勉強がつらいという経験を持った人が指導したら
勉強なんてつらいものに感じるのは当然で
そういった人は
自分が苦しんだ
自分ができなかった
ことを強いる方法を用いる
同じ苦しみを君たちもやれと言わんばかりに
強制と規律だけを強調することで
本人はやってきたのだろう
これはいわゆる負の連鎖
そういった人の言うことの一つに
私はこんなに頑張ったから今こうしている
なんてこと
なんとも困った話だ
その言うことを聞いて辛いことをまねるのは
かわいそうなことだ
辛いと思うことを続けても
まあいいことはないのは想像しやすい
そういったときに仕事を例に出す人も多いが
それは全く別物
というか愚かな話だ
そういった人はつらいことが好きなのだろう
試験なんて理不尽なものだから
やりたくないことも必要とされる
だからと言って試験がいらないものだとは思えない
それをなくしたらレベルの低下にすぐにつながるだろう
先日倍率が0.2などという大学のニュースを見たが
それなどはかなり前から偏差値45程度
その現象はすでに表れていた
話を戻す
例えば漢字練習はいい例かもしれない
10回づつ書けというノルマ
試験をするから覚えておいでということでいい
そうでなければ本末転倒してしまう
再試験を繰り返せばいいだけの話
そういったわけのわからないことを現在でも強いる集団がある
分厚い問題集の答えを写せとノルマがある
実際には解いてこいということのようだが
現実はそうではないことは周知の事実
それでお互いが満足しあう
なんとも気持ちの悪い話だ
つまりは苦しめ、我慢しろ、辛さを感じろ
ということになる
それしか指導方法がないなんてことはないわけで
やっておけばいい
聞いたふりをしておけばいい
結果は考えない
やはり趣旨がずれている
書写じゃないんだから
写すだけの練習は勉強には適さない
勉強の仕方がわからないというのは
そういったことも由来する
それでは・・・・・
いずれ別の場所で
一つの結論は
楽しんでやればいいということ
目的は覚えること
そして教科によっては理解すること
それを受験までにできるようにすればいい
ゆえに情報はなるべく正確なものを
一度考えてみてほしい
勉強はやりようによってはゲームだ
先日も書いたのだが
勉強することの必要性を感じさせるようにしてほしい
ただし人間性は勉強とは関係ないと付け加える
勉強の楽しさ子供たちに教えません?