その周りに生じる厄介なこともしなければならない
それを厄介と言ってしまえば
不幸な表現かもしれない
厄介だと思って何年もやり続けるなら
いっそのこと
好きにしてしまえばいい
と考える
受験勉強が好きになれるか
という意見がまるで聞こえてくるようだが
勉強というものは好きになることに不利益は少ない
それを拒否するなら
それを必要としない生き方を選べばいい
勉強というものはほぼすべてに必要だが
ここでは学習の話
新しいことを学ぶことに楽しさを感じる子は多い
遊びを学びに持ち込むのは否定したい
修行のようにこれを順に学ばなければというのもどうかと思う
意味不明な効果不明なことを強いることは
間違いなはず
その一つだけその効果が表れた例は
オリンピックの開会式でのアスリートたちの聞く姿勢だったかな
少し奇妙に映った映像だった
話を元に戻す
好きな勉強をするのではなく
好きになるように勉強をする
これは周りの影響も大きいだろう
いろんな疑問を持って
前に進んでほしい
疑問がないというのは
思考していないというのにも似ている