夏休みというのは誰をも開放的にさせるのかもしれない
懐かしい顔とたくさん出会う
楽しいというかうれしい
「久しぶり」という挨拶から始まる出会い
そして他愛もない会話を楽しむ
いろんな刺激も受ける
自身に時間があまりないために限られた時間しかないが
それでもうれしい
夏休みというのは誰をも開放的にさせるのかもしれない
懐かしい顔とたくさん出会う
楽しいというかうれしい
「久しぶり」という挨拶から始まる出会い
そして他愛もない会話を楽しむ
いろんな刺激も受ける
自身に時間があまりないために限られた時間しかないが
それでもうれしい
おそらく、今暑い夏の中頑張っている人たちにはあるかもしれない考え
そうなんだよね
期待というのはちょっと消極的かもしれないけど
というのも、自分の努力への見返りなわけだから
何としても手にしたいものだろう
したがって期待なんて言う他人任せの様な表現は少々消極的かも
という意味です
今、ものすごく狭い世界でしか見えてないかもしれないけど
きっと、視野はこれから広がるだろうと思う
そのためにも
今、そう今頑張って
そろそろ、終わるはずなんだよな
青森の熱帯期間
ねぶた、お盆、・・・夏休み終了
青森の8月はこうして進む
受験生は踊らされないように
このイベントでリズムが崩されないように
集中を他の表現で
弘前大学は27日、2016年度入学者選抜要項を発表した。理工系人材の強化と文理融合型教育を柱に学部再編を行い、定員は文系学部で計150人 減、理系学部で計90人増となる。医学部医学科は、卒業後12年間以上、県内で就業することを条件としている一般入試の「県定着枠」を3人減の12人と し、同じく県内就業を条件としたアドミッション・オフィス(AO)入試を3人増の50人とした。また、17年度から、全学部で高校での成績・評価を重視す る推薦入試を取りやめ、面接や小論文などで選考するAO入試に移行することを明らかにした。
教育学部では、学校教育教員養成課程に小学校・中学校コースを新設。推薦入試を取りやめ、特別支援教育専攻と養護教諭養成課程でAO入試を導入する。
医学科のAO入試は、東北と北海道の高校を15年3月に卒業、または16年3月に卒業見込みの人が対象。このうち、県内の高校を卒業、または卒業見込みとした「県出身者枠」は30人のままとした。
また、17年度の入試について、AO入試を全学部で導入。募集人員は16年度の60人から180人増の240人とする。一方、16年度に172人募集する推薦入試は、17年度に廃止する。
17年度医学科学士編入学(第2年次)試験については、例年夏に行われていた試験時期を1次選抜を11月下旬、2次選抜を12月下旬に変更。1次選抜の試験内容で従来の英語の試験に代わって外部試験の「TOEFL」を採用する。
よくしようと改革するのはいいこと
変化なしには何も生まれない・・・と思う
変化しないことなんてほとんどないんじゃないかな
制度なんて、文化なんて、世の中なんて
この作業はなかなか身につかない
覚える。これは得意な子が多い
高校入試の場合は問題数が多いから考えると言うよりも
埋めていく場合の問題がほとんど
大学入試の場合は(二次試験)はそれだと無理
中学校まで数学は得意だったのに・・・・
という子が多い
その理由は簡単
そんな勉強を中学校の頃しなかったから
同じ問題の反復だけしてきた場合が多いからだと思う
その問題をどう解くか
その問題は何を問うているのか
それを考えるような作業の欠如が原因のほとんど
中学校でも小学校でもいい
早めに考える作業をすることが大事だ
お口直しに
懐かしくはないけど、忘れてしまいそうな気温
結局わがままなんだろうな
暑けりゃ、寒さに憧れ
寒けりゃ、暖かさを求める
比較論で言えば
青森はまだいい方だと考えてみる
40度近くにはならない・・・と思う
けど、住んでいる者にとっては関係ない
多分なんでもそう
考えられるのは自分の周りだけ
すこし、頭の中を整理して
少しでも広い世界を考えてみたい
知り合いに何でもほめる人がいた
口を開けば「すごい」「たいしたもんだ」・・・・
いい人のように聞こえるかもしれないが
それゆえに、ほめ言葉が信用されなかった
たぶん、ほめことばが単調なのと心がこもってないから
反面教師として、記憶している
