これは中学の時に赴任してきたあるキョウシが放った言葉
当時わが中学校は近代的な校舎だった・・・・らしい
三年の時彼は理科の担当だった
私たちの時から入試科目が五科目になった
彼は一度も授業をしなかった
正確にいえば教室にも来なかった
それを知っている学年担当の教師たちも策を施すこともなく
驚くことに主任だった彼のなすがままだった
定期テストの理科の総点が120点だった
理由は簡単、問題集を切りはりしたテスト各問題の下についてある点数もそのままだった
なぜ知っているか?
私が丸つけを手伝わされたから
「先生、100点超えました」
「じゃあ100点にしとけ」
「それじゃ、80点は?」
「こまかいこというな}
そんな会話だったような記憶
学校は楽しむところだと決めていたので
それが学業に影響することもなかった
それどころか、毎回自習時間のようで楽しかった
風のうわさで、のちに校長になったらしい
そのころから、ずっと笑い話の種
まったく恨んでもいないし、腹も立っていない
生徒を蔑んだ言葉ではじまった彼の存在は
近代校舎に猿が来た
という落ちで決着がついた
反面教師ではない、私たちの学年はそれまでの公立高校合格者割合の記録を作った
彼は主任として評価されたらしい
小学生の時も豪快?な教師がいて
ひと月に一度程度、授業をせずに山に散策に連れて行った
教科書も半分ほど余ったが
のちにそれが影響することもなかった
どちらも、現在では考えられないことのようだが
それで、楽しかった
ある意味幸せな環境だったかもしれない
全部の教師がそうだったというのではない
彼らも含めて私はいい教師に触れてきたと思っている
勉強は所詮本人の頑張り