そして頭が混乱する

始まって、二日三日ぐらいでの感想のようだ

それが勉強会

たぶん、毎日続く春期勉強会は

夏、冬と違って連続という部分で大変だろう

一つ目の山

ここで踏ん張る

次の山は短期なのでおそらく終盤

それ以降の目前の山に狙いを定める

少しでも山の頂が見えたらいいなあと思う

雲に隠れて見えなかったら・・・

見えるまで歩み寄るしかない

便利グッズや王道は存在しない

ましてや八分の力で出し惜しみしていてもやはり・・・ね

時には力を抜くのも必要だということはわかる

「時には」・・・・だ

どうせがんばるなら

・・・・・・・・・・・・・・・

ただ、先はまだまだ先

いろんなことにチャレンジしたくなるこの時期

その中のひとつに勉強がある人

あるいはない人

あるいはいろんなことではなくただひとつにチャレンジしようと考える人

それぞれが異なった考えを持つ

それにどうこう言う権利は他人にはない

ただ、アドバイスならできる

浅く広くもあるだろうし

深く貫くこともあるだろう

それだって皆異なる願望があるだろう

他人がどうこう言うことではない

ただ、相談されれば意見はある

当塾にたどり着いた子たちには

その希望を訊く

それに答えるのが本人の場合もあれば保護者の方の場合もある

子供の気持ちを慮って保護者の方が代弁しているのかもしれない

どちらでもいいのだが

その希望がなければこちらからの指導も迷ってしまう

中学生や小学生の場合はそれがなくてもある程度は可能

その理由としてたいていの場合最短の目標は高校受験だろうから

まあ、それにしたところで志望校の違いはあるだろうから

多少の違いはある

多少だが

問題はその上を目指す場合

高校生ということになる

当塾では小学生や中学生でもその先に目標を掲げる子がいるので

それも含めてということになる

こちらの場合は多少の違いでは済まされない

そのことをわかってほしいと思う

高校生の場合は各学校で早い時期に

文、理系の選択を決めさせられる

それはとてもいいことだと感じている

ただ、その違いもそうだが

レベルということも決定したほうがいい

そうすればいろんなことを楽しむ余裕ができるかもしれないし

まったくないかもしれない

自らの立場がわかるだろう

それも他人に任せるという考え方もあるのだから

他人がどうこう言うこともないのかもしれない

他人とはいえ近い存在なのだから

考えてもらいたい・・・・・なあ・・・・という意見

修正能力

これはかなり必要なもののひとつ

個人的なことではあるが

PCなどはそういった能力があるおかげで助かることがずいぶんとある

自らの間違いに途中で気づき修正する子もいる

終わってから気づく子もいる

かたくなに自らの解法を貫こうとする子がいる

そういったことも含めてホワイトボードに解答を書いてもらう

できるだけ複数に

この場合同じ問題を複数人に解いてもらうとさらにいいのだが

なかなかそういった時間は取れない

高校生はほぼやれている

間違ったら直せばいい

間違わないならそれはそれでいい

というのも、間違うことでわかることって意外に多いから

掘り下げていくこともこの場合可能だ

ホワイトボードを増やしてよかったと実感している

高校生の場合などは30分なんて余裕で立ち尽くす

中学生はそこまではかからない

数字で表すには無理があるのを承知で記せば

30までいったら40の問題に変える

40までいったら50

50まで・・・・・

それもすべて解答を見ているから理解度がわかる

F  TO F

とこれは辞めるつもりはない

一方的に解説するのは時には必要だが

やはり、解法を見なければわからない

そのあたりにかなり重要性を置いている

間違いが恥ずかしいのではない

間違い方がおかしいかどうか

いずれにしろ、早めに修正したほうがいい

まあ、なんというか

分かれ道なんていくらもあるわけで

どれを選択しても自己責任

 

藁にもすがる思いで

といわれたことが過去に何度かある

「俺は藁か」と苦笑いするしかない

よくよく話を聞いてみると

困っているからどうしようもないから相談しているのではなく

それはそれぐらい必死でという思いを訴えたいということなのだとわかるのだが

正直、いい気分ではない

言葉は大事だと常々思ってはいるが

やはり、多少の学習は必要なのだと感じずにはいられない

それではどれぐらいが必要かということになる

たいてい大人になれば基準は自分になるから

それで、決めることになることが多いと思う

つまり、世間一般でよく使う

「ふつうは・・・・・」

というやつ

だから、「ふつう」というやつはあてにならない

同じ価値感覚を持つ仲間のなかでならそれもいい

ただ、これから社会を担っていく子供たちは

そのふつうをどこにするかというので大きく変わる

まあ「ふつう」は自分を「ふつう」だと決めたほうが

楽だし「ふつう」だろう

とふざけている場合ではないのだが・・・・

永遠の過程

これが信じる指針

残雪もわずかになって

気づけば冬用の靴を履くのも場違いになっている

最小限の片付けしかしなかったおかげで

近所では一番の冬景色が残る我が家ですが

それでも冬はもう過去のことだと断言してもいい頃だろう

そういった季節、気候になった

リフレッシュもかねて足を伸ばした今日(昨日?)

