The show must go on

やらなければならないこととは何なのだろうか

それはあまりにも広すぎて的を得ない

今、自分のためにしなければならないことってなんだろうか

これだったら少し答えを求めやすくはないだろうか

ルーティンとなっている日常に少し変化を加えてみる

大きな変化でもいい

なんとなく流されているのがいい流れならそれは現状維持もあるかもしれない

けど、それは本当にいい流れなのか

そんなことを今一度考えてみるのも一興

当塾は学習塾であるから

それにかかわらない事項に関しては門外漢としたほうがいいのだろうから

関係あることに関してという立場から言う

ギアをもう一段階あげるということを考えていい

もう十分だよ

なんてことはほとんどない

まだまだ

自分がらくだと思えることで満足するのは

努力とはいわない

多少無理しても(多少にこだわらないが)

もう一段階ギアをあげてもいい

今がんばっている子全員にちょっときついアドバイス

やれるんだという気持ちで挑むのが大切

何かと忙しい4月

新しい場所を得た人はもちろん

学年がひとつ進んだ場合も

何かと気ぜわしい

いろんな行事が目白押し

新学期が始まり

新入学があって

それに付随することっていろいろありすぎ

啓蟄ではないが暖かくなれば

蠢きだしたくなる組織?もあるし

それはそちらでということで

こちらはこちらでうごめきだす

いや、続けている

あれもこれもがんばりたい、手に入れたい

すばらしいと思う

がんばれ

ひとつのことに専念したい

がんばれ

同じ時間しか持たないから

それをどう使うかは本人しだい

もし、専念したいなら当塾のエクストラへどうぞ

早い段階から目指します

いやいや、専念って・・・・

という場合は通常のコースへどうぞ

線引きは難しいけれども・・・・

高校生の場合も相談ください

選択は自分

後押しすることはできるけど・・・・・

対応するレベルは受験数学ならどこでも

まあ、できるなら楽しくやりたいとは思います

楽しく・・・・・・面白くのほうがいいかな

集中なんて静かにしなければできないなんてたわごとは信用しない

 

 

 

そして頭が混乱する

始まって、二日三日ぐらいでの感想のようだ

それが勉強会

たぶん、毎日続く春期勉強会は

夏、冬と違って連続という部分で大変だろう

一つ目の山

ここで踏ん張る

次の山は短期なのでおそらく終盤

それ以降の目前の山に狙いを定める

少しでも山の頂が見えたらいいなあと思う

雲に隠れて見えなかったら・・・

見えるまで歩み寄るしかない

便利グッズや王道は存在しない

ましてや八分の力で出し惜しみしていてもやはり・・・ね

時には力を抜くのも必要だということはわかる

「時には」・・・・だ

どうせがんばるなら

・・・・・・・・・・・・・・・

ただ、先はまだまだ先

修正能力

これはかなり必要なもののひとつ

個人的なことではあるが

PCなどはそういった能力があるおかげで助かることがずいぶんとある

自らの間違いに途中で気づき修正する子もいる

終わってから気づく子もいる

かたくなに自らの解法を貫こうとする子がいる

そういったことも含めてホワイトボードに解答を書いてもらう

できるだけ複数に

この場合同じ問題を複数人に解いてもらうとさらにいいのだが

なかなかそういった時間は取れない

高校生はほぼやれている

間違ったら直せばいい

間違わないならそれはそれでいい

というのも、間違うことでわかることって意外に多いから

掘り下げていくこともこの場合可能だ

ホワイトボードを増やしてよかったと実感している

高校生の場合などは30分なんて余裕で立ち尽くす

中学生はそこまではかからない

数字で表すには無理があるのを承知で記せば

30までいったら40の問題に変える

40までいったら50

50まで・・・・・

それもすべて解答を見ているから理解度がわかる

F  TO F

とこれは辞めるつもりはない

一方的に解説するのは時には必要だが

やはり、解法を見なければわからない

そのあたりにかなり重要性を置いている

間違いが恥ずかしいのではない

間違い方がおかしいかどうか

いずれにしろ、早めに修正したほうがいい

まあ、なんというか

分かれ道なんていくらもあるわけで

どれを選択しても自己責任

 

