よく話題に出てくることの一つに
「青森には何もない」
という話になる
では、なにがないのか?
これにはいろいろな意見がある
どうせないのなら、作ってしまうというのはどうだろうか
青い海、青い森、青い空(順番はこうだったか)
これだけで、人は集まらない
個々がないと思うものを作り出してしまうのはどうか
何もないというのは、なんでも可能であるという発想にしてしまうのは
あまりにも、突飛かな
よく話題に出てくることの一つに
「青森には何もない」
という話になる
では、なにがないのか?
これにはいろいろな意見がある
どうせないのなら、作ってしまうというのはどうだろうか
青い海、青い森、青い空(順番はこうだったか)
これだけで、人は集まらない
個々がないと思うものを作り出してしまうのはどうか
何もないというのは、なんでも可能であるという発想にしてしまうのは
あまりにも、突飛かな
数少ない尊敬する人物の中で盲目の方がいた
いろいろと言葉をいただいたが
その中で
「思い切り突っ込んでもいいが、逃げ道は作っておけ」
と言われたことがあった
恐れを知らない若かった頃
その意味は分かっても納得はしなかった
やがて、年月を重ねた今
やはり、同じである自分がいる
他の言葉は今でもいくつかは覚えているし
やはり、ある意味師であることに間違いない
けれど、やはり納得ができない
ましてや、若い人たちにそんなことを言える勇気はない
ふと、そんな昔のことを思い出した
進学するということにはいろんな意味を含む
ただ、共通するのは何かを学ぶために行くことに間違いないだろう
社会勉強だけに時間を費やす人もいるだろうし
専門知識を身につけるために(医学とか芸術とか・・・)
皆それぞれの目標があるのだろう
ただ、いかがなものだろうか
アカデミックなことに浸る時間であることに間違はないんじゃないかな
そんな話をする機会が少ない環境にある現在
自らが探し求めるしかない
したがって
そんな話をする機会はとても楽しい
いま、そんな時間を過ごさせてもらった
そして今日一日、思い出し笑いをさせてくれた
かつてのクラスメイトに
https://www.youtube.com/watch?v=BU_2HWYL_Ag
今日、ふとしたきっかけで高校時代の同窓会の写真を見る機会があった
そこにいた、昔を知る人たちの姿がちらほら
懐かしいと思う前に、その変貌ぶりに笑いが止まらず
今日はずっと思い出し笑いが続いた
前髪を垂らして格好をつけていた彼らが
掻きあげる髪の毛どころか、髪がない
こうして書いていても、その姿を思い出し笑いが止まらない
その頃の自分と同じような年頃の子たちと触れ合っている今
きっと、彼らも青春を謳歌しているのだと
ふと、原点に戻ることができた
まだ見えぬ将来に不安を抱きながらやみくもに頑張っている
彼らに、あらためて応援したい気持ちが大きくなった
当時はやっていた曲を
https://www.youtube.com/watch?v=rdcyyTLaJWw
ヤバイ、しばらくは思い出しただけで笑える
大きな目標を立てる
それが実現しそうになる
そうしたら、次は何を目標にするか
常に次を考え続ける
やることが無い←やる気がない、あるいはやる気力が無い
漠然と一人で静かに考えてみる
何をしたいのか?自分は
もちろん、少し先の目標
自分が意識しなくとも、頭の中では何かが動いているものらしい
何かいいことがあるかもしれないという期待、予想
それをどうにかして自分にもたらせればいいんだろうな
なんて思ったりする
https://www.youtube.com/watch?v=uSR5A–rSOs
職業上、受験に関してに限ったところで話を始める
同じ高校受験でも
同じ大学受験でも
一口で言ったら同じに聞こえるかもしれないが
全く違うと言っても過言ではない
老婆心ながら、早く実状を知ってほしい
いや、知った方がいいと思う
それによって、いろんな余暇を過ごすことができるか
それとも専念するかが決まってくる
つまり問題の選択の時点から異なるのだ
もっと細部を言うならば
どこまで、理解するか、いやしなければならないかが違ってくる
小学生から必要を感じて頑張る子がいる
総体まで頑張ってから、道を進み始める子がいる
みな、それぞれ
それが、自分の進みたい道に合っているなら
それが、目標なら
他人が口をはさむ余地はない
でも、一言付け加えるなら
今の日本は、勉強しないで済む将来ってだいぶ狭まれるんじゃないかな
多分、そういったものを礎としたような教育が無くともなれるような仕事に就く方なのだろう。あるいはそうやって人生を歩んできた方
かといって、彼の表現をまったく否定しようとは思えない
彼の知的レベルを肯定する気は全くないが
こういった輩は一匹いれば数十匹いる
つまり氷山の一角だという低レベルな発想になってしまう
さて、それでは逆に聞きたい
なぜ必要なのか
論理的な発想がつく?受験に使う?自然科学を純粋に学ぶために?
