通りの例はほとんど見たことがない
そもそも、存在しないだろうと思っている
勉強しなくてもいいというのも
好きなようにさせているわけではない
子はいつも親の顔を見ている