藁にもすがる思いで

といわれたことが過去に何度かある

「俺は藁か」と苦笑いするしかない

よくよく話を聞いてみると

困っているからどうしようもないから相談しているのではなく

それはそれぐらい必死でという思いを訴えたいということなのだとわかるのだが

正直、いい気分ではない

言葉は大事だと常々思ってはいるが

やはり、多少の学習は必要なのだと感じずにはいられない

それではどれぐらいが必要かということになる

たいてい大人になれば基準は自分になるから

それで、決めることになることが多いと思う

つまり、世間一般でよく使う

「ふつうは・・・・・」

というやつ

だから、「ふつう」というやつはあてにならない

同じ価値感覚を持つ仲間のなかでならそれもいい

ただ、これから社会を担っていく子供たちは

そのふつうをどこにするかというので大きく変わる

まあ「ふつう」は自分を「ふつう」だと決めたほうが

楽だし「ふつう」だろう

とふざけている場合ではないのだが・・・・

永遠の過程

これが信じる指針

残雪もわずかになって

気づけば冬用の靴を履くのも場違いになっている

最小限の片付けしかしなかったおかげで

近所では一番の冬景色が残る我が家ですが

それでも冬はもう過去のことだと断言してもいい頃だろう

そういった季節、気候になった

リフレッシュもかねて足を伸ばした今日(昨日?)

頭の中が少し整理できたかもしれない

いや、整理というよりも一日分の空白を作った

今、こうしている間も勉強に対峙している子供たちがいるかもしれない

いや、いるはず

勉強するにはいい季節

一番適さないのが夏ではないかと思っている

だからといってその季節をほったらかしにするわけにもいかないわけだから

適するも適さないのも関係ないのだろう

鉛筆を持ちノートを前に手を動かす

もちろん頭も

そんな作業の繰り返し

言葉にすれば

なんとなくつまらなく聞こえるかもしれない

ただ、同じ作業をしていても個人差が生まれる

これはいかなる原因か?

頭のよしあし

これを訴える人は多いが

どうだろうか

万一それが理由だとしたら勉強するのはその子にとって無駄ということになる

それはおかしいだろう

私から見ればその原因はわかりやすい

手と頭と目が別方向を向いているから

その場合がかなりのパーセンテージを締めるような気がする

物理的に時間がかけることに躊躇していている場合は別問題

厳しい表現をするなら

同じ問題を練習し、同じ話を聞き、同じだけの時間を有する

のに

結果が異なる場合、まずは時間を増やすのがいい

はじめはつらいだろうしいやにもなるかもしれない

けれど、そのうち同じ作業をするのに費やす時間は短縮される

解けることの楽しさ

これを感覚を覚えたら・・・・・

保護者の方に言われて通塾している子もいるだろう

あるいは自らが訴えて通塾してくれている子もいる

対峙しているのは子供たちだから彼らがどう感じるかが重要だと思っている

テキストも大事、勉強方法?も大事

けれど、解説が一番大事だと思っている

「あはっ」という表情を見るのが楽しい

それが、楽しいのだとあらためてふと考えさせられたのも今日

水ぬるむ春

少し背伸びをして見ませんか

 

 

春期勉強会

おかげさまで、空席わずか

出席者は

がんばりましょう

小学生の時間はまだ余裕があります

というわけで、今年度本当のラストスパート

春期勉強会はスタートダッシュです

いろんな思いが各々あるでしょう

でもやることは決まっている

アドバイスとして受身にならないように

口を開けて待っていてもえさを運んではくれない

自らが積極的になることが大事

終わってみて疲れたという感覚があるぐらい考える

そのことがひとつのアドバイスです

 

相対的に見れば

小さな砂山から見た岩木山は高い

岩木山から見た富士山は高い

富士山から見た・・・・・・

高い=「いい」

ということはいい難い部分があるので

それがイコール評価にはならない

ただ、そこで考えるのは基準をどこにするかということ

それによって相対的な意味が変わってくる

そこのところがいろいろと難しい

話をする場合にはそこの部分の認識の違いのすり合わせをするしかない

価値観の違いと一刀両断できるなら簡単だろうが

そうもいかない

そもそも、価値観の違いと言って話をやめたらどうにもならない

だから難しい

ところで、何をいいたいのかということだが

そういうことなんですよね

相対的が難しいから絶対的として判断できれば

それはわかりやすいんでしょうけど

それって、非人間的な感じがしないでもない

では?

