なんとも漠然とした表現だが
ヒトリベンキョウなんてことも含めて
どれだけの量をノーしているだろう
個人差はあれど
小学生であれ高校生であれ
学校に通っていれば
ノートにして4,5枚あるいはそれ以上を埋めているかもしれない
しかもほぼ全員
中にはカラー交じりで見た目も美しく
さあ、書き方の勉強をしているわけではない
それを覚えなければならない
あるいは理解しなければならない
その作業をしなければ
ただの時間つぶし
背筋を伸ばし、眼を黒板に向け、口を閉じて
それだけだったら、ただの修行
しかも到達点はない
家庭学習の重要性
これをおろそかにしたら、すべて(?)無駄
学校に通うだけで勉強をマスターできたらいいんだろうけど
何百人も集まってほとんどがそうじゃない
ということは、学校の指導はきちんとしているのだから
あとは個人差の問題?
その個人差とはなんだろうか
そのことを考えてみると・・・・・
勉強が得意な人間のほとんどは上手にこなしている
頭がいいなどとは言わない
不得意な人は得意な人間が頭がいいと結論付ける
そんな例はごく一部
クラスに一人、学年に一人、学校に一人、地域に一人?
そんなにいない
「風」はたくさんいるだろうけど
だから、みんな努力している
そのことを棚に上げるのは・・・・ね