今よりも

大きな変化は痛みを伴うものらしい。

経済でも国策でも

小さな力ができることは

「今よりも少しだけましな世界になるような努力」

かな、なんて思ったりする。

後退は嫌だ。前進は希望がある。

時には停滞もあるだろうが、望むのは日々少しだけでもマシになること。

そんなことを考えている。

ペレルマン

「ポアンカレ予想」なる難解な問題を解決したロシアの数学者

彼が自信をもって名だたる数学者の前で解説した時、誰も反応する者がいなかったそうだ

それは、そこにいる高名な数学者たちにとっても難解すぎる話だったらしい

その後彼は失意なのか、ほかの理由かは定かではないが

彼は隠遁生活に入る。

今でも何かしらの問題に取り組んでいることは確かなのだが

誰にもそのことは告げないそうだ。

彼の難解な理論は人知を超えていたのかもしれない。

チャップリンがアインシュタインと話をした時

アインシュタインが「あなたは素晴らしい、世界中の人を喜ばせる」

それに対してチャップリンの答えは

「あなたのほうが素晴らしい、世界で5人も理解しているかどうかわからない理論なのに皆があなたをすごいと思っている」

いわゆる天才ってこんなものなのかもしれない。
この人たちもそんなことがあったのかなあ

集中力

これは非常に難しい。

鍛えてこなかった人にとっては

自分が集中できることならあるんだけど・・・

顔はこっちを向いていても頭ははるかかなたに飛ばしてしまっては

どうも・・・・

勉強って意外に体力もつかうんです。座っているだけだろうって?

そんなことはありませんよ。

テストが終わってさあ部活だ

なんて、普通はおかしいんだけどね・・・・

では、どうやったら勉強に集中できるか。

好きになればいんですよ。

そんなことは無理だって

だったら、なんか打算的な目標でもいい

それも見つからない?

新聞とか、ニュース番組とか見てごらん

やりたいと思いはじめるから

たぶん、きっと

できないこと

できないことなんてたくさんある。

でも、やらないことの方が多いような気がする。

別に勉強に限ったことではない。

そして、自分をも鼓舞する意味でもういちど振り返ってみたい。

やれないこととやらないことの差。

理由をつける前に、いいわけを考える前に

もう一度

あとひと月

と言いたいところだが、そんなことはない。

あと二カ月と考えてほしい。

高校受験まではあとひと月。

大学の入試が今年閉め切るまでにあとふた月。

切符を手にするまで受験は続く。

したがって、二年生は後一年ほどだということ。

部活動が終わってからでもないし、修学旅行が終わってからでもない。

もちろん学園祭が終わってからではない。

目標を立てて目指す。具体的な方が立てやすいが、そうもいかないかもしれない。

だったら、せめてレベルを考えよう。

高校受験はこの地域だけの戦い。

大学は全国区。さあ、考えてみて。何すればいいか。

曲は自分の好み、若い子たちに迎合するつもりは全くない。と思う・・・・

予報が外れて

最近は青森市の予報はほとんど当たらないからうれしい。

一時間程度はかかる除雪作業は・・・・

もう雪は見たくないからといった受験生がいるが、その分夏はくそ暑いぞ。

ここよりも寒いところを受験する人がいる。

都で受験する子がいる。

これから始まる生活はいずれも楽しそうだ。

いや、楽しいに違いない。

皆の志望がかなうことを願ってやまない。

それと、あと春が来ることを。

何をするにせよ

まずは、気持ちが大事かな。

いろいろと悩む年頃の子たちと付き合っていると

最初はそこから始まる気がします。

個人差はいろいろとありますが、自分を偽るというのは少なくありません。

それが悪いというのではないんです。

自分を着飾り、自分を擁護するというのはプライドを持っているということでは

と考えます。

ただ、いつも言うのですが、遅いという言葉が当てはまるような年頃ではないんですよ。

私が付き合っている子たちは、まだまだ時間があるんです。

もちろん少しでも早くというのは当たり前なのですが、

それはそれとして自分が方向性を見失ったら、少しバックしてもいいじゃないですか。

おかしな道を突き進み続けてごまかしていたら、本当に道を誤ってしまいます。

嘘は自分を大事に思う人間の防御と考えれば向上心があるという風にも言えるかも知れません。

でも、間違っていると思ったら軌道修正すればいいんですよ。

それだけ。たった、それだけのこと。

アベレージ

まったくもって、不思議な数値である。

人によっては安心を覚え、人によっては落第点だと認識する。

いずれにしろ。正しくもあり、そうでないともいえる。

もう少し進めて偏差値というものがある。

これも同様だ。

やはりこれも定かなことは何もない。

母集団の能力によって値が変わる偏差値は本来の定義ほど確かなものではない。

A高校の偏差値で60。B高校では同じ点数で偏差値50。もちろん同じ問題で

そんな不確かなものに迷走するのはうんざりなのだが、

それでも目安になる。

同じようなことがテストでも言える。

それで、何が計れるのか?

それでも、やはり目安になる。一部の人間にとっては

平均と銘打ったが、つまりは今の状況じゃ何の目安にも不確かだということを

考えてみてほしい。

もちろん良ければいいし、悪ければ困る。

でも、それに依存するのはどうだろうか。

百歩譲って、市内の中学校のデータは使えるが、高校は・・・・

人は信じたいものを信じるのであって、それが真実であるかどうかなんて影響しないことが多々ある。

今、一年、二年、あるいは入学を目前にする人たちは考えてみてほしい。

ルサンチンマン

やらないんじゃなくて、やれないんだ。

努力してもわからないんだ。

勉強の仕方がわからない。

教える人が悪い。

頭が悪いから。

そんなことは年をとってからのいいわけにとっておいた方がいい。

その頃にはそうだよねと周りも納得してくれる。

まだ、年端もいかない若い子たちはそんなこと言うな。

99パーセントの努力と1パーセントのひらめき。

とは、言わないが。誰でも努力している。

悲しいかな。言い訳は頑張らない人間の口癖が多い。

「うちの子は頭悪いから」

そんなことを本当に思っている親はいない。

別に勉強したくない人間に言うつもりはない。

少なくとも、うちに通ってくれる子たちは勉強しなければならないという思い
をもっているのだと信じている。

他にも道はある。それはそっちでどうぞ。

デジャヴとジャメヴ

見たことないのに、見たことがあるかのような気になること

ジャメヴ・・・知っていることなのにまるで未知のように感じること

一生懸命学習した人間が陥るのが後者

ろくに勉強しなかった人間が前者

つまり、努力しなかった人間が「あれ、これ見たことある気がする」

なんていうのは錯覚。それは間違っていることが大半。

そうじゃない場合は、あせらずに落ち着いて問題を読みなおす。

そうすれば思いだすことがある。

けっこう逆にというかデジャヴを見たことがあることと勘違いしているみたい。

努力した人間がうまくいくことを望みます

そんな結果が出ることを期待します。

そうじゃなかった人のことはどっちでも。

そんな社会であることを、すべてにおいて望みます。

今日、「なんど」というアップリをやりました。

中学生の知識で十分で解けます。複雑な計算もいりません。

お勧めというわけではないですが、どれどれと思う方はどうぞ。

受験生はやめといてね。中学生はやってもいいかも。ゲームよりは。

わかんなかったら聞いて。すべて解きましたから。

未来はあなたの手の中