そういうことなんですよね

ただ、評価として判断基準にするひとつの得策として

社会がどう見ているかというのは

わかりやすい気がしています

なるべく大きなコミュニティー、大きいなら大きいほうが・・・・

そういったことを考えると

安易に「おめでとう」なんて言葉は発せない

特に受験に関しては

同じように「残念だったね」とも

だから、いわない

この空間を知っている人なら対応を知っていると思う

誤解を招くかもしれないけど

そこまで、愚かな言葉を発するつもりはない

いざというときの言葉の選択は間違ってはいけない

何もいわずに深い考えがあるような振りをする愚者も信じない

きれいごとを並べ立てて自己満足するやつはもってのほか

どんな判断をするにしろ

まだまだ先にいろんなことが待ち受けている子達に

受験の○×で判断するより

それをがんばったことに評価をしたいと思う

それが、近くにいる大人の役目じゃないのか?

そして、次の動きをどうするか

このことがもっとも大事

受験ってそういうもの

そしてもうひとつ重要なこと(これは当人に)

自分の希望ぐらい自分で決めたら

そのために情報収集するアイテムはあるだろうから

そうすれば相対的にみて何が自分に必要かわかると思う

幾重にもカバーしすぎたら

わかりにくくなってしまった

こんな小話がある

ある男が道を歩いていて大きな穴に落ちてしまった

どうしたものかといろいろと思案したが

その穴から出る方法が見つからず、頭を抱えてしまった

そこにある政治家がその穴の脇を通りかかった

男は助けを求めた

その政治家はああすればいい、こうすればいいと言葉巧みに彼に案を提示すると立ち去った

次に穴の脇を通りかかったのはお金持ちだった

再び男は助けを求めた

お金持ちは穴の中にポンと札束を投げ入れると立ち去ってしまった

その次に通りかかったのは牧師だった

三度男は助けを求めた

かれは穴のふちでしばし祈りをささげると立ち去った

その次に通りかかった男は助けを求める男を見ていたかと思うと

穴に飛び込んできた

「助けてほしいのに、穴に落ちたらどうしようもないじゃないか」

それに対して答えは

「俺も、以前この穴に落ちたことがあるんだよ」

・・・・・・

好きな小話です

どう受け止めるかは判断に任せるとしかないのですが

これを見て何かを感じてくれたらと

あえて、今日これを書きたかった

次に続く

これが、当塾で重要視して指導していることのひとつ

その場限りの方法で、また同じことを学びなおさなければならない

などということがないように

小中学生は中学、高校でも使えるように指導

中学生は高校、大学入試に使えるように指導

高校生はひたすら走る

これってかなり重要なことだと思っている

よく見かけるのが

進学する前に学んだ方法でどうにかしようとしている様子

これは、具体的にはちょっと表現が難しいが

多くの場合、そこまでまじめにやってきた子に多く見られる

やる気のある子にそういったコースを用意しているのもそれが理由

また、別のコースでもそういった指導を心がけている

別の教科になるが歴史を想像してもらえればわかりやすいかと

小中高すべてで歴史を学ぶ

しかも同じ地域の歴史を・・・・・だったら・・・・・

そういったことがあるという風に頭の中に浮かべてもらえれば

わかりやすいかも

もちろん、当塾で最も扱うのが数学だから

ニュアンスの違いはあるわけだが・・・・・・

それを重要視していることを踏まえて言わせてもらう

どうしても時間がかかる教科

同じような時間の割り振りの中で五教科なんていうのは不可解

それに、その他の教科が嫌いな子はたくさんいたが(したがって、そういった意味での苦労はあるだろうが)

手に負えないという子は成績優秀者にはいなかった

まあ、そんなことは周知の事実であるから

いまさら、数学は大変だという必要もないと思うのだが

ましてやその他の教科のほうが、あるいは同じくらい重要視することなど

ないと思うのだが・・・・・

数学ができればすべてうまくいくなんてことは言えないかもしれない

けれどこれで決まる、あるいは判断されることが多いという事実も多い

学年は関係ない今何を学んでいるかというのが

こちらから見た判断

次に使えるか?

やっている子は実感しているはず

よく一発屋といわれる彼だが

彼の名曲は永遠だ