当然だけど、方程式はない

生きていく過程においての確実性をもたらす方程式はない

多少の確率はあるかもしれないけど

だったら今やている努力は無駄なのか

いやいや

やらなければわずかな確率すらなくなる

ということなのかな

特に勉強に関しては

人のための勉強なんて・・・

自分のための勉強でしょう

それに早く気付いた方がいい

いやいわゆる勉強なんてしない

それも多様性のひとつ

全員が理解できるように作られてる指導要綱だって

想定外のことはたくさんああるだろうし

なにかほかに希望を見出すっていうのも

認めてあげなきゃ矛盾

その程度のことなのだから

やれたからと言って

なんの称号を受けることもない

なんてことを言うと

いろいろ批判とか批評とかされるかな

まあ

それも多様性の一つ

ということで逃走する

多様性も単一も行き過ぎれば気持ちが悪い

 

まず

問題を読む

何を問うているかを理解する

どういうアプローチをするのかを考える

ダメならアプローチを変える

そんなことが高校数学の実践問題を解くときの練習

ゆえに

問題によっては何を問うているかということから説明する

これはこうだ

という問題だってある

それはそれでいいわけで

武器になる数学というのは

そのあとが肝心

さて

これから数か月

濃厚な期間になる

受験生はもちろん

未来の受験生にとっても同様

がんばろう

手を動かす勉強を

もちろんボタンを押すだけというのは含まない

かといって一人勉強というのもごく一部で行われているのも

含まない

もちろんそれが自分の勉強としてやっているなら

それは一人勉強なので

線引きは難しい

そもそも自分がやるしかない

というかそれが一番のことなので

やはり一人勉強というのは

そういった意味では必要だということになる

まあ無駄にいじめるのはやめた方がいいという意見だ

誰のためなのかよくわからない

あの一人勉強とよばれるやつ

さて

九月だ

秋だ

始めませんか

待ってます

やる気になったらどんどん

そういう時期ってあると思うんですよ

同時にそれがそがれることもあると思います

なるべくなら小さい波で推移すれば望ましいし

それほど多くもない子たちにとって

ますます自力の意思が大きく影響する昨今

もうすでに皆一緒というのにも無理が生じ始めているようなきがする

そこんとこは各自で気づくしかないのかな

んんんんん

残酷だ

さて

季節の移動がささやかれ始めた

確かに虫の音が響き

それを打ち消すかのように無駄な元気のバイクの唸り声が夜になると聞こえる

久しく聞こえていなかったが

そのような集団が復活したようだ

健忘症のような会見が日々流れるのも

定期的に流れる風景

「記憶にございません」が流行ったのはいつだったか

おっと話がずれた

いろんな秋

日々の生活が心地よく送れる時期

楽しみたい

どこかで滝のような雨におびえている

どこかでいつ降ってくるかわからぬミサイルにおびえている

どこかで人に接近することにおびえている

どこかで過去を暴かれないかとおびえている

そのどこかはそこだ

そしてここだ

そしてここでは流れ来る未来に向けて頑張っている

何かが停滞していることでもない

新しいコモンセンスに向けて動いている

そんな今

二学期というのは

この表現もなくなるのかもしれない

前期後期とかいう表現になっている

まあ呼び方なんてどうでもいいわけで

その実はほとんど変化がないのだから・・・

さて

中一は学校にも慣れ少し先が見え始めるかな

中二はこの二学期はとっても大きな時期になる

中三はすでに方向性も頑張る度合いもわかっている。そして本番へ

高一も高二もこれから頑張るなどという悠長なことを言っている時期ではなく、これからもというのが正確な表現

高三は共通テスト対策も本番になるし二次試験の対策はもっと大変だし

上記以外でもいろいろと大切な二学期

一番長い学期

いままでそうでもなった人はかなり力を入れることになるだろうし

今まで順調にやってきた人はそのまま

とにかく大事だということを認識するのがいいかな・・・と

そうだと思ったら

思い立つなら今です

夜は涼しい風が吹く・・これがなんとも心地いい

もしかしたらやや寒く感じる人も

個人的にはただひたすら心地いい

秋の気配?

虫の音が窓から聞こえてくる

我が家の周りは虫がたくさんいる環境

いい気分だ

至極

しばし休養を体に与えるつもり

そして次を見据える

先日NHKのドキュメンタリー番組を見た

夏期勉強会も終えしばし話題を変えて

太平洋戦争・第二次世界大戦のものを連続してみた(インパール作戦)

中身は・・・・つらい

とっても

子供たちが見たらどう考えるのだろう

どう受け止めるのだろう

見ながら頭の中にいろんなことが駆け巡った

中学生ぐらいだったら

その非道な出来事をどう見るのだろう

今回見たものは内地の悲惨さではなく

前線での出来事

保身に走る責任者

ビルマ(ミャンマー)での出来事

そもそも戦争は非道な出来事には事欠かないが

やったことも

やられたことも

戦争は必要悪などと小賢しいことを言う輩もいるが

大昔の戦争の話を学ぶ歴史も必要だろうが

前回の大戦の話を教えることは

必要なのではと考える

やられたらしょうがないだろうを理由にしてはならない

ユダヤの知恵というものの中で

賢い人間というのは何かが起こった時にうまく対処するのではない

賢い人間というのはそのようなシチュエーションに合わないようにする

というものがある

そうだよな

と納得してしまうのだが・・・・

たのしい

かなり以前のことだが

子供が家で面白かったとか楽しかったと言ったらしく

保護者の方から

数学なんて勉強して楽しいわけがないという批判を受けたことがある

どうも遊んでもいるかのように受け取られたようだ

また逆に子供が楽しんで学んでいることを喜んでくれる意見もいただいたことがある

こちらの方が多いということは付け加えておく

実際、上から圧を加えるような指導も多いと耳にする

それはつまらないと思う

特に優秀な子にとっては

ゆえに

おもしろいとか楽しいというのは彼ら彼女らの要求にこたえられたと嬉しく思う

満足できたことの表現だと受け取る

いずれどこかの段階で壁にぶつかることはよくある

それを超えるにはそれまでの頑張りがものをいう

そしてそれまでの成功体験が後押しする

何の道を選択するにしろ

できるなら楽しくできることが理想だと考えている

その楽しさは笑いもあるだろうし

知的好奇心をくすぐるというのもある

子供たちの話を聞いてご理解いただいていることに感謝します

いろんな時期もあるのだということも理解していただけて

とてもうれしく感謝します

恵まれた環境にあることに感謝します

楽しくやりましょう