ほめる対象がはたしてそれに満足しているのか
それが、大事
甘言というのは耳に優しいから、バーチャルで生活している人は喜ぶかもしれない
けれど、それって、結局はその人を落とし込めているということにはならないかな
で、話は変わって
今日、講義の最中に「ねぶたばやし」が聞こえてきた
町内会のねぶた?だと思う
夏です
青森はこの音が聞こえると夏です
それだけなんですが
ふと、そんな感情がよぎりました
よく遊び、よく遊べ
よく学ぶ人は、よく学べ
悩む人は悩め
各々、そんな時期が(年齢)あるんだと思う
高校生の頃かな 夏のイメージ
ついでにもう一曲
同じ頃友人のバンドが十八番にしていた曲
原曲はこんなに格好良かったのかと再認識した夏の曲
その昔、小学校の頃担任の教師がおっしゃった
「通信簿の成績の数字よりも生活の評価のほうが大事だ」
素晴らしい。至極もっともな意見
だったら、内申点もそのあたりを重視してもらえれば
生徒会とかいろんな活動をすると内申点が上がる・・・らしい
だから、それを理由に仕事を強いる話もよく聞く
まあ、良ければよいにこしたことはない
そこで、あの五段階の意味を改めて考えてみた
5・・・・すぐれている
4・・・・ややすぐれている
3・・・普通
2・・・やや劣る
1・・・・・・・・
この1と言うのはほとんど存在しない
ならば、3の普通はおかしい
低めに普通を設定するとバランスがとれない
そこで、まったくそんなことを考えないでこんな判断をしてみる
5・・・・普通
4・・・・中途半端に理解している
3・・・・ほとんど分かっていない
2・・・・授業に参加していない
けっこう、これって当たってはいないか
そもそもよく理解しているという判断を数学や理科以外に当てはめるのもおかしい
それだったら、よく暗記していないと言った方がわかりやすい
まあ、どんな数字をもらおうが人間性の否定ではないのだから悲観するほどのことではない
同様にいい数字だからと言って、すぐれているというレッテルを張られたわけではない
と言うぐらいに考えた方がいいと思う
まあ、いい気になるのは勝手だが
ただ、いい数字をもらって勇気が湧いたり
悪い数字をもらって頑張りに火が付くのはいいんじゃないかな
そんな夏休みが始まって数日
当塾の勉強会参加者はまだへたれないで頑張っています
頑張りましょう
これってもしかしたら一番大事な力かななどと考えたりする
初めから失敗を想定して何かをするわけではない
けれど、成功することよりも
失敗とは言わずともうまくいかないことの方が多いんじゃないかな
50VS50なんてことはない
世の中はわずかの成功者とそうではない多くの人たち
うまくいかないことを自ら受け止めてしまうのは
つまらない
そこで復活力が必要なんだと思う
言葉は汚いが
「なにくそ」という気持ちをもちたいと常々思っている
腐ることもあるだろうけど
人は時とともに進むしかないんだから
何かがあるかもしれないという期待感を捨てることなく進もうじゃないですか
「どうせ」とか「仕方ない」とか
そんなネガティブな感情は早めに切り替えて
一歩、いや半歩でも前に進もうと進言したい
最終的にはね
https://www.youtube.com/watch?v=ZRdA4kjfyHA
そろそろ佳境になってきたようで
あと数試合で出場高が決定する
野球という舞台で競い合うのにとやかくいいわけはいらない
同じ舞台に立ったら、条件は同じ
スポーツの世界は非情だ
彼らは野球と言うある意味日本では特別扱いのスポーツを通して
あるいは選んで時間を費やした。その点は素晴らしいなあと思う
余計な話はいらない。必要なのはいいプレーだけ
他のことを望む見方をするのはいかがかな・・・
おかしいと思うのは、高校野球にいろんなことを見いだせる人たち
実況で「最近は公立もレベルが上がってますから」って
それっておかしい。偏見、いや、差別いや、、、何でもいい
そんな見方はおかしい
同じ舞台に立ったらいいプレーをして勝つことを望む
それが、あたりまえだと思う
なんだって同じ
同じ舞台で競うなら他の余談はいらない
そして、努力するなら自己満足でない努力をしようじゃない
https://www.youtube.com/watch?v=4nI6ClMqqN8