頭の中が少し整理できたかもしれない

いや、整理というよりも一日分の空白を作った

今、こうしている間も勉強に対峙している子供たちがいるかもしれない

いや、いるはず

勉強するにはいい季節

一番適さないのが夏ではないかと思っている

だからといってその季節をほったらかしにするわけにもいかないわけだから

適するも適さないのも関係ないのだろう

鉛筆を持ちノートを前に手を動かす

もちろん頭も

そんな作業の繰り返し

言葉にすれば

なんとなくつまらなく聞こえるかもしれない

ただ、同じ作業をしていても個人差が生まれる

これはいかなる原因か?

頭のよしあし

これを訴える人は多いが

どうだろうか

万一それが理由だとしたら勉強するのはその子にとって無駄ということになる

それはおかしいだろう

私から見ればその原因はわかりやすい

手と頭と目が別方向を向いているから

その場合がかなりのパーセンテージを締めるような気がする

物理的に時間がかけることに躊躇していている場合は別問題

厳しい表現をするなら

同じ問題を練習し、同じ話を聞き、同じだけの時間を有する

のに

結果が異なる場合、まずは時間を増やすのがいい

はじめはつらいだろうしいやにもなるかもしれない

けれど、そのうち同じ作業をするのに費やす時間は短縮される

解けることの楽しさ

これを感覚を覚えたら・・・・・

保護者の方に言われて通塾している子もいるだろう

あるいは自らが訴えて通塾してくれている子もいる

対峙しているのは子供たちだから彼らがどう感じるかが重要だと思っている

テキストも大事、勉強方法?も大事

けれど、解説が一番大事だと思っている

「あはっ」という表情を見るのが楽しい

それが、楽しいのだとあらためてふと考えさせられたのも今日

水ぬるむ春

少し背伸びをして見ませんか

 

 

春期勉強会

おかげさまで、空席わずか

出席者は

がんばりましょう

小学生の時間はまだ余裕があります

というわけで、今年度本当のラストスパート

春期勉強会はスタートダッシュです

いろんな思いが各々あるでしょう

でもやることは決まっている

アドバイスとして受身にならないように

口を開けて待っていてもえさを運んではくれない

自らが積極的になることが大事

終わってみて疲れたという感覚があるぐらい考える

そのことがひとつのアドバイスです

 

こんな小話がある

ある男が道を歩いていて大きな穴に落ちてしまった

どうしたものかといろいろと思案したが

その穴から出る方法が見つからず、頭を抱えてしまった

そこにある政治家がその穴の脇を通りかかった

男は助けを求めた

その政治家はああすればいい、こうすればいいと言葉巧みに彼に案を提示すると立ち去った

次に穴の脇を通りかかったのはお金持ちだった

再び男は助けを求めた

お金持ちは穴の中にポンと札束を投げ入れると立ち去ってしまった

その次に通りかかったのは牧師だった

三度男は助けを求めた

かれは穴のふちでしばし祈りをささげると立ち去った

その次に通りかかった男は助けを求める男を見ていたかと思うと

穴に飛び込んできた

「助けてほしいのに、穴に落ちたらどうしようもないじゃないか」

それに対して答えは

「俺も、以前この穴に落ちたことがあるんだよ」

・・・・・・

好きな小話です

どう受け止めるかは判断に任せるとしかないのですが

これを見て何かを感じてくれたらと

あえて、今日これを書きたかった

次に続く

これが、当塾で重要視して指導していることのひとつ

その場限りの方法で、また同じことを学びなおさなければならない

などということがないように

小中学生は中学、高校でも使えるように指導

中学生は高校、大学入試に使えるように指導

高校生はひたすら走る

これってかなり重要なことだと思っている

よく見かけるのが

進学する前に学んだ方法でどうにかしようとしている様子

これは、具体的にはちょっと表現が難しいが

多くの場合、そこまでまじめにやってきた子に多く見られる

やる気のある子にそういったコースを用意しているのもそれが理由

また、別のコースでもそういった指導を心がけている

別の教科になるが歴史を想像してもらえればわかりやすいかと

小中高すべてで歴史を学ぶ

しかも同じ地域の歴史を・・・・・だったら・・・・・

そういったことがあるという風に頭の中に浮かべてもらえれば

わかりやすいかも

もちろん、当塾で最も扱うのが数学だから

ニュアンスの違いはあるわけだが・・・・・・

それを重要視していることを踏まえて言わせてもらう

どうしても時間がかかる教科

同じような時間の割り振りの中で五教科なんていうのは不可解

それに、その他の教科が嫌いな子はたくさんいたが(したがって、そういった意味での苦労はあるだろうが)

手に負えないという子は成績優秀者にはいなかった

まあ、そんなことは周知の事実であるから

いまさら、数学は大変だという必要もないと思うのだが

ましてやその他の教科のほうが、あるいは同じくらい重要視することなど

ないと思うのだが・・・・・

数学ができればすべてうまくいくなんてことは言えないかもしれない

けれどこれで決まる、あるいは判断されることが多いという事実も多い

学年は関係ない今何を学んでいるかというのが

こちらから見た判断

次に使えるか?

