sin,cos,tanはいらない?

多分、そういったものを礎としたような教育が無くともなれるような仕事に就く方なのだろう。あるいはそうやって人生を歩んできた方

かといって、彼の表現をまったく否定しようとは思えない

彼の知的レベルを肯定する気は全くないが

こういった輩は一匹いれば数十匹いる

つまり氷山の一角だという低レベルな発想になってしまう

さて、それでは逆に聞きたい

なぜ必要なのか

論理的な発想がつく?受験に使う?自然科学を純粋に学ぶために?

まともそうな反論はごもっとも

でも、これも万人を納得させるのは難しいんじゃないのかな

「必要だから必要なんだ」

これだと今巷を騒がせている法案の推進者と大して変わらない

では・・・・

実生活において、そんなことを知らぬ人間(忘れてしまったか、そもそも理解し得なかったか)

たくさん、生活している

必要が無くとも生きてはいける

これだったら納得がいく

やらない人でも、やった人でも暮らしていける社会を作り出すのが本当だろう

やった人が偉いわけでもなく、そうじゃない人がだめなわけでもない

一般論で語られる勉強よりも大事なものがあるという意見には賛同しがたいが・・・・

せめて、絵図を描く人間には必要だと思える

極論を言えば

車は一種類あればいいし、食物だってman foodでもあればいい

洋服だって寒さをしのげるものがあればいい・・・・

つまり多様性を受け入れるためには必要なものなのだというのが考える一意

受験制度を変えるのも必要だろうが

そろそろ、そちらの選択制度も大きく変えてみるのがいいんじゃないのか

そう言えば、また受験制度が変わる方向に向かっているようだ

マルチかスペシャリストか、そんなことはいっこうに考えられてない選択はやはり疑問

どこか、やっておけばいい変更のような気がしてならない

あのゆ○○のように

九月になる前に

九月の目標を考えてみようと私は考える

別に何かを始めるのに適した月なんかないとは思うのだが

こうも秋の気配をさせているのも何かのきっかけかと

何をするかは

不言実行

どうも昔からこの癖がとれない

できないと、自分が許せない

人にとやかく言われるよりも

というわけで、一つだけ有言実行してみようか

読書の九月

これがその一つ

読書なんていつでもしているが、それを倍ほどにしてみようかと

なんでか、読みたい本があまりに手元にあるから

それだけなんですけど

あまり長いスパンの目標はもっと大きなことで

https://www.youtube.com/watch?v=buSzOh84QX4

相談してみてください

電話やメールでもと思われるかもしれませんが

顔を見ながらでないと、何かと不確かな事がありますので

基本的には受験勉強に関してということになるでしょうか

・自分でやっている勉強でいいのか

・夢はあるが勉強する気がおきない

・難関(5校程度の方)を志望しているが・・・・

・もう時間が無いけど志望は変えたくない

・遠方に住んでいるが、進学校を目指したい

・・・・・・・・etc

など、今思っている疑問や悩みがありましたら

相談してみてください

はじめにも書きましたが、電話やメールだと詳細が互いに伝わりにくいので

直接おいでいただけるものに限りたいと思います

子供たちに何をしたいのかを強いる人がいる

こんな人の場合、自分がどうさせたいかを強いている

悪い話ではない

子供たちに、幼いころから何かの指導を始めないと遅いことがたくさんある

ざっくりと、メジャースポーツとか音楽家とか・・・かな

趣味程度のレベルなら別としてやはりその道でつき進むなら・・・・

近い将来、受験制度は変わる

これに間違いはない

変えたいという事とすでに決定している話が混在して分かりにくいが

とにかく変わる。早いものなら今の高二

あるいは今の中一から

多分その後も変わっていくのだろう

グローバルで優秀な人間、しかも技術系ならいっそういい・・・ようだ

英語が話せる程度でもなく、すぐれた専門知識をも有する

んんん、いつも言葉の理想は高い

少し前の「ゆとり」とは大きく変換なのかな

多数を占める「普通」が許されないような社会になるのかな

いわゆる、競争の激化かな

すでに、それは始まっているんだろうけど

たんでもタイムラグってあるんだよね

評価は他人が決める、他人が遠いなら遠いほど真実

このことは忘れないで頑張りましょう

努力してからあきらめるのと

やる前からあきらめるのは根本的に違う

っていうか・・・・

考えてほしいな、子供たちには

二年生に

二学期というのは二年生にとって(中学でも、高校でも)