まともそうな反論はごもっとも
でも、これも万人を納得させるのは難しいんじゃないのかな
「必要だから必要なんだ」
これだと今巷を騒がせている法案の推進者と大して変わらない
では・・・・
実生活において、そんなことを知らぬ人間(忘れてしまったか、そもそも理解し得なかったか)
たくさん、生活している
必要が無くとも生きてはいける
これだったら納得がいく
やらない人でも、やった人でも暮らしていける社会を作り出すのが本当だろう
やった人が偉いわけでもなく、そうじゃない人がだめなわけでもない
一般論で語られる勉強よりも大事なものがあるという意見には賛同しがたいが・・・・
せめて、絵図を描く人間には必要だと思える
極論を言えば
車は一種類あればいいし、食物だってman foodでもあればいい
洋服だって寒さをしのげるものがあればいい・・・・
つまり多様性を受け入れるためには必要なものなのだというのが考える一意
受験制度を変えるのも必要だろうが
そろそろ、そちらの選択制度も大きく変えてみるのがいいんじゃないのか
そう言えば、また受験制度が変わる方向に向かっているようだ
マルチかスペシャリストか、そんなことはいっこうに考えられてない選択はやはり疑問
どこか、やっておけばいい変更のような気がしてならない
あのゆ○○のように
こんな人の場合、自分がどうさせたいかを強いている
悪い話ではない
子供たちに、幼いころから何かの指導を始めないと遅いことがたくさんある
ざっくりと、メジャースポーツとか音楽家とか・・・かな
趣味程度のレベルなら別としてやはりその道でつき進むなら・・・・
近い将来、受験制度は変わる
これに間違いはない
変えたいという事とすでに決定している話が混在して分かりにくいが
とにかく変わる。早いものなら今の高二
あるいは今の中一から
多分その後も変わっていくのだろう
グローバルで優秀な人間、しかも技術系ならいっそういい・・・ようだ
英語が話せる程度でもなく、すぐれた専門知識をも有する
んんん、いつも言葉の理想は高い
少し前の「ゆとり」とは大きく変換なのかな
多数を占める「普通」が許されないような社会になるのかな
いわゆる、競争の激化かな
すでに、それは始まっているんだろうけど
たんでもタイムラグってあるんだよね
評価は他人が決める、他人が遠いなら遠いほど真実
このことは忘れないで頑張りましょう
努力してからあきらめるのと
やる前からあきらめるのは根本的に違う
っていうか・・・・
考えてほしいな、子供たちには
やはりスポーツは才能なんだと世界陸上を観ながら、あらためて感じる
努力しているから
なんていうのは当たり前で、このレベルになると何でも才能なんだなあ
人は何かしらの才能をもっているらしい
適材適所というか、才能と努力がマッチすれば
飛躍的な成績を生み出すのだろう
自分の持つ才能がなんなのかを見つけるか
好きなことをだめでも努力するか
難しいね
でも、だから面白いのかも
受験って、それほど才能は関係ないと思う
将来を見据えてというお達しのようだ
将来を計るには当然現状からの判断であるだろうから・・・・
そういうことなのか
いろんな変革が全て功を奏すわけではないから
これも、どのような結果に導かれるのかは時間に訊ねるしかないのかも知れない
ただ、これから目指す人たちには大きな問題であるはず
まあ、国立だ私立だという分けかたがそもそもおかしい
おかしいと言えば・・・・
だいたいなくなるかもしれない名前を観ると
私立併願だとだいたい・・・・・
三教科で受験できるままなのかな
そのあたりは、これからの情報に気をつけておきたい