やっている子は実感しているはず

よく一発屋といわれる彼だが

彼の名曲は永遠だ

マイノリティー

いろんな場面において必ず存在する

民主主義という考え方を尊重するなら

多数派が正しい・・・・・ようだ

そんなポリティカルなものの真偽はよく知る話

ここではもちろん違う

100人に対して10人というのは少数派かな?

それでは、300人に対して10人は?

上に示した数字はある割合を大まかに示している

多くの場面において多数派を中心に物事は進む・・・・ことが多い

そのことに困惑はあるがどうしようもないのだろうとも思う

だからといって正しいかどうかは数に関係ない

たとえば、まじめに?真剣に?勉強する人間は少数派だというのは

長い経験からして判明した事実

そんなことわかっているというかもしれない

ただ、はっきりと言い切れるのは

そうではないと期待を持った見かたをしてきたにもかかわらずということ

長くやっていれば少人数の塾ではあるが、ずいぶんと子供の数を見てきた

その中には多数派と少数派は混在していた

高校生は特に少数派が多かった

そしてまた、その少数派の子達のアクセスがあった

自分たちが孤独になる傾向がある少数はに

間違っていないということを声を大にしていいたいとあらためて思う

小学生や中学生だけのエクストラコースの子達はそういった予備軍

何の不思議も疑問もなしに邁進している

知らぬ人が見たらこの子達の年齢に疑いを持つかもしれない

習慣だけでどうにかなるような教科ではない数学

それを何の疑問もなく進んでいる

こんなことをいわれたことがあった

「勉強ってどれだけ進んでもいいんだ」

学校教育に文句を言うつもりは毛頭ない

そこはそれをする場所であって、そういった子たちのニーズに合わせているわけではないのだから

何十人もの子供たちを指導する教師にはいろいろ苦労があるのだろうと思う

同じように高校生にもそのようなコースを作ったのは

かねてからやってきたことに名前をつけただけ

これをこなした子達がみな難関とは言わないが

そこそこに進学した

そして

一年ぶりの新一年生

やはり、力は入る。期待もする

何かを感じてここにたどり着いた子達に

できることはただ一つ

うそは言わない

甘言は言わない

そこにたどり着くための苦労を共にする

おいおい、ひとつじゃないだろうって

言葉のたとえですよ

一年からがんばってくれる子に力が入らぬわけがない

夏までは走ります

その次は?

走る速さを変えます

ゆっくり?

まさか・・・ね

今日から始まった新高一の話でした

続いてほかのコースについて

自習してくれている子達が増えているのがいい兆し(狭くてごめんなさい)

どうしても、その時間の子達に集中するけど

しっかり見てます

というわけで、少しずつ芽吹き始めた当塾です

安直ですが

やはり

どうせなら

いい音楽を聴き

いい本を読み

いい映画を観て・・・・

と思う

かなり漠然とした表現で

「いい」という定義がはっきりしない

つまりは、この「いい」というのが抽象的だということ

いろんな例を挙げるまでもなく

人によって、定義も

そして定義されたとした後でも

「いい」は異なる

多様化が容認される現在においてはさらに複雑な言葉

受験勉強だって同じこと

目標は同じでも行程は異なる

それがその子に合っているかどうか

そんなことを言い出したら際限なく細分化される

したがって、最大公約数の部分を強調することで

なんとなくいいような気にさせる手合いがいる

まあ、高校入試まではそれも理解できる

けれど、その次となれば話は異なる

最大公約数でお茶を濁しても・・・・・・

だから、次は情報だ

できるだけ信憑性の高い情報を集めるのが必要

「いい」という情報でもそれは個人によって異なる

受験にはこの問題集は必需品だとうたっているものがある

評判が高い場合にはやはり「いい」

けれど、その中身をどれだけ理解しなければならないか

というのも個人によって違う

こうやって書き始めると

正解がないような気がし始める

そこでわかりやすく言い換えてみる

そうそう、その前に

最近難関高とあらわされる高校がここ青森ににも存在するのだということを知った

何年も学習塾として指導しているのだが・・・・・勝手にハードルを上げるのって自作自演?

受験するならがむしゃらになればいい(乱暴だけど適語だと思う)

そのために、自分の現状を知るべき

数学ならもっといいやすい

一番簡単な解法を選べばいい

呪文のような解法を真似ていたら使えない(趣味ならいいけど、そんなやつはいない)

90分から180分という時間で処理することを考えれば当然

そういった練習、習慣を早くから身につればいい(言い切る)

・・・・・・・

と熱くなるのは、当塾内のときにするとして

中学を卒業、よかったですね

小学の卒業式はもう少し後ですから、早めにいっておきます。よかったですね

高校を卒業、よかったですね

なんだか、支離滅裂になってしまいましたが

春はすでにすぐそこ

望むと望まざるにかかわらずやってきます

ということで「いい」曲「いい」演奏を

スーパーマーケットは便利だ

だから?