分かれ道になるシーズン

ここで、少し早めのスパートをかけるか

それとも、並んで走るか

三学期の中で最も長い二学期

前期後期とかなんとかせいなんていうのは関係ない

さらには三年が学校行事に関与しなくなり

二年がメインとなる

いろんな責任をかけられて役目も増える

充実しているような錯覚

自分の足元をしっかり見定めている人は

適応できる

でも、周りに流されやすい、あるいは流されることをよしとするひとは

今、一度考える時期

ふと気づいたら、周回遅れなんてことのないように

現実と夢との間に挟まれて揺れている

そして否応なしに選択させられてしまう

その選択が自己の現実

才能

やはりスポーツは才能なんだと世界陸上を観ながら、あらためて感じる

努力しているから

なんていうのは当たり前で、このレベルになると何でも才能なんだなあ

人は何かしらの才能をもっているらしい

適材適所というか、才能と努力がマッチすれば

飛躍的な成績を生み出すのだろう

自分の持つ才能がなんなのかを見つけるか

好きなことをだめでも努力するか

難しいね

でも、だから面白いのかも

受験って、それほど才能は関係ないと思う

国立大 文系の廃止、転換

将来を見据えてというお達しのようだ

将来を計るには当然現状からの判断であるだろうから・・・・

そういうことなのか

いろんな変革が全て功を奏すわけではないから

これも、どのような結果に導かれるのかは時間に訊ねるしかないのかも知れない

ただ、これから目指す人たちには大きな問題であるはず

まあ、国立だ私立だという分けかたがそもそもおかしい

おかしいと言えば・・・・

だいたいなくなるかもしれない名前を観ると

私立併願だとだいたい・・・・・

三教科で受験できるままなのかな

そのあたりは、これからの情報に気をつけておきたい

世界陸上

世界のトップレベルの選手たちによる競技会

このレベルになると何でもおもしろい

皆が努力してきたことに間違いない

けれど、そんなことは当たり前で結果を重視

努力してきたアピールなんていらない

観たいのは正直最高レベルの技術と技

そして、天才的な才能

スポーツというのはこの辺がわかりやすい

観て楽しいから放映される

そうじゃないものは結果すら小さく報道されるだけ・・・・

やはり、プロスポーツは面白い

余計なドラマはいらない

高校野球も終わって、さあ世界陸上

となるわけですが、高校野球はほとんど観てません

世界陸上は時間によっては観れるかも

とういうわけで、話は変わります

義務教育に9年、その後青森の場合は受験をするわけで

だからと言って、最後の一年だけ受験の準備をするわけではない

今まで、長い時間をかけて頑張った人たちの多くが(当塾の場合)

それなりの結果を手にしてきました

そんなに早くからなんていうこともよく聞きます

受験に対して志の高くない、あるいは生まれつきすごい能力がある

そんな人は別として、あたりまえだと思っています

幼稚園の頃からピアノを習う

まだ、日本語も使えぬうちから外国語を習う

小学生のころから、何かのスポーツをする

それらと比べたら、本気になるのが遅いくらいでしょう

情操教育と勉強は違うだろうって?

そう、確かに違う

けれども、早く始めればそれなりのメリットは確実にあるというのが

勉強の利点

なんの世界でも頑張って成果を出すのはマイノリティー

頭の中は誰にもわからない

わかるのは自分だけ

いろんな表情をして相手を欺こうとするのはそれほど難しいことではない

でも、子供たちというのはその辺も正直で

すぐに顔に出る

本人たちはそう思ってはいないかもしれないけど

本当に考えていることをうまく表現することができない場合もある

でも、やはり本当に思う気持ちは本人しかわからない

悲しいかな、そういう自分がわからず人に流される場合も少なくない

皆がそうするから、自分もそうしたいんだろうと考えてしまうようなこと

綺麗な話を聞いて、それが真実だと思い込み

やがて現実を知る

早ければいいけど、遅すぎる場合もあるだろう

周りの話をうまく理解できないなら、書物に求める方法だってある

自分が賢くなるように努力するのが一番

勉強ができるようになるのとは違う。勘違いしないでほしい

知識がないところからは知恵が出ない

そういった努力はずっと必要なんじゃないかな

などと思ったりしている