あえて、「話す」とは表現しなかった
小学生から要求される外国語、いな英語とはっきり明記しようか
センター試験も変わるようだ
グローバル化というあいまいな目標に向かって
何を子供たちに強いようとしているのか
他の教科がこれによって簡易なものになるのなら
それも社会の流れかもしれない
ただ、学問ではない生活のツールとなる外国語の強化というのは
何かのスケープゴートに感じてしまう
科学に興味をもって、理科の勉強に精進しろ
というのもある
オリンピックの余波で底辺が広がればそのうち優れたアスリートが生まれる
という考え方と同一だと認識すれば
子供たちには選択肢が与えられるというか
選択することを余儀なくされるという方があっているだろう
いっそのこと、受験科目を減らしてスペシャリストを求めれば
いいのにと思ったりもする
国語も、英語も、数学も、理科も、社会も
ちょっとづつ覚えたような気にさせる試験制度
世界に通用するとされる芸術家やアスリートや科学者は
外国語が堪能でなくとも国際人だし
彼らの魅力はまさしくグローバルだ
話せるだけなら、大学からでも可能
いったい、何を求めているのか不確かな方針は
迷いを生むだけ
というのは言い過ぎか?
学んだ専門を使って生活している人ってどれだけ少ないか
そのことをもっと問題視するべきじゃないかな
もう少し国語力の強化は?