何かを学ぶことは生活に関係ないから面白い

やがて、英語ですべての意思疎通をはかるような時代が来る

大人になって字が読めなかったら

普段の生活において説明書が読めなかったら

いろんな脅しをかけて勉強させようとする輩がいる

正直なところ受験勉強は打算的なものの代表格

就職するためには必要という考えがそう

それならばそれで一生懸命になればいいのだろうが

そうはいかないようで

ほかのいろいろな世迷いごとに関心を向けるように促す輩がいる

それでも勉強は大事だと同じ口から放つものだから

子供たちはラビリンスに入り込む

まじめにやれば勉強なんてどうにかなると同じ口で子供たちに発破をかける

他のものよりはそうだと思う

勉強で苦労しない子供たちなんてほんのわずかはいるだろうと思う

(勉強を使わない人生を選ぶのを除いても)

勉強なんて全部同じだという人もいる

いろんな意見を耳にする子供たちがどれを信用するかは本人次第

(信じたいものを信じるというとらえ方もあるが)

それはそうとして

何かを学ぶというのは面白いという思いがある

もちろん、強制的にやらなければならなものはあるだろう(それはそれでどうにかしなければならないが)

自分で満足したい人は自ら進んでそれ以上のことを学ぼうとする

そんな子がずいぶんといることは確か

そしてそんな子供たちには読書を進める

学ぼうとしなくても読後には何かを得る

それだけ書籍には価値がある

中には自著を教科書代わりにわざわざ学びに来た学生たちに読み聞かせるという方法をとる輩もいるようだが

読めばわかるものを何時間もかけて説明するというのだから

どちらか(聞き手と話し手)はおかしいのだろう

まあ、そのような悪例は別として

子供たちは時間の許す限り書籍に親しんでもらいたい

いや、親しむべきだと思う

今しか読めない(いろんな意味で)ものがたくさんある

それが学ぶということの第一歩ではないか・・・・・・な

投稿者:

zyukutyou

青森市で学習塾を経営かつ指導しています 数学ならというキャッチフレーズに恥じない結果は出していると思います 趣味のことなんかも書きたいと思ってはいますが、書きません。 と言うことで、青森、学習塾、無限塾で気にとめていただけたら・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です